ホントにはじめての原価計算

「ホントにはじめての原価計算」をKindleで読みました。工場のコンサルティングの仕事をいただきましたので、念のために読んでみました。二年ほど前から日商簿記検定で「初級原価計算」の試験が始まったそうです。読んでみて、簿記三級より易しいと思います。二級の工業簿記は、仕訳が面倒だった記憶がありますが、初級原価計算は、仕訳が少なくて、かなり楽です。通読して、原価低減の私の提案がオーソドックスであることを確認できました。財務会計が不確かであれば、便法で管理会計の仕組みを作る方が現実的です。勉強になりました。備忘します。

 

 


原価計算は、作った製品の原価を算出することを目的とします。“原価”は製品 1個あたりの数値です。「販売価格-原価 =利益」ですので、会社としては原価がわからないと、販売したときに利益の金額がわかりません。

かかった原価を「仕掛品」という資産勘定の借方に積み上げていくわけです。非常に大切なことですのでもう一度言います。製造するためにかかった原価は「仕掛品」勘定に集めていきます。それまでいくらの原価がかかったのかは、「仕掛品」勘定で把握するわけです。

財務会計は外部に報告・開示するのが目的ですから、計算期間は事業年度です(通常は 1年間です)。一方工業簿記・原価計算は企業内部でのデータ把握も目的ですから、 1ヶ月を計算単位とすることが多いです。

製造原価は「材料費」「労務費」「経費」の 3つに分けられます。この 3つ、とりあえず今ここで覚えてください。これら 3つの概念は工業簿記・原価計算の基本中の基本となります。

製造原価は「材料費」「労務費」「経費」の 3種類に分けられる。そしてそれらはそれぞれ「製造直接費」と「製造間接費」に分けられる。よって製造原価は「直接材料費」「間接材料費」「直接労務費」「間接労務費」「直接経費」「間接経費」の 6種類に分けられることになる。

製造原価は操業度(工場の稼働時間など)との関連で、変動費と固定費に分けられる(販売費・一般管理費も何らかの操業度に応じて変動費と固定費とに分けられます)。

消費金額はどのように把握されるのかというと消費数量 ×消費単価で算出されます。つまり、材料の消費金額を算出するためには、消費された材料の数量と、消費された材料の単価の 2つを算出する必要があります。

継続記録法は、材料の受入と払出のつど、材料元帳にその数量を記録する方法です。一方、棚卸計算法は材料の受入のときのみ材料元帳にその数量を記録する方法です。

材料の単価を算定するには、主に先入先出法と平均法があります。

直接工の賃金がすべて直接労務費になるわけではなく、直接作業時間以外の時間分は間接労務費です。たとえば、毎朝の機械稼働前の準備待機時間や仕事場の清掃時間にかかった分の賃金は間接労務費です。

経費とは、例を挙げると、水道光熱費、修繕費、電話代(通信費)、棚卸減耗費、外注加工費、工場の機械設備の減価償却費などです。

総合原価計算というのは、このようにまずは「製品数十個・数百個分の材料を投入し、それに同一内容の加工を次々としていく」というイメージを持っていただきたいわけです。

原価( Cost)、営業量( Volume)、利益( Profit)それぞれの頭文字をとって CVP分析と呼ばれています。これは「この原価であれば、どれくらいの販売数量があれば、どれくらいの利益となるのか」といったような分析です。

この売上高直線と総原価直線が交わる点は、売上高と総原価が等しいので、儲けになるか、損になるかの分かれ目の点です。この交点よりも売上高が小さければ損失ですし、大きければ利益(儲け)です。この交点を損益分岐点(そんえきぶんきてん)といいます。

損益分岐点では貢献利益の金額と固定費の金額が等しいので製品単位当たり貢献利益 ×損益分岐点販売数量 =固定費
損益分岐点売上高 =(固定費 ×販売単価) ÷製品単位当たり貢献利益

 

