米欧回覧実記3

「米欧回覧実記3」(欧州大陸編・上)を読みました。明治4年に明治政府の主要メンバーを含む総勢48名で、3年間、米国、欧州を視察した旅行記です。第三巻は、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツの訪問記です。著者は、特にパリ市の繁栄、プロイセンの統治に感嘆しています。当時の宰相ビスマルクとの会見の中で、将来の日本の道筋をみいだしたものと思えます。使節団の伊藤博文は強く影響(憲法制定)をうけたのでしょう。すなわち「国の盛衰は政治力ではなく、国民の団結力が鍵であること」、「弱小国こそ、軍事力を背景にしないと大国のいいなりになってしまう」肝に銘じたと思います。
それにしても欧州で歓待ぶり、庶民の興味津々、当時の各国の元首の親切に驚きました。備忘します。

フランス人はイギリス人をからかって、彼らは指先の神経が鈍いから、巧緻なが機械力に頼るしかないのだという。英国の製品は頑丈で優っている。フランスの製品は繊細さで優っている。両国は互いに譲らず、ドイツを見下している。ドイツ製品は非常に装飾を重んじるが、フランス人に言わせるとドイツ人は優雅さと言うことを知らない。イタリア人は非常に器用であり、製品は大変美しい。フランス人はこれに対して華麗で新奇のデザインで勝負している。ページ14
大体アメリカからイギリスに来ると、人々の宗教心が1段減ったように見える。イギリスからフランスに来るとさらに1、2段信仰が薄らいでいるように見える。これ以後回ったk欧州各地にしても、米英のように信仰心が熱い土地はどこにもなかった。ページ40
西洋がよく日進月歩の実を上げるのは、その根本に昔のものを大切に思う心があるからである。例えばパリの壮大の凱旋門は、古代ローマの城門から進歩したものであり、セーヌ川の橋は、ローマのティレーベ川の橋の末裔であることからもわかるだろう。ページ62
チョコレートの製造はこの工場でカカオ豆を煎って粉末とし、砂糖と混ぜて形に打ち込んでいろいろな形のものを作っている。香りが良く、少し苦味がある。西洋で食事を提供する場合、必ず菓子を乗せた高杯が出てくる。ちょうどわが国の蓬莱台のような形でチョコレートはこれに盛り付ける。銀箔で包み、その表面に石盤の彩色画などを貼って美しく装う最上等の菓子なのでる。ページ145
文明国とはいっても、中層以下の民衆はまだ頑迷で暴力的であることを免れない。西洋の各国は上層から下層まで美しい風俗を持っていると言ったりするのは大間違いである。ページ149
文明の極致においてはどのような学問も言及しないものはないという事実をはっきり理解すべきである。ページ150
国の盛衰は政治力に関わるものではなく、国民の団結力が、政治として表現されているだけなのではないだろうか。こういう諺がある「政府は人民の影」と。うまいこと言うものである。ページ180
特にフランス周辺の人々は活発な気質で、軽率に約束し、軽率にそれを破るという癖がある。この国民はかつてオランダと1つの国を作っていたけれども、気性が全く異なっている。オランダ人はドイツ人に近い。ベルギー人はフランス人に近い。しかし、生計を立てるために困苦を厭わないということでは、ドイツ的性格も兼ねている。ページ191
自然が豊かであると人はあまり努力しなくなる。自然に恵まれない所の人々は努力するようになる。これは天が平均を図っているのであろうか。ページ242
ヨーロッパの都市の盛衰の原因は東洋ともアメリカとも異なっている。東洋の都市の場合、その活性を左右してるのは政府機関の発注である。アメリカの都市の活性の鍵を握るのは大商人や有力者の活動である。ところがヨーロッパの各都市の場合、王侯貴族がその鍵を握っている。ドイツ連邦カ国の首府には皆大貴族が居住していて、立派な城館をそれぞれ築いている。各都市に商品が集まるのも、常に貴族たちの動向に依っている。ページ346
ビスマルクは自身の幼児からの体験を交えながらこのような話をした。―現在、世界各国は皆親睦の念と礼儀を保ちながら交際している。しかし、これは全く建前のことであって、その裏側では密かに強弱のせめぎ合いがあり、大小各国の相互不信があるのが本音のところであろう。私が幼い頃、わがプロイセン国が弱体であった事は皆さんもご存知のことであろう。その頃私は小国としての実際の状況を自ら体験し、常に憤懣を感じていた事は、今も脳裏にはっきり記憶している…したがって、現在日本が親しく交際している国も多いだろうけれども、国権と自主を重んずる我がドイツこそは、日本にとって親しい中でも最も親しむべき国ではないか― 両国の使臣たちが一堂に会している中でのこのスピーチは、大変意義深く、ビスマルクの弁舌の優れていること、政略にたけていることがよく理解できた。よくよく味わうべき言葉だったと言うべきであろう。ページ370