エーゲ 永遠回帰の海

「エーゲ 永遠回帰の海」を読みました。今から40年前、写真家と一緒にギリシャ、トルコの遺跡を巡った旅の記録です。NHK「見えた 何が 永遠が 〜立花隆 最後の旅」の番組の中で本書が紹介されていました。著者本人が代表作だと言っていたそうです。写真集の体裁ですが、短い文章に見過ごせない深い内容が含まれています。ニーチェ永遠回帰から「見えた 何が 永遠が」に至る文章は名文です。また歴史の大部分は虚無の中に飲み込まれている、「歴史はフェイク」であると断言しています。遺跡にじっと佇んで過去を鑑みればそれがわかると言っています。また哲学の始祖タレスの事蹟をこの本で、アリストテレスに匹敵する偉人であることをはじめて知りました。「アトス山」「ミレトス」…知らないことが多すぎる! 備忘します。

魂の不死を説く宗教に対して、ニーチェは「魂の不死などというものはない。肉体の死とともに魂も死ぬ。それによって、人間の生命は無に帰す。しかし、やがて、全てが永遠に回帰するのだ」と説いた。
時間は1つの方向に不可避的に流れるものではない。円環をなしているのだという。時が円環であるならば、はじめもなければ終わりもない。過去は同時に未来で、未来は同時に過去である。現在は永遠に過ぎ去り行く一瞬一瞬ではなく、永遠そのものである。現在は既に過去にも無限回繰り返されたことがあり、未来においても限界繰り返される。
人はまさにこの現在の一瞬において、すぎ去り行く時を生きているのではなく、永遠を生きている。「見よ、これが永遠なのだ」とニーチェはいう。
頭で考えている限り、わかったようなわからないような思想と思われるかもしれない。しかし、人気のない海岸にある遺跡で、黙ってしばらく海を眺めていると、これが永遠なのだということが疑問の余地なく見えてくるような気がすることがある。
「見えた 何が 永遠が」
かつてそう書いて詩人を廃業した詩人がいた。永遠を見る幻視者たりたいと思うが、それを本当に見るのがは怖いような気もする。ページ80
突如として私は、自分がこれまで歴史というものをどこか根本的なところで思い違いをしていたの違いないと思い始めていた。知識としての歴史はフェイクである。学校の教壇で教えられた歴史。歴史書の中の歴史。歴史家の説く歴史。記録や資料の中に残されている歴史。それらは全てフェイクである。もっとも正当な歴史は、記録されざる歴史、語られざる歴史、後世の人が何も知らない歴史なのではあるまいか。ページ120
記録された歴史なるというものは、記録されなかった現実の正体に比べたら、宇宙の総体と比較した針先ほどに微少なものだろう。宇宙の大部分が虚無の中に飲み込まれてあるように、歴史の大部分もまた虚無の中に飲み込まれである。ページ121
ニーチェが「悲劇の誕生」においてアポロン的なものディオニソス的なるものを対置させて、芸術を分析した事は有名である。アポロン的なるものは理性的で、静的で、明晰で、秩序を求めるのに対し、ディオニソス的なものは、本能的、感情的で、ダイナミックな爆発性を秘めている。それは、熱狂と興奮の中で混沌に向かう。前者は冷たく、後者は暑い。前者の代表的芸術として絵画があり、後者の代表として音楽と舞踏がある。両者が融合したものが演劇というのがニーチェの見方だった。ページ146
この世界には、下部構造が上部構造を作り出すという側面も確かにあるが、上部構造が下部構造を破壊したり改変していくと言う側面がそれに戻らずあるというのが、昔も今も歴史の教えるところではないか。ページ210
「黙示録」の時代、世界の終末は来なかったが、それを信じたキリスト教徒が世界を変えたように、観念は世界を動かすことができるのである。ページ212
アトス山に入って修道院巡りをした時、私は修道士たちから神の教えを聞かされたり、いろいろ説教じみた指導があるのではないかと思っていた。しかし予想に反してそういう事は一切なかった。修道士たちは、来訪者たちに本質的に無関心なのである。一夜の宿の面倒は親切見てくれる。だが、それだけである。ページ220
植民地を作ると、それらの市は例外なく「母市」たる親市と深い経済関係を結ぶから、植民地を作れば作るほど、ミレトスはそれらの都市の交易の中心都市として重きをなすことになり、急速に経済的に発展していった。そこにおいて何より重要だったのは、ミレトスの開運力、軍事力もさることながらミレトスの金融力だった。この頃、世界は初めて、本格的な貨幣経済に入った。経済が物々交換経済から、貨幣経済になったという事は、人類史上最も大きな曲がり角の1つを曲がったということである。それはインパクトの大きさにおいて、文字の使用開始と同じくらい大きなものを人類に与えたといっても過言ではない。ページ241
普通の哲学者の本では、あいかわらず「タレスは万物の元は水であると言った」としかでてこない。タレスの科学者としての業績をここに少し上げておくと、次のようなことが並ぶ。例えば、船を航海させるときは、夜北斗七星を見つけて、これが常に北の方向を示していることも覚えておけば方角を見失うことがないことと、その北斗七星の見つけた方が、彼の1番有名な著作「航海用天文学」に書かれている。…タレスが発見したのはそれだけではない。綿密な天文学的観測を継続的に行い、太陽軌道が傾いており、その傾きが毎日少しずつ変化しており、1年経つと元に戻るという太陽回帰現象を発見したのもタレスなら、昼夜の長さが等しくなる春分の日秋分の日がその太陽回帰現象からどのように説明できるかを明らかにしたのもタレスだった。1年を365日に分けたのも、1年を四季に分けたもタレスだったといわれる。ページ264