ホモ・デウス

「ホモ・デウス」を読みました。「ファクトフルネス」で打ち砕かれ、本書でとどめを刺されました。これまでの世界の見方を変えなければいけません。ホモ・サピエンス(人類)はこれまで不死と至福と神のような力の獲得を目指す道をたどっていましたが、論理的な帰結としてホモ・デウス(超人、神のような力を持つホモ・サピエンス)になると予測しています。ホモ・サピエンスが今の家畜やサルの立場になるということです。詳細な解説に圧倒されました。資本主義は宗教に近く、民主制も人間至上主義もただの虚構にすぎないことが分かりました。世界はただの共同幻想であるということです。さらに、生物は「アルゴリズム」であり、生命は「データ処理」であるという科学者の通説も納得できました。現代の政治、経済、文化もこの視点で考え直すと恐ろしい未来が見えます。ビッグデータ、AIの急速な発展の帰結です。民主制、人間至上主義が脅かされています。ただし、まだ解明されていない「意識」がホモ・デウスの出現をさまたげるかもしれません。それにしても、数十年後には今とは全く違う世界になると理解しました。

種々の生命科学によれば、幸福と悲しみはそれぞれ、様々な身体的感覚同士の異なるバランス以外の何者でもないという。私たちは外の世界に反応することは決してなく、自分の体内の感覚に反応しているだけだ。上ページ50
エピクロスはおよそ2300百年前、快楽を過度に追求すればおそらく幸せではなく惨めになるだろうと、弟子たちに警告した。その2世紀ほど前、ブッダはそれを輪をかけて過激な主張をし、快楽の追求は実は苦しみのもとに他ならないと説いた。ページ57
率直に言って、心と意識について科学にわかっていることは驚くほど少ない。意識は脳内の電気化学的反応によって生み出され、心的経験は何かしら不可欠なデータ処理機能を果たしているというのが現在の通説だ。とはいえ、脳内の生化学的反応と電流の寄せ集めが、どのようにして苦痛や怒りや愛情の主観的経験を生み出すかは、誰にも全く想像がつかない。上ページ137
今日、人間は地球を完全に支配しているが、それは個々の人間が個々のチンパンジーや狼よりもはるかに利口だったり手先が器用だったりするからではなく、ホモサピエンスが大勢で柔軟に協力できる地球上で唯一の種だからだ。上ページ165
革命を起こすには、数だけでは絶対に足りない。革命は大抵、一般大衆ではなく運動家の小さなネットワークによって始まる。もし革命を起こしたければ、「どれだけの人数の人が私の考えを支持してるか?」と自問してはならない。その代わりに、「私の支持者のうちには、効果的に共同できるものがどれだけいるか?」と問うといい。上ページ167
貨幣が共同主観的現実であることを受け入れるのは比較的易しい。大抵の人は、古代ギリシャの哲学や神々や邪悪な帝国や異国の文化の価値観が想像の中にしか存在しないことも喜んで認める。ところが、自分たちの神や、自分たちの国や、自分たちの価値観がただの虚構であることは受け入れたがらない。なぜなら、これらのものは私たちの人生に意味を与えてくれるからだ。上ページ181
北朝鮮と韓国があれほど異なるのは、ピョンヤンの人がソウルの人とは違う遺伝子を持っているからでもなければ、北の方が寒くて山が多いからでもない。北朝鮮が、非常に異なる虚構に支配されているからだ。上ページ189
このように書字のおかげで、人間は社会を丸ごとアルゴリズムの形で組織できるようになった。情動とは何かや脳はどう機能するかを理解しようとしたときに、私たちは「アルゴリズム」という言葉に出会い、計算をしたり、問題を解決したり、決定を下したりするのに使える一連の順序だったステップと定義した。上ページ199 虚構は悪くはない。不可欠だ。お金や国家や協力などについて、広く受け入れられている物語がなければ、複雑な人間社会は1つとして機能し得ない。上ページ218
おそらくほとんどの資本主義者は、宗教というレッテルを嫌うだろうが、資本主義は宗教と呼ばれても決して恥ずかしくはない。天上の理想の世界を約束するほかの宗教とは違い、資本主義はこの地上での奇跡を約束し、その上それを実現させることさえある。下ページ19
