群島の文明と大陸の文明

「群島の文明と大陸の文明」を読みました。文明の価値観をすっきりと三つに分けて説明しています。すなわち、<第一の生命>=生物学的生命・肉体的生命、<第二の生命>= 霊的生命、<第三の生命>=美的生命、です。どれも大事ですが、それぞれの文明が何を大事にしてきたかの解説です。
 中国、韓国が近代化に乗り遅れた理由、共産主義が崩壊した理由なども、<いのち>の捉え方(哲学)に求めています。<第三の生命>に重きをおく群島(日本)の文明は捨てたものではないと思いました。例えば、日本の美意識という観点でいえば、「をかし」「あはれ」「幽玄」「わび」「さび」「いき」のことです。
 コロナ終息後の世界や文明論から見た日本経済の現状と目指すべき方向性にも言及しています。「日本人は今、明らかに資本主義を崩壊させようというプロジェクトを積極的に推進しています。持てるものは『できるだけ消費をしない』という行動によって、持たざるものは『できるだけ安いものを買う』という行動によって日本の資本主義を徐々に崩壊させてきた。」一読に値します。

要するに、西洋は何でも2つに分けて、その一方だけに価値を置くが、東洋はそういうことをしない。なんでも包括するし、双方向である。ページ20
日本群島の原始性の根本は、家族のあり方と権力の集中と言う2点にあるのではないでしょうか。言い換えると、父系の家族制度を構築できないに何らかの理由と、権力を完全に一帯ができない何らかの理由が、日本の非中華性=原始性とっての重大な性格を形成しているのではないでしょうか。ページ52
そもそも、古代から東アジアに大きく行って、2つの生命感がありました。その1つは「アニミズム」であり、もう一つは「シャーマニズム」でした。「アニミズム」と「シャーマニズム」は往々にして混同されますが、全く異なる世界観なのです。ページ63
私に言わせれば、孟子孔子の思想を逆転させた人です。一言でいうと、孔子は<アニミズム>的な人であり、孟子はそれを否定した人なのです。ページ70
孔子のいう「仁」の意味は「道徳」ではなく<いのち>です。例えばお孔子は「人にして仁せずんば、礼を如何。人にして仁せずんば、楽を如何」と言いました。これは、「人が道徳的でないと礼や楽があってもどうしようもない」という意味ではありません。「人として<いのち>を立ち現すことができなければ、ただの形式、ただの音に過ぎない。<いのち>を立ち現すことによって初めて礼になり、音楽になるのだ」という意味なのです。ページ79
三つの生命を区分してみると、次のようになります。
第一の生命=生物学的生命、肉体的生命
第二の生命= 霊的生命
第三の生命=美的生命  ページ83
東洋においても西洋においても、そしておそらくどの文明圏においても、人類は、肉体的な、つまり生物学的な生命とは異なる、別の生命を発見ないし発明しました。それはおそらく、「一」という概念の発見ないし発明と、どこかで連動しているのです。典型的なのは、キリスト教における「霊による命」でしょう。ページ90
政治権力は国民の<第一の生命>を掌握・管理・統制しようとし、普遍的宗教は信者の<第二の生命>を支配します。ページ102
佐伯は、人類は長い間生存のために4つの課題と戦ってきたといいます。それは飢餓、戦争、自然災害、病原体です。飢餓との戦いが経済成長を生み、戦争との戦いが自由民主主義の政治を生み、自然との戦いが科学技術を生み、病原体との戦いが医学や病理学を生んだ。すべて人類の生を盤石なものとするためである。そしてそれが文明を生み出した。ページ117
文明の歴史は、生命に対する感受性の歴史です。なぜなら文明を支えるものは技術ですが、「個別的な<第一の生命>の世界観から普遍的な<第二の生命>の世界観へ」というのがあらゆる技術発展の方向性だからです。ページ123
現在の韓国の韓国語で日常的に使用されている音節の数は大体二千数百だといわれています。これは中国語や日本語よりも圧倒的に多いわけです。ハングルはこの膨大な音節を、たった20数個の字母によって驚くべき正確さで記述できる文字なのです。人類が生んだ最高の文字だといって良いと思います。ページ141
私の考えでは、これらの美意識は明らかに、古代以来の「たま」や「ひ」という実体的な生命観に対抗するものです。生命を三分類でいえば、個々の生物に1つずつ宿るとされている「たま」は<第一の生命>であり、普遍的な霊に重点が置かれている「ひ」は<第二の生命>なのです。しかしこれらとは別の生命があります。そのことを、美意識と言う観点から語ったのが、「をかし」「あはれ」「幽玄」「わび」「さび」「いき」なのです。これらを全て偶発的で美的な<第三の生命>だといえます。ページ196
しかし日本では、生活に余裕があり、資産をたくさん持った人たちまで、できるだけ安いものを買うという行動パターンを選択してしまったのです。これが日本資本主義の自己崩壊をもたらした事は明らかです。その結果、日本企業は工場海外に移転してできるだけ原価を安くするという努力をとことんまで推進せざるをえませんでした。そしてその結果、日本の労働市場は空洞化し、多くの働き人が職を失い、あるいは非正規職員としてしか働けなくなりました。そしてさらにその結果、日本には「1円でも安いものを買わなくてはならない」というメンタリティーと強迫観念がほぼ完全に蔓延してしまったのです。ページ220
おそらく、資本主義はこのままいけば崩壊するでしょう。日本人は今、明らかに資本主義を崩壊させようというプロジェクトを積極的に推進しています。持てるものは「できるだけ消費をしない」という行動によって、持たざるものは「できるだけ安いものを買う」という行動によって日本の資本主義をこの20年の間に徐々に崩壊させてきたのです。ページ221
私たちの経済を根源的に復活させるのは、もののなまなましさを感じ続けることと、交換・互酬の瞬間に共を立ち現すこと、この2つの道しかないのではないかと思われます。それこそが<第三の生命>の経済学なのです。ページ227
…「どこかに真理がある」というタイプの哲学や世界観で新しいプラットフォームを作ろうとすると失敗するでしょう。みんなで真理を作っていくというタイプでなければならないでしょう。未来は共につくる、つまり共創すべきものなのです。ページ247
「あいだ」の哲学というのは<あいだのいのち>である<第三の生命>をどのように現すかという哲学なのです。それがまさに共創です。ページ249