人望の研究

20数年前、一度読んだ記憶があります。私は、人望ある人にはなれないと思いました。日本では、「人望がないから」の一言でその人の前途が絶たれると言ってます。人望を得るには? 中庸が大事で、その習得にはたくさんの努力が必要だと説いています。日暮れて道遠し。…当時の無党派連合、中山千夏さんのことが書いてあり、失笑しました。備忘します。

「駄目だなあの男は人望がないから」日本社会では、この一言でその人の前途は断たれる。その人がいかに有能であってもダメ、そしてこの言葉には反論の余地はない…ページ16
中山、矢崎両氏は他を批判するときには実に無礼、粗暴、尊大だが、自らを示すにあたって、また自らの意図を語るにあたっては、実に率直でない。ページ39
おそらく、これらも中国思想の文化的共鳴現象と思われる、徳川時代にも名君と言われた人、もしくはそれを気どる人は、そういう粗衣粗食、人民と同じであることを誇りにした。そして現代でも名経営者は、しばしば全日空会長であった岡崎嘉平太氏のようにぼろ家に住み、土光俊光元経団連会長のようにメザシを食べていると、人望があるのである。ページ48
…自ずから人望のある人に学ぶことによってなれるということから、人徳がないとか、人望がないと言われる人も、それは決して生まれながらの性格や性質によるのでなく、このことを学ばず、したがって習得していないに過ぎない。ページ76
人間がいかに自らの欲に弱いかは、詐欺師が常に存在することで明らかであろう。被害者は相手に騙されるのではなく、自らの欲に騙される。その証拠に、詐欺師が絶対に歯が立たない人がいる。それは無欲な人で、無欲の人は詐欺にかからない。ページ82
まず「克伐怨欲」を脱し、詐欺的策略を用いることなく、率直に自己を表現し、「喜怒哀懼愛悪欲」の七情を抑制し、上下を批判しながら「中か己をゆるす」という形で自己に甘えることなく、それによって支えられている、つまらないプライド、自負心を除き「無欲則静虚動直」の状態になる。ページ100
そして「中庸は徳至れるもの」なら高次の常識人とは、人徳があり、人望があるものの意味になる。ということは「中庸こそ人望の不可欠の要件だ」ということである。ページ122
…子が若いときには自由を与えず、その愚かな行為を見過ごすな。子が若いときには背を屈ませ、まだ子供の頃から、脇腹を叩け。そうしないと彼はあなたに背き、言うことを聞かず、あなたを悲しませるであろう。子を育て、作り上げよう、そうしないと彼の無礼を忍ばなければならなくなる。ページ151< <