古事記を旅する 第三部

古事記を旅する」第三部「ヤマトを巡る街道」を読みました。淡路島から大阪、奈良近辺探索の旅です。オノゴロ島からはじまり、大阪の仁徳陵、奈良の垂仁陵、神武陵から宇治までの歴史遺跡を辿っています。天皇家の栄光と敗れたものの悲哀を勉強しました。備忘します。

古事記を旅する

古事記を旅する

…邪馬台をヤマタイと訓むのは間違っているということだけは主張しておきたい。音読される文字なのだから、いずれの漢字も一音で訓むべきで、とすれば、ヤマトと訓むのが妥当である。…邪馬台国は、三輪山麓あるいはその近辺の、ヤマトと呼ばれる地にあったとするのがもっとも自然な理解だろう。(p.248)
タヂマモリが大君から採ってくるようにと命じられたのは、永遠に輝きわたる木の実だったのである(タチバナ)…(p,250)
橿原神宮は、東の明治神宮と同様、近代国家の象徴として祀られることになった、まさに近代天皇制のメッカなのであり、新しいのは当然である。(p.256)
…こうした滅びの美学とでも呼べる伝承を語り伝えるところに、古事記という作品の本質があるといってよい。(p.268)
宇治川には皇位を狙って失敗したオホヤマモリの伝承が語られている…オホヤマモリが殺されたあとは、オホサザキとウヂノワキイラツコとn争うになるはずだが、この2人は奇妙なことの位を譲り合う…(p.302)