ギグ・エコノミー来襲

「ギグ・エコノミー来襲」を読みました。「ギグ」とは「一時的な」というくらいの意味です。今、米国では正規雇用の労働者が減って、一時的、不定期な独立事業者、フリーエージェントが増えているそうです。その実態分析の本かと思いましたが、さにあらず、本書は個人でコンサルタントを始めるための指南書でした。具体的には、「自分のブランドを確立する」ための自己分析のやり方(SWOT分析)や、リンクトインTwitter の使い方まで述べてます。コンサルタントの一日の料金は、年収の1%が目安だとのこと、参考になりました。日本語訳が練れていないのが気になりました。備忘します。

ギグ・エコノミー襲来 新しい市場・人材・ビジネスモデル

ギグ・エコノミー襲来 新しい市場・人材・ビジネスモデル

  • 作者: マリオン・マクガバン,斉藤裕一
  • 出版社/メーカー: CCCメディアハウス
  • 発売日: 2018/11/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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ギグエコノミーとは従来の雇用とは異なる一時的な仕事を不定期でする人々が増えるようになってくることから生まれている経済的価値を指す。ページ49
企業のすべての活動を一連のプロジェクトに分け、過不足のない労働力を投入してこなすと言う考え方は、かつては理論の上だけにとどまると考えられていたが、労働市場の効率化が進んだ現在、その理論は現実になり得る。ページ83
あなたのブランドとは、あなたが部屋にいないときに他の人たちがあなたについて言うことだ。ページ105
コンサルタントとしての独り立ちには一連のリスクが伴う。独立に踏み切る前に考えるべき問題は、大きく3つある。まず誰かが買おうとする専門能力を本当に持っているか。…売れる能力を持っているなら、2つの問題について考えることになる。1つはどれだけの年収が必要か。もう一つは自分のライフスタイルを維持しているだけの市場があるか。ページ107
独立コンサルタントは自分自身の会社のCEOなので、この欠点は致命的になりかねない。数々の理由から、顧客にノーと言う必要があるからだ。第一に、顧客に対して間違っていると言えなければならない。…第二に、顧客からプロジェクトの範囲外のことを求められた場合には、そのことを相手に伝える必要がある。…そしてもう一つ、顧客から自分の領域外の仕事を頼まれた場合にも、やはりノート言う必要がある。ページ112
業種を問わず、ブランディングは中核にある価値に基づく。簡単に言うと、あなたのブランドとは、あなたの存在が意味するものに他ならない。あなたは、どんな価値を提案できるのか。あなたが提供するサービスに、顧客はどのような有形無形の特質を見いだすのか。あなたのブランドは、顧客に対してどのような相互作用を生み出すのか。その相互作用を踏まえて、あなたはどのようなブランドパーソナリティー(ブランド個性)を持つのか。ページ114
価値提供は要石のようなものであり、慎重に賢く練り上げる必要がある。・満たそうとするニーズ ・そのに対処するアプローチ ・そのニーズを満たす上での費用対効果 ・そのニーズを満たす上で市場に存在する競争  この4つの側面から自分の仕事を捉えることによって、価値提案が固まり、市場における自分のポジショニングにつながる。ページ120
LinkedIn 世界で数億人が利用するLinkedInは、今やあらゆるコンサルタントにとって必須だ。ページ131
Twitterについて学ぶ  初めて使う人は、まずTwitterの仕組みを知ろう。とにかく、自分に最も合うと思うものを選んで取り掛かろう。それが済んだら、自分のプロフィールを完成させる。ページ136
必ずリプライする  あなたに対するツイートや、あなたのことに触れたツイートがあったら、必ず謝意を伝えて会話が続くようにしよう。リツイートされたら(お気に入り)に入れておくようにしよう。会話に入ってくる人が増えることになるからだ。ページ138
1%ルールが役立つ この点についても私は最初の本で有用な目安として取り上げた。1日の報酬は、年収の1%相当が適当だ。…ただし料金を左右するのは自分の格などではなく、仕事の中身であると言うことを忘れないようにしよう。ページ154
売り込みの鍵は、その商品を信じることにある。自分は顧客に成果を提供できると本当に信じていれば、結果はついてくる。ベテランのコンサルタントたちは、そうした形で仕事を得ている。ページ158
あなた自身の業界団体やデジタルコミュニティーに、若手世代のインデペンデントワーカーの相談に乗れる場があるかもしれない。統計データは、ギグエコノミーに加わる働き手が大きく増えるであろうことを示している。彼らが成功を収められるように、手ほどきをするべきだ。ページ289

