「米欧回覧実記2」(イギリス編)

「米欧回覧実記2」(イギリス編)を読みました。明治4年に明治政府の主要メンバーを含む総勢48名で、3年間、米国、欧州を視察した旅行記です。第二巻は英国の訪問記です。著者は、特にロンドン市の繁栄、アイルランドの景色が美しいことに感嘆しています。英国の工業だけでなく、宗教、政治体制や商業の組織(取引所、商工会議所、商業組合)を報告、吟味しています。細かいことですが、英国と似ている狭い国土での農業のありかたや製品の品質や輸送方法など、その後の日本貿易の基本となることを学んでいます。その真摯な態度に感銘しました。。先進国に学ばなければ日本が発展できないという渇望や焦燥だったのかもしれません。
それにしても地方の名士の歓待ぶり、庶民の興味津々、大歓迎をみると、他人事ながら当時の英国人の親切に感謝一杯です。さらにはビクトリア女王との謁見もありました。
彼らの江戸時代に学んだ教養や知識のベースが尋常でないことがわかりました。150年前の先人達の努力の上に今の日本があることを痛感しました。名著です。備忘します。

文明が進むと、宗教が説くところは失笑してしまうような点も多い。しかし、人の意識を導いて善行に赴かせ、本能的な理解を超えて人倫を守り、罪を犯さないようにさせるためには、宗教の力によらざるを得ない。ページ27
フランス人はあまり宗教にこだわらず、英米はこれを重んじている。自分が考えるには、宗教というものは今のところまだなくてはならないものである。ページ28
下院議員は与野党に分かれて議長席の左右に着席する。議長の右側に内閣の大臣席を設け、与党はこの右側に列席する。左側野は野党席である。ページ82
英国文明が進展するのは、改新派の政府の時に一歩進め、保守党の政府の時にこれを完全な形に仕上げて、自然に改良への方向に一貫性を保つ状況が生じるからである。これが国政に対して政党というものあが持つ最大のメリットである。ページ83
日本人は機敏な性質を持っている、だから考えることを嫌い、結局は進歩しない、この事はよく考えなくてはならない。ページ154
この水銀は加熱して使用はしないのだが、それでも水銀蒸気が発生し、その工程に携わるものは中毒して病気になりやすい。そこで20年前から銀を代用することを試みたが反射の程度がまるで違っていた。色々と工夫を重ねて、最近硝酸銀を使用することによって、水銀と同程度に反射する鏡の技術をついに発明した。ページ174
社内の人がいう所では、欧米諸国の大小の鉄工所で作る製品の寸法は、どの国も国際的な統一規格を用いている。したがって米国の機械を英国の工場で修理したり加工したりする場合も、寸法が合わないと言う事は無い。これが、互いに繁栄できる理由である、と。79ページ
東洋の場合、男性はおおぴらに酔うことを豪快だとし、女性はタバコを吸うことで魅力的に見えるとしているし、色欲についても風流なことをするが、それは西洋の文明国では最も卑しむべきことだと考えている。ページ191
…その損害は所詮は自分に返ってくるものである。西洋の会社が、長いこと貿易の利益を確保し、さらにますます盛大になっていく所以は、彼らが製品の製造十分心を使い、またきちんと荷造りして、機会で束ね、包み、油紙で湿気を防いだり、あて金を当てて束を固くしたり、圧板の箱に入れたり、その箱に隙間がないように充分注意し、あるいは補強の木材をくぎで打ちつけたりするからである。ページ195
…今、これに対して簡易な訳をつけようと、とりあえず「商人の集会所(取引所)」、「商人の会議所(商工会議所)」、「仲間の会合所(同業組合」、としてみたのであるが、東洋には全く存在しない組織であるから、これらがそれぞれどのような目的で作られたものか、理解できないであろう。この組織の必要性を日本人が感じていないということこそ、日本人が商工業の興産や貿易の交流の事について大変迂闊であることをはっきり物語ることなのである。ページ217
大体人間社会のあらゆる事は皆そうした「会社」として成立している。1つの家族は肉親の「会社」であり、また、主人と使用人とで構成される「会社」である。その「会社」が発展して、民事の「会社」ができ、さらに商業的な事業活動を敏速、かつ手広くを行うために商業の「会社」が作られる。ページ218
英国の都市や地方を観察すると、ロンドンのウェストミンスター周辺では、王権の威光が行き届いていて、立憲君主制の価値が高いことを感じる。ロンドンのシティや各都市を見ると、企業の自由が確立していて、あたかも共和制のようである。田園地帯を回ると貴族豪族の権利が大きく、貴族の専制の様子も見える。かつて英国人が三様の政治を合わせて行っているのがイギリスの政治であるというのを聞いて不思議に思ったものであるが、その土地で実情を観察すると、ここには一種の絶妙のバランスがあるということを感じた。ページ220
…人生の快楽を欲しいままにしているといえるのではないか。そもそもこの閑静な環境で考えることから、喧騒の巷での活発な活動が生まれる。また、その喧噪な巷での状況がわからなければ、閑静なところで頭を働かせることもできまい。こうして田園や山地などを遊覧すると、西洋についての認識は大いに新まる。都市に留学しているものが、この田園の状況を体験することなく西洋文明を論じるのは、「一斑から全豹を説く」というように、ごく限られた知見によるよって巨大な全体像を論じるようなことであろう。ページ263
国に歴史学が盛んになれば、はるか数千年前の事柄についても追求して事実を確かめようとするものである。ごく些細なふしぎなこと、ごくちっぽけな変わった器物についてもまた、尊重するのは、これこそ優れた文明の姿勢なのである。ページ268
英国が富強を持って世界に名高いのは、その民衆の性格として自立心がたくましく、法律をきっちりと守って、仕事によく励むからである。ページ279
とりわけ化学や物理などの分野については、一般の人は知らない場合が多い。西洋の工業技術が盛んなのは、細かく分業が行われているからである。何でもできる人が多いからではない。ページ317
(ソールテア村は)アルパカの紡績業を始めて以来、商工業者が数多くこの地域に集まり、ついには1つの村ができ、今は人口5000人を超える大きな村となった。ページ329
大体英国人は海外を渡航し回っていて外国事情に通じているのもというのであるが、自ら旅して外国をよく知っているものは、10,000人のうちの1人2人に過ぎない。特に地方では外国人を珍しがること、この通りである。ページ341
要するに東洋人は具体的な体験においで優れており、西洋人は技術理論に秀でている。東洋では手練の技を得意とし、西洋では機械の技を得意としている。日本の農業を理論的に説明しても幼稚な論理にしかならないし、日本の農業器具を見せれば機械ともいえないような代物だと笑われるけれども、これとで、一得一失なのである。我が国のようなところで緻密な農業行う際、結局狭い土地に多くの人の労働と知恵を注ぎ込む、あらゆる点に周到な手を尽くして、技術と熟練が完全に相まってのち、初めて篤農家の地位を確立できるようになる。ページ440
ただ、ロンドンは世界の原料の取引市場として規模が大きいので、農作物など一次産品の豊富な国にとっては、ロンドン貿易の状況に深く注意する事は、今大切なことであると思う。その国内の政治、国民生活の現状については、まだわが国が急いで参考にするようなところはない。ページ445