ウェブ社会をどう生きるか

「ウェブ社会をどう生きるか」を読みました。5年ほど前の本で、web 2.0 で大騒ぎの頃の出版です。新しい言葉に惑わされるなと警鐘を鳴らしています。備忘します。

ウェブ社会をどう生きるか (岩波新書)

ウェブ社会をどう生きるか (岩波新書)

最近の学生のレポートを読むと、定型的な知識は比較的きちんと抑えられていて、情報献策技術をうまく利用している感じがします。しかし、部分的には気の利いた言葉やレトリックを使っていながら、全体としての論旨が通っておらず、文体の統一もなく、結論はいかにも陳腐でとってつけたようなものが多い。複数のレポートに同じ断片的文言が含まれていることもあって、元になっている文章切り貼りしていることは明白です。自分で悩みながら大きな疑問に取り組み、そこから重量感のある言葉を生み出したような、構想力があるレポートが少ないのです。(7ページ)
…つまり人間の心は、情報という実態を入力されるのではなく、刺激を受けて変容するだけなのです。ではいかに変容するのでしょうか? …人間の心は個人的体験や祖先からの遺伝に基づいて自己形成されたものです。従って個人ごとに異なっていますから当然その変容の資格もまちまちです。結論から言えば変容の仕方は予測不能ということになります。(14ページ)
端的に言うと、ウェブ礼賛論の中身は、全く古臭いものです。情報や知識の捉え方も時代遅れの印象受けますが、とりわけ目に付くのは、あまりに米国追従の価値観なのです。成熟や洗練よりも若さと変化を重んじ、アグレッシブに挑戦し、私有財産の拡大につながる実践活動に勤しむ、というのは、昔ながらの米国フロンティア精神の1側面そのものと言って良いでしょう。フロンティア精神に基づく自由競争にも良いところはあるにせよ、それは「手つかずの財貨」を分け合う分配問題の場合であって、支出予算の「再割り当て問題」においては残酷な悲劇を生む…さらにより広い文脈で言うと、その基礎をなすのは古典的な進歩主義です。これは1,019世紀から20世紀にかけての近代化産業かの時期に欧米元世界各国で進歩された考え方で伝統文化を徹底的に破壊し、科学技術の力で未来にユートピアを築くというものです。(170ページ)