「古事記を旅する」第二部「東へ向かう海道」を読みました。これで、この本はおしまいです。非常に良い本だと思います。永久保存本にします。
天孫降臨の九州高千穂から、神武天皇の東征、瀬戸内海を抜けて熊野、伊勢、熱田神宮へ。ヤマトタケルの走水、富津、霞ヶ浦の旅です。太平洋側は歴史的な深みがないように思えます。備忘します。
- 作者: 三浦佑之
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2007/04
- メディア: 単行本
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大和朝廷は、北の蝦夷と南の隼人を、朝廷に附属しないものたちとみなし、討伐を繰り返してきた。九州南部が完全に掌握されえるのは、薩摩国と大隅国が建国される七世紀末から八世紀初頭と考えなければならない。(p.142)
…ウサツヒコ、ウサツヒメ…このように地名と同じ名前をもつ男女は、ほとんどの場合は兄と妹である。政と祭とのマツリゴトを兄妹が分掌する「彦姫制」という統治形態があった。邪馬台国の卑弥呼とその男弟との関係もその一例である。(p.147)
ワカタケル(雄略天皇)が没し…天皇家の跡継ぎが絶えた時だった。…まずはじめに弟ヲケ(顕宗)が即位し、その後を兄オケ(仁賢)が継いだ。五世紀末の出来事として伝えられているシンデレラ・ボーイの栄光の物語である。(p.159)
ある意味では、伊勢神宮と天皇家あるいはヤマト王権との関係は、それほど古いものではない。…
古事記の伝承の中に伊勢神宮が登場するのは、一カ所だけである。それはヤマトタケルが東征に出発する場面である。(p.173)
…犠牲になったオトタチバナヒメを偲んで「アズマはや(わが妻よ)」と嘆いたことに由来する。古事記では、その東国をアヅマと呼ぶようになったと語っている。(p.198)