日本神話の考古学

「日本神話の考古学」を読みました。戦後、日本神話は、架空の物語として扱われていますが、発掘や発見により真実が徐々に明らかになっています。知的興奮を覚えました。古事記日本書紀に記された、国生みの神話からイワレ彦の東征までの考察です。三種の神器の解釈など、考古学的知見からの考察です。以前「古事記を旅する」に触発されて、猪目洞窟や鵜戸、大和古墳群、河内を巡りましたので、内容はよく理解できました。大王は日向からの集団移住の長であり、先行の日向族を取り込んで大和を征服したことを納得できました。「…ナガス彦と戦ったとしているけれども、相手はむしろニギハヤヒだったのではないか」卓見だと思います。備忘します。

日本神話の考古学 (朝日文庫)

日本神話の考古学 (朝日文庫)

  • 作者:森 浩一
  • 発売日: 1999/02/01
  • メディア: 文庫

出雲風土記には「黄泉の穴」があるという有名な文書があって、猪目洞窟がその候補とされている。ページ44
発見されてはいないが、出雲の青銅器生産の技術の粋を凝らしたような長大な銅剣が、今のところ私の脳裏に草薙の剣のイメージとして浮かび上がっている。ページ63
伊勢は水銀の産出地であり、言い換えれば、実際に鏡を磨くこともできる良質の水銀を産する土地であった。ページ71
八咫鏡が日像つまり太陽を造形したものであることと、材料が銅であることがわかる。ページ77
ヌナカワヒメと言うのは、越の地で長い歴史を持つ硬玉翡翠の信仰と富を象徴する女神であり、実在の豪族とは考えにくい、だが、硬玉翡翠の玉類の研究を通して、八坂の勾玉として古典にあらわれるゆな名玉は、越の土地に産したものであることは、まず、間違いないと思う、ページ113
二二ギ尊は、吾田の土地においてコノハナサクヤヒメに出会った。…名前は美しいが、気性の激しい女神である。そのため、いつしか富士山を祀る浅間神社の祭神にもなった。つまり火のことから火山の神になったのである。ページ139
鵜戸の洞窟を神武霊跋、つまり聖跡とする神話と結びついた信仰があったことを知ることができる。ページ152
私には「隼人の地」というのが、古代において決して文化や生活水準の劣る土地には思えない。ページ161
松本清張氏の考古学者の森本六爾を主人公にした「風雪断碑」(のちの「断碑」)という、それほど長くない小説が載っていた。主人公が自分の専門分野での先輩だから、早速読み、感動したのを覚えている。ページ187
このように高地性遺跡は、弥生時代が平和な時代ではなかったことを物語っている。ページ195
そういう立場で、大阪湾に入ってからのイワレ彦の行動を見るとき、最大の疑問は河内の日下の戦いである。…ナガス彦と戦ったとしているけれども、相手はむしろニギハヤヒだったのではないか、ということである。ページ239
瀬戸内海を東進し、大阪湾に入り、河内の湖を経て、生駒山脈の麓に攻め込んだイワレ彦の軍勢を迎えうったのはニギハヤヒの勢力であり、それに協力して大和の勢力も加わった。太陽に向かって戦う事はできないとして熊野から迂回した本当の理由は、まず大和の勢力を味方につけてから強大なニギハヤヒの勢力を屈服させることになったのであろう。ページ231