本当にわかる社会学

「本当にわかる社会学」を読みました。長年にわたる「社会学」の到達点を通読しました。別の言葉でいうと、人間とは何かを追求している学問だと了解しました。ここの人間理解の言説をよみながら、歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」に集大成されているようにも感じました。備忘します。

自殺は、個人の心理的要因に還元できない社会的なものである。自殺の存在は、その社会が正常である事を示してさえいる。ページ26
こうしたプロテスタントの禁欲的な職業生活は、意図せざる結果として、彼らに多くの富をもたらした。しかし、彼らは欲望や快楽を厳しく戒めていたので、得られた利潤を貴族的な消費活動に使うことなく、職業労働のために再投資したのである。この繰り返しによって資本が形成され、合理的な産業の機構組織が作られていった。ここに至って、資本となる資本の自己増殖と言う資本主義の特徴や、その精神が現れるのである。ページ59
職場やバイト先では、お客様にはいつでもどんな状況でも笑顔で接するようにと指導受ける。どんな理不尽な要求に対しても、自分の感情を抑えて接客することが求められている。サービス業が溢れる現代社会では、笑顔や元気さといった本来は商品でないものが、事実上売られているのである。心からの笑顔、元気な声、明るい表情、こういった感情をコントロールする必要のある労働をホックシールドは「感情労働」と呼んだ。ページ66
フランスの思想家ジャン・ボードリヤールは、欲求と消費が無限循環するようになった社会を「消費社会」と呼び、もはや社会の主人公は私たち人間ではなくなったと論じている。私たちは「消費力としての個人という新型の奴隷」であり、消費社会を動かす歯車に過ぎないと言うわけである。彼によれば、消費社会では、私たちが欲し購入しているのは、商品自体でもなければ、商品の持つ機能でもない。私たちが欲してるのは「意味」であると言う。消費社会ではあらゆるものが意味を持ち、あらゆる商品は意味を示す「記号」として存在している。ページ73
社会学者エミールデュルケームが言うには、犯罪のない社会は決して存在しない。それどころか、ある一定比率の犯罪の存在は、その社会が正常(健康)だと言う証ですすらある。ページ90
このように構造主義とは、それ以上さかのぼることのできないような社会の深層にある仕組み=構造を捉えようとする思想であり、方法である。ページ129
ノルウェー国際政治学者ヨハン・ガルトゥングによれば、平和は「戦争のない状態」ではなく、「暴力のない状態」と理解されるべきであると言う。つまり、「平和」の対義語は「戦争」ではなく、「暴力」であると言うわけだ。ページ174
私たちの、このナショナルな意識や感覚は、明確な拠り所を持たない創造物であるだけに、他国への敵と渾然一体となるときには、歯止めの効かないものともなる。ページ179
マックスウェーバーは、これを踏まえて、多様で複雑な社会を分析し、理解するための方法論として「理念型」を提唱した。彼はこう考えた。学問には、誰が見てもなるほどそうかと思える客観性が備わっていることが望まれる。しかし、学問をするのは人間なのだから、どれほど緻密に研究しても、常に研究者の主観がそこには紛れ込んでいる。ページ210