アラン「幸福論」をNHKの「百分で名著」で観ました。テレビ番組ですので、たくさんのフィルターを通っています。原典からやや離れてしまうことを覚悟で視聴しました。「はじめに行動があった」(アンドレ・モロア)は私の愛読書ですが、その本の中にもアランの名前が何度も登場します。両者とも「なんぴとも行動なしに意欲することはできない」と言ってます。モロアの先生がアランだということがよくわかります。
幸福になるにはどうしたらよいか? アランによれば、「①幸福を望んで、②体操して、③よく笑って、④礼儀正しく、④自分で決めて行動する」と幸せになれると述べています。私はほぼ実践しているので、とても幸せです。
幸福論は不幸論でもあります。不幸を知らなければ幸福にはなれません。嘆くより不幸の原因をつかむことを薦めています。人間は肉体的存在なので運動や笑いが必要だと説いてます。「幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せなのだ」と。
情念(喜怒哀楽)をコントロールするのはとても難しい、想像の中で、情念は増幅してしまいます。でも強い意志の力で克服できます。「悲観主義は感情で、楽観主義は意思の力である、努力して行動しなければならない」「ほしいものは全てそこにある山のようなものである。わたしたちを待っており逃げ出したりはしない。だが、それゆえよじ登らなければならない」主体的に努力しなければ幸せにはなれないと説いています。
周りの人に対して「礼儀正しさ」が幸福をもたらします。「礼儀正しさ」は訓練によって自然なものに変えていくことができます。自分に対して無作法な人間は、自分も大切にできません。人間関係に行き詰まったら「自分のことを考えるな、遠くを見よ」、ありのままの相手を認めることが大切です。
自分が幸せになることで他人を幸福にできます。周りの人のためにも幸福になることを望まなければいけません。「幸福になることは他人に対しても義務であることは十分に言われていない」「幸福が未来のなかにあるように見えるときは、よく考えてみるがいい。それは、つまりすでに幸福をもっているということなのだ。希望すること、それは幸福であるということなのだ」
それにしても解説の明治大学、合田教授は神経質そうで幸福にはみえませんでした。備忘します。
アラン「幸福論」第一回「人は誰でも幸福になれる」
不幸を嘆き悲しみ、他人や社会のせいにするのはたやすい。しかし憐憫からは何も生まれないとアランは述べる。そして幸福を得る方法としてはまず大事なのは、不幸の原因を見つめ、対処法を見つけることだという。そしてアランは気分が沈まないようにするため、意識的にあくびや背伸びをして気分をリラックスさせると良いと語った。第一回では誰にもできる幸福へのメッセージを開設、負の感情にとらわれないようにする術を学ぶ。アラン「幸福論」第2回「人生の主役になる」
アランは幸福の例として芝居を上げる。つまらない芝居を見ると退屈だが、自分が芝居に出るときは退屈しない。だから幸せになりたい人は舞台に上がらなくてはならないという。幸福を得るためには人生の主役になって、前向きに努力することが何より大切だ。もちろん努力は苦しいことでもある。しかし人は苦しさを乗り越えた時こそ、幸福を感じる。棚ぼた式の幸せはありえないと新アランは記した。アラン「幸福論」第3回「ダンスのように人と付き合う」
礼儀を知らない人は良い人間関係を築けない。そのため人は礼儀を学ぶ必要があるとアランはいう。アランは礼儀とはダンスのようなものだとした。規則だけを覚えても、自然に動けるようにならなくては、ダンスにはならない。過剰に意識するのではなく、半ば無意識のうちに相手に敬意を払えるようになること。それが礼儀だと説いた。ありのままの相手を受け入れる広い心を持つこと、それも幸せには大切なことなのだ。アラン「幸福論」第4回「幸福になる事は義務である」
幸福論の終盤でアランは幸福とは義務であると結論づける。一人一人が幸福であろうと決意することが、社会全体をより良くするとアランは考えたのだった。最終回では幸福論のファンだと言う医師、鎌田實さんをスタジオに招く。震災など社会全体が未曾有の困難に直面している今、アランの言葉をどう受け止めるべきか。幸福は人の徳だと位置づけたアランの真意に迫り、私たちの人生の指針とする。