人間至上主義はこのように、経験を通して無知から啓蒙へと続く、内なる変化の斬新的な過程として人生をとらえる。人間至上主義の人生における最高の目的は、多種多様な知的経験や情動的経験や身体的経験を通じて知識を目一杯深めることだ。下ページ54
本書は、21世紀には人間は不死と至福と神聖を獲得しようとするだろうと予測ことから始まった。この予測はとりわけ独創的でもなければ、先見の明のあるものでもない。それはただ、自由主義的な人間至上主義の伝統的な理想を反映してるにすぎない。人間至上主義は人間の命と情動と欲望を長らく神聖視してきたので、人間至上主義の文明が人間の寿命と幸福と力を最大化しようとしたところで、驚くまでもない。下ページ100
経験する自己と物語る自己は、完全に別個の存在ではなく、緊密に絡み合っている。物語る自己は、重要な原材料として私たちの経験を使って物語を創造する。するとそうした物語や、経験する自己が実際に何を感じるかを決める。下ページ123
ここまでは、自由主義に対する3つの実際的な脅威のうち、2つを見てきた。その第一は人間が完全完全に価値を失うこと 、第二が人間は集団として見た場合には依然として貴重ではあるが、個人としての権威を失い、代わりに、外部のアルゴリズムに管理されることだ。…自由主義に対する第三の脅威は、一部の人は絶対不可欠でしかも解読不能のままであり続けるものの、彼らが、アップグレードされた人間の、少数の特権エリート階級になることだ。下ページ183
もし科学的な発見とテクノロジーの発展が人類を、大量の無用な人間と少数のアップグレードされた超人エリート層に分割したなら、あるいは、もし権限が人間から知能の高いアルゴリズムの手にそっくり移ったなら、その時には自由主義は崩壊する。下ページ888
政治学者たちも、人間の政治制度を次第にデータ処理システムとして解釈するようになってきている。資本主義や共産主義と同じで、民主主義と独裁制も本質的には、競合する情報収集・分析メカニズムだ。下ページ216
20年前、日本人旅行者は万人の笑い草になっていた。いつもカメラを構えて目にしたもの全て写真に撮っていたからだ。だが、今では誰もが同じことをしている。インドに行ってゾウを目にしたら、ゾウを眺めて、「私は何を感じているか?」と自問したりしない。スマートフォンを出してゾウの写真を撮り、Facebookに投稿し、その後は自分のアカウントを2分おきにチェックして「いいね!」をどれだけ獲得したかを見るのに忙しいからだ。下ページ232
データ至上主義が世界を征服することに成功したら、私たち人間はどうなるのか? 最初は、データ至上主義は、人間至上主義に基づく健康と幸福と力の追求を加速させるだろう。 人間至上主義のこうした願望の充足を約束することによって、データ至上主義が広まる。不死と至福と神のような創造の力を得るためには、人間の脳の容量を遥かに超えた、途方もない量のデータを処理しなければならない。だから、アルゴリズムが私たちに代わってそれをしてくれる。ところが、人間からアルゴリズムへと権限がいったん移ってしまえば、人間至上主義のプロジェクトは意味を失うかもしれない。ページ243
1 科学は1つの包括的な教義に収斂しつつある。それは、生き物は、アルゴリズムであり、生命はデータ処理であるという教義だ。
2 知能は意識から分離しつつある。
3 意識を持たないものの高度な知能を備えたアルゴリズムが間もなく、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになるかもしれない。
この3つの動きは次の3つの重要な問いを提起する。
1 生き物は本当にありがとアルゴリズムすぎないのか? そして生命は、ほんとうにデータ処理に過ぎないのか?
2 知能と意識のどちらの方が価値があるのか?
3 意識は持たないものの高度な知識を備えたアルゴリズムが、私たちが自分自身を知るよりもよく私たちのことを知るようになったとき、社会や政治や日常生活はどうなるのか?
下ページ 246

