孟嘗君と戦国時代

孟嘗君と戦国時代」(宮城谷昌光中公新書)を読みました。この時代の読み物は斉の恒公、晋の文公くらいはまだいいのですが、そのうち名前が混じってわからなくなります。春秋戦国時代の知識の整理に大変役立ちました。孟嘗君については詳しい記述が少なく、期待はずれでした。備忘します。

孟嘗君と戦国時代 (中公新書)

孟嘗君と戦国時代 (中公新書)


…英主があらわれると、名臣、賢臣が出現するのであろうか。恒公の…の臣であった鮑叔に推挙されたのが「管仲」である。…後世の人は「管鮑の交わり」といってたたえた。(p.31)

…恒公の次に覇者となる「晋の文公」とは長耳のことである。(p.36)

斉の恒公は逝去して、子の因斉が立った。この主こそ、田斉では最高の名君であるといわれる「威王」である。ようやく孟嘗君の父の兄にたどりついた。(p.44)

…三年飛ばないとなれば、ひとたび飛べば天に昇るであろう。三年も鳴かないとすれば、ひとたび鳴けば、たちまち天下の人を驚かすであろう…数ヶ月後、荘王はにわかに淫楽を罷めて、聴席の席についた。すぐさま数百人を誅殺し、数百人を擢用した。…「鳴かず飛ばず」という成語は、そこからでた。(p.52)

�涓此の樹下に死せん…遂に豎子の名を成せり(p.98)

…攻められた時に守るのはよいが、攻めてはならないのである。墨子が弟子たちを率いて城を守れば、難攻不落となった…それゆえ墨子が城を守り抜くことを、「墨守」といい…(p.123)

隗より始めよ、すなわち隗を招いて厚遇しなさい…隗如きものが昭王に厚遇されると天下に知られれば、千里を通してやってくる賢士が必ずある(p,174)