日本辺境論

「日本辺境論」を読みました。数年前の話題作です。随分前に購入したのですが、今日、読んでみました。面白い論です。日本人だからこの本の意味が分かります(笑)。日本は、中華ではなく、辺境だが、辺境にもよいところがある、開き直ってもいいじゃないか、と読めました。備忘します。

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)

ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを…「辺境人」と呼ぼう。(P.44)
例えば、日本は律令制度を導入しながら、科挙と宦官は導入しませんでした。…多分、無意識的な「ふまじめさ」。これはもしかすると、辺境の手柄の一つかと私は思うのです。(P.67)
「世界標準に準拠してふるまうことはできるが、世界標準を新たに設定することはできない」、それが辺境の限界です。(P.97)
私は、こうなったらとことん辺境で行こうではないかというご提案をしたいのです。(P.100)
人が妙に断定的で、すっきりした政治的意見を言い出したら、眉につばを付けて聞いたほうがいい。…というのは、人間が過剰に断定的になるのは、たいていの場合、他人の意見を受け売りしているときだがらです。(P.110)
「なんだかわからないものに」に出会ったら…とりあえず、融和的な態度を示す。そのままぼんやりと放置しておく。そして、誰かが、「これはすごい」と言うと、たちまちそれが集団全体に感染する。(P.152)
「学ぶ」力こそは日本の最大の国力でした。…ですから、「学ぶ」力を失った日本人には未来がないと私は想います。現代日本の国民的危機は「学ぶ」力の喪失。つまり辺境の伝統の喪失なのだと私は考えています。(P.190)