秘すれば花

風姿花伝」です。有名な「秘すれば花、秘せずば花なるべからず」の解釈は、秘めるからこそ花になる、秘めねば花の価値は失せてしまう、奥ゆかしい方が美しいという解釈が多いように思います。すべてを見せずに、ほんの少しのことを象徴的に表現し、観客の想像で、表現に膨らみを持たせようとする演劇論であるという解釈です。「処世術は世阿弥に学べ!」で、土屋恵一郎氏は、もっと積極的な言葉であると、以下のように解説しています。


…だれも想像してなかったことをやって、相手を圧倒してしまうことである。隠し芸といった言葉もあるが、世阿弥にとっては、ただの隠し芸ではなく、芸の本質にかかわることであった。勝負の根本にかかわることであった。…現代のまっただなかで、「秘すれば花」の言葉が生きている。…勝負の時の武器として、「花」が、秘められた「花」が必要なのだ。それ以上に、あなたの人生の可能性を拡張していくために、秘すほどの花を見つけることが、絶対に必要である。

このほうがしっくりするような気もします。ほかに痛いことばを二つ。


「上がるは三十四、五までの頃、下がるは四十以来なり」(上手になるのは34歳か35歳までのことである。40歳を過ぎれば、ただ落ちてゆくばかりである)

「後ろ姿を覚えねば、姿の俗なるところをわきまえず」(自分の後ろ姿を見ていないと、その見えない後ろ姿に、卑しさが出ていることに気がつかない、それがいけない)…リーダーになればなるほど、自分の姿を客観的に見ることはできなくなる。前しか見てないからだ。つい後ろを忘れる。自分の後ろ姿を忘れるどころか、自分の後ろに誰もいないことにさえ気がつかなくなる。

企画書の完成はまだまだ。なかば、呆然。