歴史の作法

「歴史の作法」を読みました。著者、山内昌之氏は碩学です。イスラム史の研究者とのことですが、東洋史、日本史にも造詣が深く、内容の深さに驚きました。。北畠親房神皇正統記」、新井白石「読史余論」、伊達千広「大勢三転考」は一度読んでみたいと思います。本書のテーマは歴史の研究の本質を考えることです。結論は「歴史とは、理念と事実のバランスにある」と述べています。備忘します。

歴史の作法―人間・社会・国家 文春新書

歴史の作法―人間・社会・国家 文春新書

現代風に言うなら、このイスラム史学の偉才イブン・ハルドゥーンにこそ、学問としての歴史学の父として敬意を表したくなります。事実イブン・ハルドゥーンの記述には、歴史家に必要な資質と条件が繰り返し現れます。…彼の言う資質や条件とは次のような人です①無数の資料と様々な知識を必要とする… ②良き洞察力と自主性を必要とする… ③他人の名声をけなすために、自分の卑屈さを過去の人々を引き合いに出すことで弁明しようとしてはならない…ページ40
さて、色が時空を超えて、現代の読書人さえ魅了してやまないのが、独特な叙述スタイルと著者司馬遷の価値観が渾然一体となって融合している点にあります。歴史は哲学や思想とは違います。真理があらかじめ分かっているなら、難解な外国語をわざわざいくつも学習して資料を苦労して読む必要もなく、何よりも散逸した資料を収集する必要もないのです。ページ63
そこで強調しておきたいのは、歴史が学として成立する上で重要な条件が想像力と構想力にあるという点です。ページ103
私は、少し考えた後に、3冊限定のアンケート回答では次の本をあげました。①北畠親房神皇正統記」、②新井白石「読史余論」、伊達千広「大勢三転考」ページ120
それにしても、政治変革や政権交代の表面を見る新井白石と比べるなら、国家下部の真相を見つめた伊達千広の眼力は、尋常なものではないでしょう。ページ137
結局、伊達千広が支配制度の性質とその変化に時代区分の根拠を求めたのは、名の代の安定が崩れた徳川時代の要請した「国家」をめぐる危機意識なのかもしれません。ページ145
およそ世界史が文明の衝突なしに進んだ例などないのです。少なくとも複数の文化や文明が接触する時、人々は自分たちの信奉してきた生活様式や所属する文明や文化が人間の作った歴史の1部に過ぎないことを実感してきました。ページ180
ここで高杉晋作は、西洋の達成した文明の素晴らしさ、日本を「属地」化しかねない凶暴な衝動、これらが共存する西欧資本主義の二面性を目の当たりに見たといって良いでしょう。ページ206
荻生徂徠は、ある主体の活動によって制度が実現しても、その活動が実を伴わないと制度も失われてしまうと言う循環論で歴史を捉えました。ページ212
陸奥宗光ベンサムにひかれたのは、自由なくして人智の進歩があり得ず、人智の進歩なくして人間の幸福がありえないという合理主義の主張にあったように思います。ページ214
要するに、吉田松陰は現実の危機をブレイクスルーする問題意識に立つ限り、経学(哲学)にこだわりすぎると抽象論に陥って現実感覚を失ってしまうのではと危惧したわけです。松陰は、史学にリアリズムの感覚をあくまでも求めたという点において、現代にも通じる歴史の作法を説明したとも言えるでしょう。ページ239
私なりに一言で言えば、歴史を理解するには観察者の側に理想主義とリアリズムのバランスをとる必要があると言うことなのです。ページ241
せめて私にとっては、理想主義とリアリズムを不断に往復させながら「事実」を解釈する緊張の構造を自らの裡に維持しておきたいものです。これこそ、深いところで、私の考える現代歴史学の志と結びつくように思えてならないのです。ページ256