トップポイント2019年2月号

「トップポイント2019年2月号」を読みました。取り上げている本は「FEAR恐怖の男」「BCGが読む経営の論点2019」「決定版cyber security」「ギグ・エコノミー襲来」「最強のポジティブチーム」「サバイバル決断力」「アンガーマネージメント実践講座」「市場サイクルを極める」「日本の少子化100年の迷走」「縮み志向の日本人」が取り上げられています。この中で購入に至ったのは「ギグ・エコノミー襲来」のみでした。本書については、購入しましたので読後に詳しく書きますが、アメリカのプロジェクト制やフリーエージェント制、あるいはライフシフトの考え方を総合した内容であると予想しております。 「ギグ」とは、「期間が不確かな臨時の仕事」のことで、インデペンデント・ワーク(独立した仕事)を支えるビジネスの仕組みのことです。米国では今、約4,000万人がフリーランサーとして働いているようで、総額1兆1千万ドルを稼いでいるそうです。
他に興味を持った本は「BCGが読む経営の論点2019」です。 BCGとはボストンコンサルティンググループの略です。今後の経営を考える上でも向き合うべき論点を指摘しています。【AI】実務に活用するためのポイント述べています。 【ブロックチェーン】。 【アジャイル】商品開発などを俊敏に行うための方法で、チームメンバー全員が専任として従事する仕組み。一言で言うとアジャイルというのは、走りながら考えるということです。急速な環境変化に対応力が高いやり方で短いサイクルで修正を繰り返すため変化に対応しやすいということです。 【モビリティ】自動車産業では今後、自動運転、シェアリング、電動化による革命が起きるとのことです。
「日本の少子化100年の迷走」人口減の原因が、戦後の優生保護法の改正にあったと言っていますが、そうではなくて経済の発展だと私は思います。

