徳川制度 上

「徳川制度 上」の「人足寄場」「穢多・非人・乞丐」の章( p.294〜p.409)を読みました。江戸時代というと封建的で時代遅れで明治政府に打ち倒される稚拙な政権だと思っていました。この本を読み進めるうちに瞠目しました。法治国家ではなく情治国家であることは間違いありませんが、案外理にかなっています。
「人足寄場」は、無宿者の懲役制度です。3年を原則にしていました。それまで佐渡送りなどの厳罰に処していた無宿者を規則を緩めて、仕事をさせ、更生させる制度です。池波正太郎の小説『鬼平犯科帳』の主人公「鬼平」として、日本の時代小説・時代劇ファンに知られている長谷川平蔵の創意で、1790年に創設されました。
「穢多・非人・乞丐」は江戸時代の身分制度で現代の部落問題の根源といわれています。それぞれに頭目が設定され、警察権や司法権が与えられていました。備忘します。

寄場創立のことを建議せしは、長谷川平蔵と呼ぶものにて、当時は腐れはてし官海の中に不染の操を顕せし循吏なり。されば一旦楽翁公の知遇を得て、火付盗賊改の職より転じて人足寄場奉行となりぬ。平蔵火付盗賊改の職にあるとき、徴服して市中を徘徊し、民情を視もし聞きもし、以てその組支配の勤怠を監査すること、しばしばなりき。ページ302
関東の穢多、無慮一万戸、これを総括したるものを弾左衛門という。弾左衛門は実に関東穢多の中央政府とも、主権者ともいうべきものにて、今当時の実際について聞くところ、1として奇警ならざるはなし。試みにそが生活の有り様を問えば曰く、少なくとも万石以上の一諸侯に比すべしと。ページ315
弾左の営業は、概して皮の製造と灯心の製造とにて、ともに専売の特許を独占したりき。323
さるにても幕府はなぜに司法権を挙げてかれに一任したりやというに、けだしいわゆる遺夷狄は夷狄の法を以て治むるの古諺に徴し、醜類は醜類をして治むべしとの趣意に基づき、幕府はなるたけこれに直接するを欲せざりしに過ぎざりしなるべし。ページ336
家康の政治は、ひとり情治主義になるのみならず、また縁故主義なりと思われる。ページ354
乞丐を業とし、裏面には掏摸をも働きて、なお法網を潜りいたるなれ。されども徳川政府とて公然これを許しを置けるにあらずして、時々、丸杓子もて彼らが巣窟を掃除したりは、すなわち乞丐の刈り込みということもありたるにて明らか也。ページ395