ソーシャル・ビジネス革命

「ソーシャル・ビジネス革命」を読みました。グラミン銀行ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏の著作です。冒頭に、グラミン銀行設立の動機と奮闘について短い紹介があります。人間は、「利己的」であるが「利他的」でもある存在だから、利益最大化の目標だけで、経済全てが説明できるわけではないと論じています。社会問題(貧困など)の解決には、非営利組織(NGOや慈善団体)だけでは持続性が乏しいので、この「ソーシャル・ビジネス」を考えついたそうです。「ソーシャル・ビジネス」は、社会や会社の「思いやり」で資本をあつめ、「利益」という魔法の杖を使って、社会問題を解決する仕組みです。資本主義の原理に則り社会問題を解決する仕組みです。現実的で実行可能な考え方に感服しました。備忘します。

ソーシャル・ビジネス革命―世界の課題を解決する新たな経済システム

ソーシャル・ビジネス革命―世界の課題を解決する新たな経済システム

ソーシャル・ビジネスの投資家の目的は、金銭的な利益を得ずに他者に手を貸すことだ。しかしビジネスというくらいだから、ソーシャル・ビジネスは持続可能でなければならない。つまり、経費を穴埋めできるだけの収益を生み出す必要があるソーシャル・ビジネスの利益は、一部がビジネスの拡大に再投資され、一部が不測の事態に備えて留保される。従って一言で言えばソーシャル・ビジネスは、社会的目標の実現のみに専念する「損失なし、配当なしの会社」と言えるだろう。ページ19
NGOには確かに世界中で素晴らしい取り組みを数多く行っているが、慈善モデルには特有の弱点もある。私が代替策としてソーシャル・ビジネスという概念を築き上げたのはそのためだ。寄付に頼るのは、組織の持続可能な運営方法とは言えない。NGOのリーダーは資金調達に膨大な時間、労力、資金を注がなければならないし、たとえ資金調達に成功しても、大半のNGOは慢性的な資金不足を抱えており、効果的なプログラムを拡大するどころか、維持することにもないならないからだ。ページ37
…それは、「ソーシャル・マーケティング」という言葉だ。これは70年代に社会学者によって生み出された考え方であり、ビジネス・マーケティングの手法やテクニックを用いて人間の行動を変える、社会に利益をもたらす活動を表す。…名前は似ているが、この種のソーシャル・マーケティングは私の考案したソーシャル。ビジネスとは一切関連はない。ページ40
したがって、私はソーシャルビジネスの設立や参加を誰かに押し付けるつもりはない。しかし、ソーシャル・ビジネスは決して利益を追求したり、所有者に配当支払ったりするものでないという点だけは明記しておきたい。ページ46
今、私たちはワクワクするような時代に生きている。私たちは、ソーシャル・ビジネスを通じて世界に驚くべき良い変化をもたらす絶好の時代を迎えています。…さらに、現代の危機は新しい解決策を大胆に試すチャンスとも言える。ソーシャル・ビジネスは、過去の手段と比べて世界を変えられる大きな可能性を秘めている。なぜならソーシャル・ビジネスの考え方は強力でありながら、柔軟で融通がきくからだ。ソーシャル・ビジネスは誰にも何も強制しない。選択の自由を狭めるどころか広げる。 資本主義制度にもうまく収まり、市場に無数の新規顧客をもたらす可能性を秘めている。既存のビジネス構造を脅かすどころか、活性化させる方法を提案している。ページ66
グラミン・ダノンの場合、目標はバングラディッシュの人々、特に子供の栄養状態を改善することだった。その目標を実現しやすくするために事業計画を変更するのは構わないが、目標を捻じ曲げたり、目標から遠のいたりするような変更は悪い変更だ。この基準があったからこそ、グラミン・ダノンは最初の数ヶ月で様々な意思決定を行うことができたのだ。ページ91
利益は必要条件としては重要だが、最終目的にすべきではない。市場の需要と自分の能力を照らし合わせて、利潤を最大化する方法を探すのではなく、それとは全く違う人間の本能が出発点となる。それは「同情心」(思いやり)だ。ページ100
サービスを提供してソーシャル・ビジネスの目的を満たせるという自信があるなら、一歩踏み出そう。世界に名だたるソーシャル・ビジネスにならなかったとしても、立派なソーシャルビジネスには違いない。重要なのは成功させること。どんなに大胆なソーシャル・ビジネスを計画しても何ヶ月も何年も成功しないまま格闘し続けるのでは、苦しいだけだ。 それこそ一番の過ちだ。ソーシャルビジネスを楽しもう。私たちの掲げる基本原則の1つに、「楽しむ!」というものがある。このモットーを心に留めて日々実践しよう。貧しい人々のニーズを明らかにする際には、話をやたら複雑化しないこと。…単純に考えよう。ページ103
…私は明暗が浮かんだらすぐに実行に移すべきだと考えている。「考えすぎると動けなくなる」という言葉には一理あるのだ。新しい物事を始めるとき、私はできるだけ多くの情報を集める。しかし一旦集め終わったら、思い切って1つ2つ実験を行うのが一番だ。ページ129
ソーシャルビジネスは、営利企業と同じ労働市場から人材を引きつける必要がある。ということは、一般企業に匹敵する給与や福利厚生を与えなければならない。ソーシャル・ビジネスには優秀な経理担当者、マーケティング部長、製造責任者が必要なら、銀行、自動車メーカー、コンピュータ会社と同じ待遇を与えなければならない。ページ136
…ソーシャル・ビジネスの真のパワーは、別のところにある。個人や少人数でも、大企業よりはるかに少ない予算で小さなビジネスをはじめ、ゆくゆくは社会的に影響を与えるビジネスに成長させるチャンスがあるということだ。ページ147
ソーシャル・ビジネスの設立に非営利組織の法的構造用いない最大の理由は、非営利組織には所有者いないからだ。株式も発行できない。しかし、ソーシャル・ビジネスには通常の営利企業と同じように所有者がおり、株式の発行や売買を行うことができる。所有権こそがソーシャルビジネスの大きな特徴だ。ページ177
衣料品会社が医療に関わるというと想像がつかないかもしれないが、日本企業のユニクロは、バングラデシュで衣料品の製造を行うソーシャル・ビジネスを設立し、健康面のメリット届けようと考えている。ページ247
ソーシャル・ビジネスは、急成長する強力なテクノロジーを利用して貧しい人々の境遇や地球環境を改善し、社会を一変させる力を秘めている。さらに、新世代の若者の想像力、責任感、利他心を解き放ち、活かす方法でもあるのだ。ページ273

