伊勢神宮と出雲大社

伊勢神宮出雲大社」を読みました。副題は「日本と天皇の誕生」です。学術論文に近い著作です。このような内容が大まかにでも分かる自らの知識をとても嬉しく思います。本書によれば、出雲との関係は大和を際立たせるためでした。大和に欠けていた霊力、神聖性を取り込むための物語がほしかったとのことです。天武天皇持統天皇は神を目指していましたが、世俗的な王権も残り、両者並列が今の天皇制の始まりだとの見解です。伊勢神宮出雲大社に再訪した折には別の見え方になることを予感しています。備忘します。

この神代の物語が語ろうとしている最も重要な内容とは、天照大神という神が子を産みその神の子が天皇の祖先祖先となるという話である。ただし、天照大神が生む最初の神の子の誕生は世俗的な男女の関係によるものではない。ページ22
アマテラス大御神の椅子への鎮座の伝承が成立したのは古事記及びその原子量となった定期給餌その他の資料群の成立以後であり、推古朝以降のことであると考えられる。ページ47
つまり「天照大神」という観念性から創出されたものである可能性が極めて大なのである。ページ48
古代の伊勢神宮における天照大神の祭祀は、こうして推古天皇斉明天皇持統天皇という、いずれも女性の天皇の治世下に3つの画期を持って形成されたものである。そしてこれが日本の王権と神社祭祀の根幹をなすものとして、その後長らく継承されているのである。ページ87
天武・持統の王権にとっての神聖性の確保が、伊勢神宮の奉祭であったのに対して、神話世界において必要不可欠とされたのが、出雲と言う<外部>の設定であった。ページ96
記紀の中の出雲神話は、出雲地方における現地の人たちの現実の記憶の伝承だけではなく、大和王権が、出雲の地方王権に接触して、その相互交流の中で一定の歴史的現実をもとにしながらも政治的な構想力を加えて蓄積し、さらにそれを整序して神話化した構成物語と見た方が良い。ページ107
また国譲りにおけるタケノミナカタの武力は圧倒し、排除するが、コトシロヌシの霊力は、これも大和に移して継承する、という関係性である。ページ137
神無月は出雲では神在月といい「お忌みさん荒れ」などと呼ばれる海上の荒れる風雨の激しい季節となるその季節に「龍蛇さん」と呼ばれるウミヘビが漁師の人たちの船により来たる。…漁師さんたちは龍蛇さんを獲ると出雲大社佐太神社に納めて、昔は米1票をもらったものだという。ページ142
つまり、超越神聖王権の実現は当初の天武・持統の時代のみの一時的な現象として終わってしまったのである。そして、歴代の天皇は、天武・持統が実現させた神聖王・祭祀王の性格もちながらも、同時に政治抗争の中に位置する伝統的な世俗生の性格をも合わせ持ち続けざるを得なかった。ページ154
もともと民間にも見られた習俗としての毎年の収穫祭であったものが、特に天皇の収穫祭の形態を整えたのが新嘗祭であり、それが天皇の即位礼としても形態を整えたのが大嘗祭である。そしてそれが天皇大嘗祭と言う最重要儀礼として制度化されたのは、伊勢神宮の社殿造営とともに、天武・持統朝以降のことであったと考えられる。ページ181