ギグ・エコノミー襲来 新しい市場・人材・ビジネスモデル

ギグ・エコノミー襲来 新しい市場・人材・ビジネスモデル

  • 作者: マリオン・マクガバン,斉藤裕一
  • 出版社/メーカー: CCCメディアハウス
  • 発売日: 2018/11/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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日本の結界

「日本の結界」を読みました。月刊誌「ムー」が喜びそうな本です。一般的にはトンデモ本の範疇だと思います。占い師の世界ですね。「結界」を張ったので災害から救われたとか、占い師は、結果論で何んとでも言えます。そのことを承知でロマンとして読んでみました。思わず、鹿島神宮成田山新勝寺三峯神社大神神社五稜郭など憧れの場所の解説にワクワクしてしまいました。現地を訪れた際にはきっと結界を感じたいと心を虚しくすると思います。備忘します。

日本の結界 陰陽師が明かす秘密の地図帳

日本の結界 陰陽師が明かす秘密の地図帳

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結界というのは一方の線によって区切る、というのが基本になっています。つまり、点と点、2つの場所を一本の線でつなぎ、区切る。ここにもう一つ、点を加えてそれを結ぶと三角形の面ができます。これが結界の最初の形ということになるわけです。ページ31
関東地方で最も古い結界は茨城県と千葉県の県境である利根川下流域にあります。ここには東国三社と呼ばれる古い神社があります。鹿島神宮香取神宮、息栖神社。いずれも日本有数の古社であり、葦原中津之国平定、いわゆる国譲りの神話において大活躍した神を祀っています。つまり日本神話でおいてセットで語られる神々を祀った神社というわけです。ページ71
千葉県にある成田山新勝寺は、将門の怨霊封じにおいて、とても重要なポイントです。もともと新勝寺は、平将門調伏祈願の密勅を朱雀天皇から賜った寛朝僧正が、この地に空海作とされる不動明王像を祀り、護摩供養を行ったことに始まっています。 つまり将門の怨霊封じの拠点だったわけです。そのせいか、今でもこの寺には不思議なことが見られます。というのもお寺でありながら、作りはなぜか神社なのです。例えば狛犬は至るところに置かれています。狛犬と言えば、神社において聖域を守る聖獣です。それがあちらこちらで見られるのです。でも新勝は、お寺ですから、どうしてもある種の違和感を感じざるを得ません。つまり新勝寺は寺であって寺ではないのです。ページ79
結界破りでは、結界石や杭など、媒体となってるものを壊すという方法がとられます。結界を張るために置かれた石、結界石を粉々に砕いてしまうのです。これは自然災害ではありません人が、意図的に壊すのです。ページ89
秩父の山奥には三峯神社があります。三峯神社秩父三社の1つで、奥宮が鎮座する妙法ケア岳と、雲取山白岩山の三山が連なるこの地は、古くから多くの人々の信仰を集める神の地でした。なぜならそこには、地脈のエネルギーがあふれ出るパワースポットだからです。ページ100
地脈流脈というのは文字通り「脈」です。脈打っているのです。脈打っている場所が地表から近ければ近いほど、人はその脈の影響を激しくけます。深ければそれだけゆっくりゆったり感じます。この力を激しく受ければ受けるほど人が力がみなぎると言われています。別の言葉で言えばそれは活気であったり活力であったりします。そういう生きる力、エネルギーを生み出すものと言われているのです。こうして活力が生み出せれば仕事がはかどります。仕事がはかどれば、お金も入ってくるでしょう。これは金運が良くなるということでもありますし、成功するということでもあります。ただし1つだけ難点があります。それは持続しにくいということです。ですから開運を求めるなら、例えば毎年いちど、日にちを決めてこの聖地を訪れるようにすると良いでしょう。ページ102
関東地方の項目では、秩父三峯神社をパワースポットとしてお勧めしましたが、それと並ぶ近畿地方のパワースポットは、奈良県桜井市三輪山大神神社です。三輪山にも龍脈と地脈は通っています。しかし三輪山のパワーはそれとはまた違うところから来ています。とにかく山の力が強いということです。詳細を話せず申し訳ありませんが、三輪山独特の言葉では表現できないような不思議な力があるのです。ページ134
北海道にはもう一つ、函館にある五稜郭の周辺にも大きな決壊が張られています。ここにも、地脈・龍脈のエネルギーが強い場所の1つです。五稜郭と言えば、明治維新の際、戊辰戦争における激しい戦いが行割れた場所です。私たち陰陽師はこの戦いのあと依頼される形で結界を張りました。…ただしこの結果や五稜郭そのものために張られたものでありません。五稜郭を封じ込めるとか、あるいは守るとかそういう意味合いではないのです。では何のためかというと、北海道の玄関口を守るということです。 当時、新たな北の大地に渡ってきて、一番最初に目についた土地の力が強い場所は、五稜郭周辺でした。ですから1つは本州からおかしなもの、悪しきものが北海道に入らないようにすること、そしてもう一つは逆に北海道に棲むおかしなもの、悪しきものを本州に渡らせないようにすることが目的でした。ページが96

