芸術起業論

「芸術起業論」を読みました。身も蓋もない芸術論です。「売れた作品が良い作品」と言い切っています。面白いです。日本でそれ言ったら嫌われるだろうなあ…。世界の標準では、芸術品の購入動機は、見せびらかしか投機だと言ってます。「なんでも鑑定団」の世界ですね。マチスは天才だが、ピカソは、ストーリー込みで売り込んでいる、だからピカソは消費され後世には残らないかもしれないとの意見です。つまるところ芸術家も商売です。趣味では時間が勿体無い、もっと正直に「金稼ぎたい」というべきです。商売になるのは美大に入るための予備校、成功は大学教授! この著作から10数年、日本の美術界に変革の波は来たのでしょうか? 備忘します。

芸術起業論 (幻冬舎文庫)

芸術起業論 (幻冬舎文庫)

芸術の世界に組み込めば踏み込むほど、アーティスの目的は人の心の救済にあるのではないかと感じるようになりましたが、それなら自身の欲望はっきりさせなければなりません。芸術家は、欲望とどう付き合うかを強く打ち出さなければならないのです。ページ11
身も蓋もないものにはお客さんが乗れる雰囲気があるのです。熱量のある雰囲気がなければお客さんはつかないというのは、自明の理なのです。ページ18
つまりビジネスセンス、マネジメントセンスがなければ芸術制作を続けることはできないのです。ページ19
マルセル・デュシャンが便器にサインすると、どうして作品になったのでしょうか。既成の便器の形は変わらないのに生まれた価値はなんなのでしょうか。それが「観念」や「概念」なのです。これこそ価値の源泉でありブランドの本質であり、芸術作品の評価の理由もにもなることなのです。繰り返しますが、認められたのは「観念」や「概念」の部分なのです。ページ20
金銭を賭けるに足る物語がなければ芸術作品は売れません。売れないなら西洋の美術の世界では評価されません。この部分を日本の芸術ファンは理解できない、理解したくないんです。ページ23
僕は、自分の作品が理解される窓口を増やすために、自分や作品を見られる頻度を増やすことを心がけています。媒体に出る。人に晒す機会を増やす。大勢の人から査定してもらう。ヒットというのは、コミニュケーションの最大化に成功した結果です。ページ26
芸術で未来を開拓したいのならば芸術の状況を客観的に見なければならないのですが、日本では客観的に作品を判断する「批評」が存在していません。これは大きな問題です。欧米での芸術の仕事を通して僕が実感しているのは「本当の批評は創造を促す」ということです。ページ36
営業しなければものは売れない。待っているだけでは状況は変わらない。つまり芸術作品は自己満足であってはならない。価値観の違いを乗り越えてでも理解してもらうという客観性こそが大切なことなんです。価値観の違う人にも話しかけなければ、未来は何も変わらない。こういう世界共通の当然の話が、日本の若いアーティストの頭から抜けている…。ページ38
ぼくは44年の歴史に、最近300年ほどの日本の美術の歴史の文脈を用意周到に関連づけてみました。これは特別なことではありません。個人の持つブランドを商品にすることは、現実の世界で行われ続けています。ページ75
芸術作品の現実は「投機対象になる商品」ですから。流通市場を見据えて作品制作の過程から何をどうして仕込んでいくのかが勝負になると思います。そこでは当然、大勢の人が関わったほうがいい作品になります。ページ130
日本人の説明は真面目一辺倒でつまらなくなりがちですが、ものを伝えることは娯楽だと割り切らなければなりません。興味を抱かせて、楽しませて、引き込んでゆく。文化の違う国とビジネスをするときにはただありのままの説明だけでは不十分です。作品からは1つではなくいくつものセールスポイントを提供できなければなりません。ブランド化できるかどうかはそこが分かれ目だと思うのです。ページ135