芸術起業論

「芸術起業論」を読みました。身も蓋もない芸術論です。「売れた作品が良い作品」と言い切っています。面白いです。日本でそれ言ったら嫌われるだろうなあ…。世界の標準では、芸術品の購入動機は、見せびらかしか投機だと言ってます。「なんでも鑑定団」の世界ですね。マチスは天才だが、ピカソは、ストーリー込みで売り込んでいる、だからピカソは消費され後世には残らないかもしれないとの意見です。つまるところ芸術家も商売です。趣味では時間が勿体無い、もっと正直に「金稼ぎたい」というべきです。商売になるのは美大に入るための予備校、成功は大学教授! この著作から10数年、日本の美術界に変革の波は来たのでしょうか? 備忘します。

芸術起業論 (幻冬舎文庫)

芸術起業論 (幻冬舎文庫)

芸術の世界に組み込めば踏み込むほど、アーティスの目的は人の心の救済にあるのではないかと感じるようになりましたが、それなら自身の欲望はっきりさせなければなりません。芸術家は、欲望とどう付き合うかを強く打ち出さなければならないのです。ページ11
身も蓋もないものにはお客さんが乗れる雰囲気があるのです。熱量のある雰囲気がなければお客さんはつかないというのは、自明の理なのです。ページ18
つまりビジネスセンス、マネジメントセンスがなければ芸術制作を続けることはできないのです。ページ19
マルセル・デュシャンが便器にサインすると、どうして作品になったのでしょうか。既成の便器の形は変わらないのに生まれた価値はなんなのでしょうか。それが「観念」や「概念」なのです。これこそ価値の源泉でありブランドの本質であり、芸術作品の評価の理由もにもなることなのです。繰り返しますが、認められたのは「観念」や「概念」の部分なのです。ページ20
金銭を賭けるに足る物語がなければ芸術作品は売れません。売れないなら西洋の美術の世界では評価されません。この部分を日本の芸術ファンは理解できない、理解したくないんです。ページ23
僕は、自分の作品が理解される窓口を増やすために、自分や作品を見られる頻度を増やすことを心がけています。媒体に出る。人に晒す機会を増やす。大勢の人から査定してもらう。ヒットというのは、コミニュケーションの最大化に成功した結果です。ページ26
芸術で未来を開拓したいのならば芸術の状況を客観的に見なければならないのですが、日本では客観的に作品を判断する「批評」が存在していません。これは大きな問題です。欧米での芸術の仕事を通して僕が実感しているのは「本当の批評は創造を促す」ということです。ページ36
営業しなければものは売れない。待っているだけでは状況は変わらない。つまり芸術作品は自己満足であってはならない。価値観の違いを乗り越えてでも理解してもらうという客観性こそが大切なことなんです。価値観の違う人にも話しかけなければ、未来は何も変わらない。こういう世界共通の当然の話が、日本の若いアーティストの頭から抜けている…。ページ38
ぼくは44年の歴史に、最近300年ほどの日本の美術の歴史の文脈を用意周到に関連づけてみました。これは特別なことではありません。個人の持つブランドを商品にすることは、現実の世界で行われ続けています。ページ75
芸術作品の現実は「投機対象になる商品」ですから。流通市場を見据えて作品制作の過程から何をどうして仕込んでいくのかが勝負になると思います。そこでは当然、大勢の人が関わったほうがいい作品になります。ページ130
日本人の説明は真面目一辺倒でつまらなくなりがちですが、ものを伝えることは娯楽だと割り切らなければなりません。興味を抱かせて、楽しませて、引き込んでゆく。文化の違う国とビジネスをするときにはただありのままの説明だけでは不十分です。作品からは1つではなくいくつものセールスポイントを提供できなければなりません。ブランド化できるかどうかはそこが分かれ目だと思うのです。ページ135

