鳥居

「鳥居」を読みました。70年前から「鳥居」の研究は全く進んでいないとの嘆きからはじまります。正直、鳥居は昔から神社にある門だろうとの認識でしたが、奥が深いことに驚かされました。歴史は忘れ去られることも多く、歪曲されることもよくある事がよくわかりました。この本は、1枚の図を見ながら読みました。鳥居の各部の名前を記した図です。鳥居の各部の名称がわからないと、この本は読めません。今後、神社を訪れた際にはに、この鳥居が明神形なのか神明形なのかを確認することになると思います。楽しみがひとつ増えました。子供の頃からの遊び場「品川神社」の門に彫られた昇り龍も見に行きたいです。著者は、西洋近代美術史を専門とする先生が、趣味で著した本というのも驚きでした。備忘します。

鳥居

鳥居

鳥居は杳然たる1つの謎である。そもそもいつ頃から何のために建てられ始めたのか、またわが国独自のものなのか、それとも海外に由来するもののかという、その起源が不明なら、「鳥居」という呼称の由来も、辞書がいうような単なる神社の入り口にある「門」なのかどうかも判然としない。ページ6
…ここに謳われているように、鳥居はまさしく、帝国日本の侵略的な版図拡大とそれを正当化し支えた神国思想のシンボルに外らなかった。ページ11
神社の門が実際「鳥居」の名で呼ばれるようになったのは、現在までに知られるところ10世紀半ば以降のことであり、それ以前にさかのぼる事はない。ページ24
…止まり木に似た横木を持った品々が「~鳥居」「鳥居~」の名称で呼ばれ、「鳥居」という俗称が人口に膾炙するようになるに従って、それまで神事への遠慮から表向き敬遠されていた神社の門にも、さほどこだわりなく適用されるようになり、それがやがて固有の呼称として定着していったものと想像されるのである。ページ29
檜皮葺や本瓦葺の豪壮な屋根で覆われた四足門や二階造りの桜門の登場とともに、鳥居は「神門」の名を四足門や桜門に譲り、鳥居の呼称を選ぶことを余儀なくされていったのである。ページ31
祭祀上の標示が1本の柱に始まるという事は、当初は一点によって神の領域と人間の領域という2つの異質な空間を境い、つなぐことができたということである。一本の柱がやがて鳥居という特殊な形式へと発展を遂げても、一点で空間を分かつその結界としての力に変わりはなかった。ページ34
物理的な隔絶と建築の荘厳化によって祭祀空間の差別化を図ろうとした8世紀から12世紀に至る社殿整備の過程は、とりもなおさず、鳥居が本来持っていた聖俗を瞬時にして分かち、つなぐ結界としての機能が弱体化し、次第に祭祀の中枢から排除されていった過程であったということである。ページ43
…「結界モデル」も「穀霊運搬モデル」も、いずれもそれを実証する十分な根拠を得られないまま今なお仮説モデルとして通用し続けている。ページ51
もう一つは、「木は檜を用べし余の木を用べからず」といわれているような、檜の排他的な優越性である。素戔嗚尊が檜は以て瑞宮を為る材にすべし」と宣ったという「神代の遺風」を尊ばんがために「檜を用べし」と説いているふしもないではないが、ここでいうのは、むしろ柱の用材としての檜の純粋な優秀性である。ページ87
柾目の通った貴重な檜材をわざわざ皮もむかずに使う馬鹿はいない。それを「黒木鳥居の皮をむけば、白木鳥居になる」などという言い方をするから、そこに派生の起承が生じ、さも白木の鳥居に先先だって黒木の鳥居があったように錯覚するのであって、事の次第はむしろ逆だったと思われる。ページ128
江戸の昔はこうした趣向の鳥居が随所にあったようだが、今日では東京品川区の品川神社と阿佐ヶ谷の馬橋稲荷神社に残る2基のみとなっている。ページ185