情熱と挑戦

「情熱と挑戦」を読みました。プロゴルファー岡本綾子の自伝です。高校時代ソフトボールをやって、実業団に入って、いきなり全国制覇。それもピッチャーで5番打者、これは普通の人ではないです。はじめてのゴルフ練習場で試打したときに周りの人が呻ったというのは、むべなるかな。日本、米国でたくさん優勝して、殿堂入りも果たした立志伝中の人です。でも、やんちゃな方だということもわかりました。ゴルフだけでなく、恋もして楽しい青春の日々だったとお見受けしました。樋口さんとはそれほど酷い関係ではなかったと述べています。ホントかしら? 備忘します。

岡本綾子 情熱と挑戦 私の履歴書

岡本綾子 情熱と挑戦 私の履歴書

入社2年目の10月、和歌山県国体では準々決勝で完封勝ち、準決勝はノーヒットノーランを達成した。決勝では住友金属を延長の末に1対0で破り、初の全国制覇を果たした。延長9回を投げ抜きサヨナラヒットを打ったのも5番の私だった。ページ38
1週間位後、練習場の支配人に「ちょっと打ってみろ」…クラブの音で皆ががウオーと声を上げて驚いた。ページ43
(プロテスト合格は)当日のラウンドの記憶がほとんどないが79で回り、2度目で無事合格。ページ52
最終日、私は樋口尚子、大迫達子さんと最終組でプレイした。前半で首位に並ぶと緊張でドキドキ、相手のショットやバットのストロークが気になりだした。びびってボールは飛ばないし、スライスする。ページ54
ホールアウト後、「岡本さん、樋口さんと握手するところを撮らせて」と言われたが、大先輩はカメラマンに向かって「イヤよなんで握手しなきゃいけないのよ」と。ページ56
メジャー公式戦で初めて勝ったのは、1979年7月の第二回日本女子プロ選手権だった。大迫選手とのマッチレース、 18番でバーディーを出して勝ったが、試合の記憶がおぼろげだ。ページ67
1年4ヶ月ぶりの復活ぶりは、ついてるとしか言いようがない。棚からぼたもち、クリスマスとお正月が一緒に来た気分だった。ページ100
試合は通算イーブンパーで村井選手と並び、プレイオフに突入した。プロに入り翌年に初出場した75年以来、11度目の挑戦でようやくつかんだ日本一に、感無量だった。42歳での優勝は清元美子さんとの39歳を抜く大会最年長記録。若さの勢いではなく歳を重ねての優勝は実感があった。ページ122
我慢強くで勝負強い。こちらがミスをするとガンとやられた。プロフェッショナルそのものの樋口さんの言動からは、私が成長する上でずいぶん勉強させてもらった。ページ144
2005年、国内では0 3年の樋口尚子さん、前年の青木功さんに次ぐ3人めの世界ゴルフ殿堂入りの名誉によくした。ページ156
4年前に母の看病しているときに私は元気であと2 30年生きなければと思った。いずれは、この世とさよならする日が来るだろうが、人に迷惑をかけないようにしたい。ページ182
ボールをつかむ1連の流れの中で、切り返しは無い。トップスイングへ行くまでに、すでにダウンスイングの動作が始まっているからだ。ページ204
教え子にはよく、「練習は試合、本番のごとく、試合は練習のごとく」と言っている。ページ220
私の経験上の間では、…集中力は18ホールは続かない。むしろのらりくらりやってクラブを持った時に集中できるのが理想だ。練習で気を気を入れすぎると、試合での集中力が残ってなかったりする。ページ226