床ずれ博士の在宅介護

「床ずれ博士の在宅介護」を読みました。10年前の本です。褥瘡学会を立ち上げた日本の権威です。それまでの誤った治療法に異を唱え、褥瘡治療の原理原則を打ち立てました。最近の「褥瘡ガイドブック」「在宅・褥瘡予防・治療ガイドブック」によると、先生の主張通り、間違った治療法の訂正、新しい有効な治療法がいくつも載っていました。結果として褥瘡の著しい改善が報告されています。本書で、体圧分散マットレスの使用は必須で、マットレスが良くなければ治療はおぼつかないと喝破しています。備忘します。

床ずれ博士の在宅介護 (朝日新書 93)

床ずれ博士の在宅介護 (朝日新書 93)

車椅子やエアマットは、患者さんの体に直接触れるものです。もし体に合わないものを使った場合には、簡単に床ずれの原因になってしまいます。…床ずれを予防すること、あるいはできてしまった床ずれを治療していくことが、介護においては最も重要なポイントであると言っても過言ではありません。ページ44
介護職や看護師の適切なケアと体位交換、床ずれを作らないために優れた体圧分散マットレスの使用が必須条件なのです。また、栄養不足も床ずれにつながるので栄養管理をきちんと行うことも重要です。ページ107
傷口が開いた状態では、じゅくじゅくとした浸出液が出ます。消毒剤はこれに接するとすぐにその効果を失ってしまいます。消毒薬をつけても細菌は減少しません。むしろ、正常な働きをしている細胞まで破壊してしまうため、傷口を直そうとする働きをも止めてしまうのです。こうした傷の場合には、生理的食塩水や水道水で充分洗浄する方が、効果あります。そのあとで湿潤環境を保つための治療を行うのです。ページ116
床ずれは、基本的に何かが体と接触することで起きるものです。体に接触するものを、床ずれを起こしにくいものにすることが予防と治療に繋がることになります。例えば、寝たきりの患者さんにとっては、24時間ずっと体を密着させているのはベッドのマットレスです。マットレスがいいものでなければ、いくらいい治療や看護行っても床ずれは良くなりません。ページ126
ベッドと同様、患者さんの体にずっと接触しているのが車椅子です。車椅子も同じく、患者さんの体にあったものを選ぶべきです。患者さんの体の角度などを測りながら、体に合わせた形にできる高機能な車椅子(module type =調整型車椅子)も開発されていますので、体の状態を見ながらレンタルしていきましょう。ページ130
どんなに高齢であっても、最後までよりよい生活をしようと思ったら、やはり離床して自分で動けるようになることです。とはいえ、寝たきりに近いお年寄りを無理に歩かせ、運動続けさせてもらおうとしても、それは極めて難しいことです。特に目的もなく、ただ「やりなさい」と無理強いするようでは長続きしません。それどころかお年寄りに嫌がられ、そっぽを向かれてしまうことさえあるでしょう。お年寄り自身に生きたいいという気持ちを持って努力してもらうことは、なかなか難しいものです。確固たる宗教を持ってる人、あるいは信念を持っている人は良いのですが、日本人では少数派です。ページ212

呆けたカントに理性はあるか

「呆けたカントに理性はあるか」を読みました。著者は東大名誉教授の現役医師です。デカルト、カントの哲学は理性と情動を分けて考えるが、最近の科学が明らかにしたのは、理性と情動は同一に近く、人間と他の動物は同じだそうです。認知症患者が判断力を失い、動物に近くなっても「好き」「嫌い」の情動は長く残ると指摘してます。現在、認知症患者から直接「胃ろう」の了解を得ないで、家族や医師の決定で実施しています。認知症患者をまるで家畜のように扱っています。認知症患者にも「好き」「嫌い」の情動があるから、かなり認知症が進んでいても「胃ろう」の判断は本人ができると主張しています。「呆け」は、私ごとです、他人ごとではありません。そうなったらどうしよう!と考えながら読みました。備忘します。

呆けたカントに「理性」はあるか (新潮新書)

呆けたカントに「理性」はあるか (新潮新書)

