モラルの起源

「モラルの起源」を読みました。人間が持っている道徳とか良心の起源をチンパンジーボノボ、ゴリラなどの類人猿から説き起こし、ホモサピエンスの狩猟文化を手がかりに考察した本です。約45000年の進化の解釈です。人間は平等を好み、乱暴者やずるい人間を排除して、いかに利他的になったかを明らかにしています。内面にある遺伝子プールが形成された謎が解き明かされています。面白い仮説です。転じてソ連の崩壊や米国のふるまいも一応説明がつきます。北朝鮮の指導者の行く末も予想がつきます。また今回のパンデミックが、人類が助け合いの集団になるきっかけになるかもしれません。備忘します。

サイコパスは、全人口では数百人に1人以上の割合で存在するに違いない。彼らは、自責や恥の感情持たないだけではない。衝動的な略奪をすることに奇妙な誇りを持っている。こうした人間はあらゆる社会的階級に見られ、あまりにも根本的な障害なので、…スクリーニングテストで高い点を取る人間には、精神医学的治療はほとんどあるいは全く役に立たない。これらは、2つの理由で十分に道徳的な人間にはなれない。第一に、社会ルールを認めて内面化に必要な感情面の結びつきを持たないからで、第二に、他人への共感を欠いているからだ。ページ37
すなわち、人間の集団が数万年前から慎重なまでに平等主義だったのは、支配されて不都合にも平等な立場に置かれると怒ると言う、類人猿だった頃の祖先から受け継いだ傾向があるためだという主張だ。ページ87
文化を持たない文化の小集団の、自分たちの強く好む平等主義の政治的秩序を定着させるつもりなら、恐ろしく攻撃的な人間が仲間の中に現れた場合、時として死刑を処せざるをえなくなる。ページ107
ダーウィンが主張した通り、世界のどこに住んでいようと、人間は顔を赤らめる。われわれは当惑すると赤面し、恥をかいても赤面する。ヒト以外でそんな種はいない。ページ147
そのような自然選択のプロセスが起こるきっかけとなりえた環境変化について長年にわたり考えた末、私は、物理的環境自体の変化よりむしろ、それを利用して人間の集団が行った活動-特に大型動物の狩猟-の変化こそが、それを引き起こすのに役だったのかもしれないと判断した。ページ162
道徳の起源に関する主張の第一の部分は、過去の人類でで集団による処罰が重く頻繁になってくると、処罰は逸脱者の適応度を下げるため、人間の遺伝子プールに多大な影響を及ぼした、というものだ。第二のそれほど明白でない部分は、そうした処罰の重さとコストが増すと、よりよく自制できる人に有利に働く選択圧が生じた、というものだ。ページ184
自らの略奪的成功を抑制しない攻撃的な(あるいは狡猾な)逸脱者を、殺したり、傷つけたり、社会的に排除したり、社会的に忌避したりする事は、初期の人類の遺伝子プールに影響及ぼし、その影響が非常に大きなものだったために、人間に固有の良心が進化できたのではないか。ページ204
進化の優先度から言えば、ルールと価値観の内面化がまず進化的良心の基本的な機能として生じたはずで、その後でなぜか赤面することがこうした自制の機能と結びつくようになったと思われる。ページ217
…少なくとも45000年かけて、他人の行動について陰口を叩き合うことによって個人の適応度が高められて行った後、仲間内で密かに社会的評価を下す「おしゃべり」が、道徳的に振る舞うように進化した我々の能力の一環となったと思われる。ページ303
良心と利他的行動の両方が進化できたのは、人類の祖先が、連合を形成するように前適応していたおかげで、社会問題を解決するために大きな集団となって行動できるようになっていたからだ。最初にそうしたのは、単なる政治的な多数派だったが、一旦良心が整えば、彼らは道徳的な多数派となった。ページ325
…だから、ただ乗り遺伝子と利他的な遺伝子はどちらも同じ遺伝子グループによく現れ、共存して居られたのだと私は思う。乱暴なただ乗りへ向かわせる遺伝子は、適応に役立つ競争心をもたらすので、有用だったのかもしれない。一方、利他行動へ向かわせる遺伝子は、利他行動の不利益が、評判による利益や、これまで論じてきた他の相殺メカニズムによって埋め合わせるていたために有用だったのではないか。ページ382
もし世界が核による限定的な惨禍に見舞われたら、ショックを受けながらも生き残った国々は、恐怖のあまり争いを止め、それぞれの自治を弱めて、より安全な世界秩序を作り出す方向にさらなる手段を講じるのではないかと予想できる。ページ434
…ひょっとしたら新たな疫病が、病気の性質によっては協力を促し、その際に敵同士も仲間になるようなに仕向けるかもしれない…。ページ435