原発事故10年目の真実

原発事故10年目の真実」を読みました。菅直人氏から長島彬先生への謹呈本をお借りしました。ソーラーシェアリングの発案者、長島彬先生の名前が何度も出てきます。これまで、菅直人元首相の大震災後の原発事故に対する処置に疑問を抱いていました。例えば震災直後に現地を訪れることが必要だったのか、浜岡原発の超法規的な停止などです。十年経って、多少「盛っている」部分はあるにしろ、必要性や苦渋の決断の連続だったことを理解しました。政治とは難しいものだと実感しました。
「ソーラーシェアリングを活用すれば日本が必要とする電力の全量の発電が可能だということがわかった。ページ5」。ソーラーシェアリングで再生可能エネルギーの大半を得て、水素エネルギー社会を実現したいというのが本書の骨子です。異論ありません。備忘します。

原発事故 10年目の真実 始動した再エネ水素社会

原発事故 10年目の真実 始動した再エネ水素社会

  • 作者:菅 直人
  • 発売日: 2021/02/25
  • メディア: 単行本

そこで総理大臣として福島原発事故に直面した政治家の責任として、日本の原発をゼロにすることを総理大臣退任後の政治活動の中心にすると決意した。そして同時に原発をゼロにしても、CO2を排出しないで日本が必要とする電力を日本国内に受給できる方法を考えた。その結果、ソーラーシェアリングを活用すれば日本が必要とする電力の全量の発電が可能だということがわかった。ページ5
太陽光発電が伸びたのはFITにより、太陽光発電事業の採算が取れるようになったからだ。…今後は、耕作を続けながら農地を活用して太陽光発電をするソーラーシェアリングを普及させれば、理論上は、日本の電力消費量を全て再エネ発電で賄うことも可能である。ページ35
この広い土地の確保と言う困難な制約を突破する道を開いてくれたのがソーラーシェアリングだ。…私がソーラーシェアリングの存在を知り発案者の長島彬氏に初めて会ってから10年近くになる。ページ87
ファードウの岩井社長は、もともと農業機械を販売していた人で、農家とは長い付き合いがあった。農家では若い人が後を継いでくれないために、農地が耕作放棄地のようになる例も多かった。岩井社長はそうした土地を次々と借りて温室を立て、その屋根に太陽光の約半分が投下するシースルー型ソーラーパネルを設置した。ページ94
経済的に原発に依存してきた立地自治体へのフォローも必要だが、電力会社に対しても、「やめろ」「やめろ」と言うだけでなく、彼らが廃炉しやすい法的な環境設備が必要だと考えた。そこで提案したのが、「原発の一時国有化による全原発廃炉政策」だ。全原発廃炉が決まれば、再稼働のための莫大な投資も不要とされる。ページ120
2号機では水素爆発が起きなかった。隣の1号機の爆発で、建屋の一部が破損し、水素が内部に留まらなかったからだ。しかし、3月15日に何らかの理由で格納容器が損傷した。私はこれを「神の加護」と言っている。「奇跡」と呼んでいる人もいる。なぜ「御加護」「奇跡」なのかというと、その損傷の仕方が、爆発して粉々になるというものではなく、格納容器のどこかに亀裂が入ったか穴が開いたおかげで、そこから空気が抜けて、爆発を逃れたからだ。…格納容器が大爆発して大きく破壊していたら、東京含めた首都圏も避難対象区域になっていたかもしれないのだ。ページ136
私の見るところ、福島第一原発廃炉にして、更地にするのは、少なくとも100年以内には不可能だ。福島の方には申し訳ないが、現実的に考えれば、チェルノブイリのようにあの場所で封じ込めるしかないと思う。ページ140
原発の是非はいわゆるイデオロギーの問題ではない、合理的に考えることができるか、それとも目先の利害にとらわれて将来に禍根を残すかの選択である。ページ191