彼女の祖父は死を迎えるから食べなくなったのです。食べないから死ぬのではありません。この事実を彼女の母親は理解しており、彼女は理解できなかったのでした。ページ35
つまり自分の体、特に生死に影響するような、生存に直接関わる事柄について「好き」「嫌い」を表明する能力は、その人固有の能力で、最後まで保持されます。ページ54
「好き」「嫌い」の問題は、本書における最重要ポイントですから、もう一度まとめますと、生存に有益な環境刺激(情報)に向かう行動には「快」「好き」という内部感覚が生じ、有害な刺激から逃れようとする行為には「不快」「嫌い」という感覚が生じている。その内部感覚も、行動も、さらにそれを起こしている生理的変化も全て含めて「情動」というのです。ページ60
集団対集団、特に敵対関係にある集団同士では、自己の属する集団の立場を正当化し、相手手段は憎むべき当然罰せられるべき対象とみなすような心理教育がなされるのが特徴です。集団間で戦闘行為を行う場合に極端な形であれば現れます…。ページ65
デカルトやカントに代表される哲学の考え方は、人間には動物にない理性という能力が本来的にあり、物事を判断し、普遍的知識の獲得を可能にさせられるというものでした。そういう意味で彼の哲学を「アプリオリ哲学」と呼べましょう。これに対して、生物進化という何十億年に渡る生物進化の軸に沿って考えました。…いろいろな生物が示す環境からの刺激・情報に対する反応の意味も明らかになってきます。 大雑把に分けると、生物にとって「快」と感じる刺激情報は生存に役立つものであり、「不快」と感じるものは役立たないのでした。ページ82
現在、日本では数十万人の認知症高齢者に胃ろうが設置されていると思います。私たちの調査では認知症であっても、言語的意思疎通が可能な時期に胃ろうについて意向を聞いておけば、圧倒的な割合で胃ろうを拒否していた可能性が高いことを強く示唆します。人生の終末にある方達に、その意向を尊重した、苦痛のない、平穏な看取りを私たちは用意できるのです。ページ174

逆境の中にこそ夢がある

「逆境の中にこそ夢がある」を読みました。5月に熊本で、明治製菓の大先輩、化血研の木下理事長から紹介された本です。痛快な成功譚です。現、熊本県知事、蒲島郁夫氏(1947年生まれ)の自伝です。ワクワク、ドキドキして読みました。1954年生まれの私には、この「青雲の志」がよくわかります。貧しいが、将来は明るいと単純に信じていた時代でした。読んでいる最中、私自身、蒲島さんのように大成功はしませんでしたが、自分なりに良くやったと勇気づけられました。これまでの人生に後悔は感じませんでした(笑)。
熊本の農家、貧乏人の子沢山で極貧の生活の描写から始まります。満州で警察官をしていた父が日本に戻ってから仕事をしないこともあり、食べるものにも事欠く生活です。新聞配達をしながら何とか高校を卒業して、会社勤めするものの1週間で退職。その後、農協職員になるも、米国の農業研修のために退職。二年ほど農奴のようにこき使われて、帰国しました。やはり米国で勉強したいと、お金も無いのに留学、豚の精子の保存法の研究で博士号を取得しました。そこから驚いたことに、政治学を学ぶためにハーバード大学に入学、奨学金とバイトで卒業します。帰国後、政治学筑波大学教授、東京大学教授になりました。絵に描いたような出世物語です。たまたまの連続で成功したように書いてありますが、そんなことはなくて多分蒲島さんの人柄が良かったのでしょう。彼自身の言葉では「夢を叶えるには、夢に対して一歩だけ前に踏み出すことが大事。この一歩を踏み出せるかどうかで人生は大きく変わる。人生には誰でも5回の大きなチャンスが来るが、そのチャンスに一歩踏み出せるかどうかだ」と述べておられます。
本書はここまでですが、その後、2008年4月16日、熊本県知事になりました。本書は2008年2月の出版なので、選挙対策用の自伝だったのかもしれません。備忘します。

逆境の中にこそ夢がある

逆境の中にこそ夢がある

…考古学クラブでは原口先生から色々なことを教わったそんな原口先生の口癖は、「人生は短い」である。そして、その言葉のあとに、きまって次のようなセリフを付け加えた。「何でもいいから自分の歴史を残しなさい」この言葉は、その後私の頭の中で何度も繰り返される言葉となった。ページ89
夢に向かって歩み続けるには、夢を追うだけで、実際には何もしなかったこれまでの自分を、どこかを境に変える必要があることを私はこの時実感した。すでに記したように、私は当初「様子見入学」の資格であったからこそ、大学に残るため120パーセントし力で、人一倍努力したのだ。一度でも構わない。120パーセントの力を出してみるといいだろう。必ず結果が残って、今度はその結果を落とさないために、その力で頑張るのがベーシックになるのである。ページ164
そしてハーバードで、私のような貧乏学生にも、差別を一切しないで暖かく接してくれた人たちは、皆それぞれ競争勝ち抜いて成功している。これは決して偶然ではないのだ。そのように優しい気持ちを持っているということは、成功の条件の1つなのである。ページ202
このように一つ一つのピースが繋がりあっているから、1つ欠けても今の私が成立しないのだ。そして、このように人との出会いを大切にできたのは、私自身が、回り道が多い人生だったからではないかと思っている。回り道には、その回り道を必死になって走っていれば、必ず助けてくれたり一緒に走ってくれたりする人物がいるのだ。私の人生はまさにそうである。ページ211
本書で私が最も伝えたかったのは、逆境こそが人生の成功の鍵になるということである。私は子供の頃から貧乏という絶対的な逆境だった。人生のスタートラインがもともと他の人たちよりも、ずっと下にあったのだ。しかし、これこそがチャンスである。今いるポジションが悪ければ悪いほど、下であれば下であるほど、そこから飛び出せる距離は大きいのだ。逆境こそ、そういった大きな飛躍ができる幸せの源泉なのである。ページ229

