この道

 「この道」を読みました。著者、古井由吉氏の最後の作品です。久々の小説読みです。作者は芥川作家ですが、かつて読んだことはありませんでした。日比谷高校の先輩であることもはじめて知りました。
 意識の流れの中で、話題が飛ぶので、ついていくのが大変です。例えば、戦争、災害、交友など、思い出がフラッシュする感じです。死期の近づいた人がどのような意識になるのかや、外界に対して鈍感になっていくこともよくわかりました。一文にローマ五賢帝ハドリアヌス帝の話がありました。「おもしろうてやがてかなしき」の最晩年の詩の解説ですが、賢帝の達成感、名残惜しさ、反省が溢れているように思いました。著者紹介を含め備忘します。

この道

この道

古井 由吉(ふるい よしきち、1937年11月19日[1] - 2020年2月18日)は、日本の小説家、ドイツ文学者。いわゆる「内向の世代」の代表的作家と言われている。代表作は『杳子』、『聖』『栖』『親』の三部作、『槿』、『仮往生伝試文』、『白髪の唄』など。精神の深部に分け入る描写に特徴があり、特に既成の日本語文脈を破る独自な文体を試みている。(Wikipediaより)
人は生まれてくるときには手を握りしめ、死ぬときにはやがて開きはなしにすると言われる。ページ8
あの道をさらに先へ行って別の街道へ俺、県境の川に近くなれば、私の生まれ育ったあたりになる。青年の頃にはしばしばその河岸をあてもなく歩きまわった。そこまでここから車ならいくらもかかりはしない。人は迷い歩いても、生涯、そんなにも遠くまでは行けないものだ。そう思うと、心身も憮然として静まり返ったものか。ページ155
死ぬと言う事までは、生きるうちになる。最後を自分で決する覚悟の中のならぬものにとっては、不意の死も頼みにはならないので、老いるに任せ、衰えるに任せ、息の尽きるのを待つより外にすべもない。これもそれなりの覚悟が要ることだ。衰弱が進めば、見当識も狭まって自身の手足のありかもわからず、昨日今日明日も、1日の移りもなく、家族の顔も見分けられなくなる。見知った顔だとは感じられるが、いつどこの人ともつかなくなるのだろう。ページ172
こんな復員兵の話を聞いた。郷里の人に知られず、1人で重い荷物を担いで足を引きずり、遠い駅から長い道をたどって村の境に入ると、昼下がりの頃で働いていた人々が順々に頭を起こしてこちらに目をやり、揃って逃げるように走り去ったかと思うと、やがて大勢が、自分の家族を先頭にして、おおわらわに駆け寄ってくる。それを何事が起こったのか、とよそに眺めていた。口々に名を呼ぶ声、叫ぶ声がしばらく耳に聞こえていなかったようだったと言う。ページ179
私の小さな魂よ/愉楽の限りを尽くし/甘い言葉を囁き/縁もも知れるものながらこの身に/寄り添ってきたその末に/どこへ行こうとしているのか/青ざめてひややかに、赤裸に/戯れのひとつも口にせず
古代ローマ帝国五賢帝の1人、ハドリアヌス帝の詩と伝えられる。ローマの平和とやらを先の賢帝から引き継いで、さらに固めて、次の賢帝へ渡した人である。英雄とも言える。… 60歳を過ぎていた。昔ならまず高齢と言える。ほぼ生涯、辺境の守りに東奔西走して、ローマの都に腰を温めるのもろくになく、旅の皇帝と呼ばれた。…享楽にふけり、埒を超えもしただろう事は、末期の詩からもうかがえる。古代の英雄たちの享楽にも果てしもないところがある。
親しく身に寄り添って、逸楽にも誘い、常に甘い言葉を囁いていた魂が影となって離れ、連れもなく、顧みもせず、形の内に閉じ込められた我を捨てていく。小さな魂よ、と呼びかける。…国を造営し、殺戮にも愛欲にも手を染めた英雄の、末期の詩である。…末期の詠嘆から、生涯の烈しさが立つ。か細い嘆きのようでありながら、生死を越えて広がる天地に向かって、吟い上げるように聞こえる。ページ199
それに引き換え、今の世の人間は死からも隔離された了見で生きているようで、昔の人の生きた心を思うのも所詮実にそぐわず、埒もないことになるばかりだ、とやがて振り払い、これでも明日になれば、健やかならぬ眠りの後でも、心身が多少改まって、変わりもせぬ1日を、寿命も知らぬげに、先にまだ宛てでもありげに、時計の促しに従って、殊勝らしくまた繰り返すことになるのか、と長い息を吐いて立ち上がり、近頃は足も手も鈍くて、めっきり閑のかかるようになった寝支度の、一日の仕舞いの面倒に取り掛かる。ページ219
歳を置いてから若い頃の自分の何がうらやましいか、失って何が恨めしいかと言えば、足腰の強さにまさるものはない。同じ事をたずねられて、女が美しく見えたことだ、とたちどころに答えた男があり、そうには違いないが、その恨みも足腰のまだまだ達者なうちの事である。ページ225
見てはならぬものを見た。と三陸の大津波の折にそんな感想を新聞に寄せた人があり、当時しきりに飛び交った言及の中で、この言葉が私の心に染みた。これも傍観の立場には違いないが、傍観の空恐ろしさも伝わった。ページ238