枕草子のたくらみ

枕草子のたくらみ」を読みました。学芸大学の古本屋で数年前に購入しました。ふと本棚から手に取ってページをめくると、あまりに面白い内容で一気に読み終えました。50年以上、枕草子を誤解していました。機知に富んだ名文だが、風流をきどったインテリ女房の戯れ言と思っていました。さにあらず、皇后、定子への「鎮魂」と、世の中(貴族社会)への「救い」の書であることを理解しました。虚構の書であったとは! 暗い話がないのは定子へのレクイエムだったからだとは! 天皇家の継承問題、疫病、宮廷サロンを理解しないと「枕草子」を読み解くことはできません。紫式部清少納言に影響されながら、断じて受け入れなかった理由もよくわかりました。備忘します。

清少納言の筆は、たとえ貶める書き方をしていてさえ、親しみと愛情に満ちている。確信犯として他愛なさを纏う章段たちは、悲しみに暮れていた定子の心を、温かく励ましたに違いない。ページ61
定子と伊周は、中関白家を体現する戦士だった。2人は文化の世界でも政治の世界でも戦い、命つきた。それを思う時、枕草子の書き留める貴公子伊周はあまりに切ない。ページ75
枕草子を読むとは、そうした当事者の目になって読まなければならない、少なくとも当事者の心を想像しながら読む努力をしなくては真実が読み切れないということなのである。ページ91
推測するに、同僚たちに働きかけて清少納言への疑惑を解き信頼を回復させるような、何かがあったのだ。古典研究者たちは、その何かこそ枕草子の執筆、そして定子への献上であろうと考えている。ページ133
想像しよう。長く引きこもっている清少納言。定子は何度か使いを送り、勇気づけようとした。清少納言は裏切ってなどいないと信じていたからだ。ふと思い出し、清少納言の好きな紙を贈った。すると、やがて、手元に一札の冊子が密かに届く。題は「枕草子」。兄が栄華の極みにあった時、「古今和歌集」の向こうを張る意気込みとともに、定子が清少納言に執筆を下命した作品だ。今こそ清少納言は応えたのだ。中関白家が倒れた権威は地に落ち、何もかも失ったかのように思われたこの時に、今度は定子の心に熱いものがこみ上げただろう。かつてのプライドを思い出し、うつむいた顔を上げることができただろう。打ちのめされた定子に生きる力を取り戻させたのは、この作品だったかもしれない。ページ139
ついにいく/道とはかねて/聞きしかど/きのふけふとは/思はざりしを(伊勢物語
ただ過ぎに過ぐるもの/帆かけたる舟/人の齢/春、夏、秋、冬(242段)
人生を、大事に生きよう。一瞬一瞬が、かけがえのない時間なのだ。こんなに細やかな言葉たちでもって読者を深々とした思いに至らせてくれる「枕草子」は、優しい作品でもあるのだ。この読後感を定子もきっと心に抱いたに違いない。ページ153
夜をこめて/鳥のそらねに/はかるとも/世に逢坂の/関はゆるさじ
男をはねつける、勝気たっぷりの清少納言の和歌。後に百人一首に選ばれたことも相まって、これこそ清少納言という看板ともなり、彼女のキャラクターを形作った代表歌である。ページ185
一条朝の最先端を疾走した皇后定子の文化とその人生そのものを、「枕草子」に永久保存し貴族社会に送り届けると言うことだ。それが枕草子の意味なのだ。ページ264
喪われたものへの鎮魂の書、それが同時代の「枕草子」だった。その意味で「枕草子」一つの〈挽歌〉だったのだ。ページ271
悲劇の皇后から理想の皇后へと、世が内心で欲しているように、定子の記憶を塗り替える。定子は不幸なのではなく、もちろん誰からも迫害されてなどおらず、いつも雅を忘れず幸福に笑っていたと。その目的は、清少納言自身にとっては、もちろん定子の鎮魂である。だが世にしてみれば、これこそが彼ら自身に対する救いとなった。このやがて「清少納言枕草子」としてまとめられる五月雨式の私記を、世は自らが必要とする作品として受け入れたに違いない。そして癒されたに違いない。ただ、この書は真実ではない。この虚像には騙されない。そうつぶやく紫式部を別にして。ページ291