ホモサピエンス全史

ホモサピエンス全史」を読みました。著者は、別著「ホモ・デウス」で、人間(ホモ・サピエンスが超人(ホモ・デウス)になることを予言していました。現人類は家畜同然になると。映画「マトリックス」の世界です。そんなバカな!が初めの印象でした。本書を読み、新しい視点で現生人類の歴史を眺めているうちに、突然、納得しました。「現人類は家畜になるかもしれない」生きているうちに見たくないのが本音です。
現生人類は、5万年前に突然変異で知恵がつき、言葉と虚構を信じる力で生物の頂点に立ったこと、一万年前に文字を考えつき、貨幣、帝国、宗教という虚構を使って、他の生物を滅ぼし続けていること、逆に、人口を増やすために、麦や稲の家畜になってしまったことを理解しました。資本主義も、個人主義も、自由主義も虚構と思い込みに過ぎず、幸福とは、生化学的な現象に過ぎない、言い切られると悲しいです。信じていた価値観をなぎ倒される感じです。著者には誘導したい価値観はほとんどなく、歴史学者として淡々と述べていることがむしろ怖いと感じました。若い人に一読を進めます。備忘します。

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

ホモサピエンスが新しい土地に到着するたびに、先住の人たちはたちまち滅び去った。ホモ・ソロシエンスの存在を示す遺物は、およそ5万年前に境に途絶えた。ホモ・デニソは、その後まもなく姿を消した。ネアンデルタール人が絶滅したの3万年前ほど前だ。最後の小人のような人類が、フローレンス島から消えたのが、約1万3千年前だった。彼らは数々のものを残していった。骨、や石器、私たちのDNAの中のいくつかの遺伝子、そして答えのない多くの疑問。彼ら私たちホモサピエンスという、最後の人類史もあとに遺した。…なぜ、強靭で、大きな脳を持ち、寒さに強いネアンデルタール人たちでさえ、私たちの猛攻撃を生き延びられなかったのか? すなわち、ホモサピエンスが世界を征服できたのは、何よりもその比類なき言語のおかげではなかろうか。上巻ページ33
このように7何万生何万年前から3万年前にかけて見られた、新しい思考と、意思疎通の方法の登場のことを、「認知革命」という。その原因は何だったのか? それは定かではない。最も広く信じられている説によれば、たまたま遺伝子の突然変異が起こり、サピエンスの脳内の配線が変わり、それまでにない形で考えたり、全く新しい種類の言語を使って意思疎通したりすることが可能になったのだという。その変異のことを「知恵の樹の突然変異」と呼んでもいいかもしれない。上巻ページ36
伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。それまでも、「気をつけろライオンだ!」と言える動物や人類種は多くいた。だがホモサピエンスは認知革命のおかげで、「ライオンは我が部族の守護霊だ」という能力を獲得した。虚構、すなわち架空の物事について語ることの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。上巻ページ39
認知革命の結果、ホモサピエンスは噂話の助けを得て、より多くて安定した集団を形成した。だが噂話にも限界がある。社会学の研究からは、噂話によってまとまっている集団の自然な大きさの上限がおよそ150であることがわかっている。ほとんどの人が、150人を超える人を親密に知ることも、それらの人について効果的に噂話をすることもできないのだ。上巻ページ42
効力を持つような物語を語るのは楽ではない。難しいのは、物語を語ること自体ではなく、あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらうことだ。歴史の大半は、どうやって膨大な数の人を納得させ、神、あるいは国民、あるいは有限責任会社にまつわる特定の物語を彼らに信じてもらうかという問題を軸に展開してきた。とはいえ、この試みが成功すると、サピエンスは途方もない力を得る。なぜならそのおかげで無数の見知らぬ人同士が力合わせ、共通の目的のために精を出すことが可能になるからだ。上巻ページ48
私たちの祖先は自然と調和して暮らしていたとする主張する環境保護運動家を信じてはならない。産業革命の遥か以前に、ホモサピエンスはあらゆる生物のうちで、最も多くの動植物種を絶滅に追い込んだ記録を保持していた。私たちは、生物史上最も危険な種であるという芳しからぬ評判を持っているのだ。上巻ページ100
人類は農業革命によって、手に入る食糧の総量確かに増やすことはできたが、食料の増加は、より良い食生活や、よりよい余暇には結びつかなかった。むしろ人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は平均的な狩猟民族よりも苦労して働いたのに、見返りに得られた食べ物は劣っていた。農業革命は史上最大の詐欺だったのだ。 では、それは誰の責任だったのか? 王のせいでもなければ、聖職者や商人のせいでもない。犯人は小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの植物種だった。ホモサピエンスがそれを栽培化したのではなく、逆にホモサピエンスがそれらに家畜化されたのだ。上巻ページ107
…羊飼いではなく羊たちの視点に立てば、家畜化された動物の大多数にとって、農業革命を恐ろしい大惨事だという印象は免れない。彼らの進化上の「成功」は無意味だ。絶滅の瀬戸際にある珍しい野生のサイの方が、肉汁たっぷりのステーキを人間が得るために小さな箱に押し込められ、太らされて短い生涯を終えるしよりも、おそらく満足してるだろう。満足しているサイは、自分が絶滅を待つ数少ない生き残りだからといって、その満足感に水を差されるわけではない。そして、牛という種の数の上での成功は、個々の牛が味わう苦しみにとっては何の慰めにもならない。ページ127
農業革命以降の何千年もの人類史を理解しようと思えば、最終的に1つの疑問に行き着く。人類は大規模な協力ネットワークを維持するのに必要な生物学的本能を欠いているのに、自らを同組織してそのようなネットワークを形成したか、だ。手短に答えれば、人類は想像上の秩序を生み出し、書記体系を考案することによって、となる。これら2つの発明が、私たちが生物学的に受け継いだものに空いていた穴を埋めたのだ。上巻ページ170
紀元前1000年紀に普遍的な秩序となる可能性を持ったものが3つ登場し、その信奉者たちは初めて1組の法則に支配された単一の手段として全世界と全人類を想像することができた。誰にも「私たち」になった。いや、すくなくともそうなる可能性があった。「彼ら」はもはや存在しなかった。真っ先に登場した普遍的秩序は経済的なもので、貨幣という秩序だった。第二の普遍的秩序は政治的なもので、帝国という秩序だった。第三の普遍的秩序は、宗教で、仏教、キリスト教イスラム教といった普遍的宗教の秩序だった。上巻ページ213
私たちの目の前で生み出されつつあるグローバル帝国は、特定の国家あるいは民族集団によって統治されてはしない。この帝国は後期のローマとよく似て、他民族のエリート層に支配され、共通の文化と共通の利益によってまとまっている。世界中で、次第に多くの起業家、エンジニア、専門家、学者、法律家、管理者が、この帝国に参画するようにという呼びかけを受けている。これはこの帝国の呼びかけに応じるか、それとも自分の国家と民族に忠誠を尽くし続けるか、じっくり考えなければならない。だが帝国を選ぶ人は、増加の一途をたどっている。上巻ページ216
近代には、自由主義共産主義、資本主義、国民主義、ナチズムといった、自然法則の新宗教が多数台頭してきた。これらの主義は宗教と呼ばれることを好まず、自らをイデオロギーと称する。だがこれはただの言葉の綾に過ぎない。もし宗教が、超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範や価値観の体系であるとすれば、ソビエト連邦共産主義は、イスラム教徒に比べてなんら遜色のない宗教だった。下巻ページ32
西暦1,500年頃、歴史は、それまでで最も重大な選択を行い、人類の運命だけではなく、おそらく日常のあらゆる生命の運命をも変えることになった。私たちはそれを科学革命と呼ぶ。それはヨーロッパ西部の、アフロ・ユーラシア大陸西端の、それまで歴史上重要な役割を果たしたことがなかった大きな半島で始まった。下巻ページ51
産業が推進され、何百もの種が絶滅においやられた。その件については、すでに多数の書物が書かれている。だが経済の近代史を知るためには本当はたった一語を理解すれば済む。その一言すなわち、「成長」だ。良きにつけ悪しきにつけ、病める時も健やかなる時も、近代経済はホルモンの分泌が真っ盛りの時期を迎えているティーンエイジャーのごとく「成長」を遂げてきた。目についたものを手当たり次第に食い尽し、みるみるうちに肥え太ってきたのだ。下巻ページ127
近代資本主義経済で、決定的に重要な役割をになったのは新しく登場した倫理観で、それに従うならば、利益は、生産に再投資されるべきなのだ。再投資が更になる利益をもたらし、その利益がまた生産に再投資されて新たな利益を生む、というようにこの循環は際限なく続いていく。下巻ページ136
バイオテクノロジーナノテクノロジーといった分野で新しい発見がなされれば、全く新しい産業がいくつも生まれるだろう。そしてそこからもたらせる利益が、政府や中央銀行が2008年以来発行してきた何兆ドルもの見せかけのお金を支えてくれるだろう。だが、もしバブルがはじける前に様々な研究室がこうした期待に応えることができなければ、私たちは非常に厳しい時代へと向かうことになる。下巻ページ140
植物自体は、太陽からエネルギーを獲得していた。植物は光合成の過程で太陽エネルギーをとらえ、有機化合物に詰め込んだ。歴史を通して人々がやったことのほぼ全てが、植物が捕らえた後、筋肉の力に変換された太陽エネルギーを燃料としていた。下巻ページ165
実は産業革命は、エネルギー変換における革命だった。この革命は、私たちが使えるエネルギーに限界がないことを、再三立証してきた。あるいは、もっと正確に言うならば、唯一の限界は私たちの無知によって定められることを立証してきた。私たちは数十年ごとに新しいエネルギー源を発見するので、私たちが使えるエネルギーの総量は増える一方なのだ。下巻ページ169
資本主義と消費主義の価値体系は、表裏一体であり、2つの戒律が合わさったものだ。富めるものの至高の戒律は、「投資せよ!」であり、それ以外の人々の至高の戒律は「買え!」だ。下巻ページ181
このような想像上のコミュニティーの台頭を示す最も重要な例が2つある。国民と、消費者という部族だ。国民は、各国特有の想像上のコミュニティーであり、消費者部族は市場の想像上のコミュニティのことを言う。繰り返すがこれはどちらも想像上のコミュニティだ。というのも、市場のあらゆる顧客、あるいは国民の全成員が、かつて村人たちが互いに相手を知っていたように、実際に相手を知ることは不可能だからだ。下巻ページ197
確信を持って語れる近代社会の唯一の特徴は、その絶え間ない変化だ。人々はこうした変化に慣れてしまい、私達のほとんどは、社会秩序とは柔軟で、意のままに設計したり、改良したりできるものであると考えている。下巻ページ201
以上の4つの要因の間には、正のフィードバック・ループが形成されている。核兵器による大量虐殺の脅威は、平和主義を促進する。平和主義が広まると、戦争は影を潜め、交易が盛んになる。そして交易によって、平和の利益と戦争の代償ともに増大する。時の経過とともに、このフィードバック・ループは、戦争の歯止めをさらに生み出す。最終的にその歯止めは、あらゆる要因の中で最大の重要性を持つことになるかもしれない。国際関係が緊密になると、多くの国の独立性が弱まり、どこかの国の単独で戦争仕掛ける公算が低下するのだ。 大半の国が全面戦争を起こさないのは、ひとえに、もはや単独で国として成り立ち得ないという単純な理由による。下巻ページ212
興味深い結論の1つは、富が実際に幸福をもたらすことだ。だがそれは、一定の水準までで、そこを超えると富は、ほとんど意味を持たない。経済階層の底辺から抜け出せない人々にとって、富の増大は幸福度の上昇を意味する。下巻ページ 220
興味深い発見は、まだある。病気は短期的には幸福度を下落させるが、長期的な苦悩の種となるのは、それが悪化の一途をたどっており、継続的で心身ともに消耗させるような痛みをともなったりする場合に限られるという。下巻ページ221
だが、何にも増して重要な発見は、幸福は客観的な条件、すなわち、富や健康、さらにはコミュニティにさえも、それほど左右されないということだ。幸福はむしろ、客観的条件と主観的な期待との相関関係によって決まる。下巻ページ222
私たちの精神的・感情的世界は何百万年もの進化の過程で形成された生化学的な仕組みによって支配されているという。ほかのあらゆる精神状態と同じく、主観的厚生も給与や社会的関係、あるいは政治的権利のような外部要因によって決まるのではない。そうではなく、神経やニューロンシナプス、さらにはセロトニンドーパミンオキシトシンのようなさまざまな生化学物質からなる複雑なシステムによって決定される。下巻ページ226
ただし、極めて大きな重要性を持つ歴史的な展開が1つだけ存在する。その展開とは、幸せの鍵は生化学システムの手中にあることがついに判明し、私たちは政治や社会改革、反乱やイデオロギーに無駄な時間を費やすのをやめ、人間を真の意味で幸せにできる唯一の方法、すなわち生化学的状態の操作に集中できるようになったことだ。下巻ページ231
万物の霊長受称して自らをホモサピエンスと名付け、地球を支配するに至ったのか。それは多数の見知らぬ者同士が協力し、柔軟に物事に対処する能力をサピエンスだけが見つけたからだ。と著者は言う。下巻ページ268
サピエンスの歴史は、約1万年前に始まった農業革命で新たな局面を迎える。農耕によって単位面積当たりに暮らせる人の数が爆発的に増加し、かつて採集狩猟をしながら小集団で暮らしていたサピエンスは定住し、統合への道を歩み始める。 やがてその動きを早める原動力になったのが、貨幣と帝国と宗教(イデオロギー)という3つの普遍的秩序だった。特にこれまで考案されたもののうちで、貨幣を最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだと著者は言う。下巻ページ269
その結果、サピエンスはいずれ特異点(シンギュラリティ)に至る。それは私たちの世界に意義を与えているものの一切が、意味を持たなくなる時点、テクノロジーや組織の変化だけではなく、人間の意識とアイデンティティーの根本的な変化も起こる段階だ。そしてそれはサピエンスが再び唯一の人類種ではなくなる時代の幕開けかもしれない。下巻ページ272