なぜ中国は民主化したくてもできないのか

「なぜ中国は民主化したくてもできないのか」を読みました。一般的に民主化することが経済大国や軍事大国になる近道とは言えません。国益の観点から言えば中国のやり方は正しいと思います。中国においては、個人崇拝、リーダーの「皇帝」化こそ早道だったと言うことです。中国は、世界の中心(中華)で、周辺は蛮族ということです。新滅亡後の100年は悪夢だったのでしょう。ギリシャの周辺国をバルバロイ(言葉が通じない人々)といったように、中国は、古来より南蛮、北狄、東夷などと野蛮人と規定していました。その中国が力をつけて「朝貢」から直接支配への道をひた走っているのが今現在です。現中国政府は清王朝の滅亡が沖縄の日本所属から始まったことを忘れていません。沖縄から米軍を追い出し、中国人を移住させ、中国の領土にすることを密かに狙っているのでしょう。私の生きている間のそうならないことを祈ります。中国恐るべし! 備忘します。

2014年10月18日から開かれた中国共産党第19回党大会の場においてもそこでは明らかに習近平に権力を一極集中させるような動きが見られた。…なぜ反対が起こらなかったのか? 日本人にとって全く不可思議なことだろうが、答えは簡単だ。実は中国人は「皇帝」の誕生いつも待ち望んでるからである。これは中国人の「エートス」(社会通念)といってもよい。日本では共同体主義や強いリーダーw@嫌う姿勢などがエートスだといわれるが、中国においてはまさにこの「皇帝政治」こそがエートスなのである。ページ2
近現代になってからの歴史の中においても、まず毛沢東という「皇帝」が現れ、27年間という個人独裁の支配を行った。そして今、この毛沢東と肩を並べるほどの「新しい皇帝」が再び登場しようとしている。ページ42
鄧小平の行った政治改革の1つこそ、指導者の終身制の廃止である。文革をはじめ毛沢東が晩年に政治を大いに乱したことへの反省から、指導者の定年退職制を導入し、最高指導者は党大会二期、10年を務めた後に引退しなければならないというルールを作った。習近平の前任の胡錦濤、さらに前任の江沢民はそれに従い、「2期10年」で引退した。彼らがルールどおりに引退したからこそ、2012年に習近平は最高指導者の座につけたのである。ページ43
…「臣下の礼」の最たるものとして諸国に求められるのは、中華皇帝に対して定期的に貢物を持ってご機嫌を伺いに参上することである。それが「朝貢」だ。しかもその際に、持参する貢ぎ物の経済的価値がどれほどかということは、中華王朝にとってはそれほど大きな関心事ではない。貢物をもって朝貢してくれくること自体が、中華王朝と皇帝にとっては重要なことなのだ。多くの場合諸国からの朝貢を促すため、中華朝廷は朝貢国が持参する貢ぎ物より何倍も経済的価値のある「下賜品」を与える。それほど高い代価を払ってでも諸国に朝貢にきてほしいというのが、中華皇帝の偽りの ない気持ちなのだ。ページ102
中華帝国は周辺民族を完全に制圧するほどの力を持たなかったときには、「徳」を前面に出して彼らを属国として「冊封」して懐柔する。あるいは相手の方が強かったときには「逆兆候」も辞さず相手をてなづける。しかし一旦帝国が巨大化して周辺民族を押さえつけるほどの力を身につけたときには、直ちにその正体をあらわにして侵略戦略を進め、周辺の国々を滅ぼして自国の1部に組み入れてしまう。その時には「徳」も「強化」も語られない。力の論理が全てなのである。ページ112
この日清戦争の結果こそが、清王朝にとって致命的な打撃となった。清王朝の直接統治下の台湾が日本に割譲されただけでなく、清王朝の皇帝を頂点とした中華秩序の中の一番の優等生である朝鮮が、この秩序から離脱して独立したのである。これをもって、中国の歴代王朝が苦心して築き上げてきた中華秩序そのものが、音を立てて崩れてしまった。ページ136
ここまで議論が進めば、もうその結論は出てるに等しい。毛沢東が作り上げた中華人民共和国が鄧小平によって世界の経済大国と軍事大国にまで成長した今こそ、対外的な覇権主義の推進によって中華秩序の再建を果たし、皇帝と中華帝国の支配的な地位を取り戻す。それこそが習近平にとって、毛沢東と鄧小平を超える歴史的業績を作り出せる唯一の領域であり、最後のフロンティアなのである。ページ187
もちろん習近平にとって、いわゆる「沖縄工作」の最終目標は米軍基地の追い出しにとどまらない。なんにせよ、中華秩序の再建を狙う「新しい皇帝」の習近平からすれば、近代における中華秩序崩壊の第一歩はまさに明治政府による琉球処分であったのだから。中華秩序の再建とは当然、その崩壊の第一歩の前まで時計の針を戻す、ということになる。ページ199

0から1をつくる

「0から1をつくる」を読みました。さわやかな読み物でした。平昌五輪、カーリング女子は銅ダルを獲得しました。著者、本橋麻里さんは、キャプテンであり、チームを立ち上げた本人です。現在は北海道北見市ロコ・ソラーレ」の代表理事としてチームマネジメントと後進の指導に携わっているそうです。
本書は、その著者の「細腕繁盛記」です。トリノバンクーバーで選手として活躍した後、地元に戻り、表題のように「0から1をつくる」活動を続けた苦労話です。メンバー集め、資金集め、コーチの招聘、選手のモチベーション維持、練習、多岐にわたる活動を企画し実行しました。「1から100にする」より難しい仕事です。素晴らしい!
もぐもぐタイム」では地元のお菓子やいちごを食べていました。それだけでも町おこしになっていました。北見市が全国に知れ渡ることにもなりました。その陰には本橋さんの地道な活動がありました。私は「スポーツ成功譚」というより「町おこし譚」として楽しく読みました。日本人は五輪大好きです。メダルがとれたことで報われて本当に良かったと思います。

はつらつと老いる力

「はつらつと老いる力」を読みました。著者は帯津良一さんです。いろいろな雑誌に健康関連のコメントを執筆しておられる方です。医者は人相手の仕事です。一見、理系の仕事に見えますが、人文系の仕事です。人の気持ちを理解できなければ、体も心も治療することはできません。失敗しない秀才には適した職業ではありません。諦めや許す気持ちがない人は医者になってはいけないと思いました。哲学者の資質を持っている人が医者になるべきだと思いました。また、気功を始め色々な健康法も大変参考になりました。これからの私の健康法に大いに参考になりました。早速、脳梗塞と心疾患の予防に納豆キナーゼを夫婦で飲むことにしました。備忘します。

両親も友人も、周りの人は皆、自分のことを東大生だと思っている。だけど東大生ではないわけです。もっと言えば、大学生でもない。誰にも相談できないまま、何とも言えない思い出、空白の1年を過ごしました。今でも私の中に、この1年は痛みとして残っています。でも今振り返ると、私の人間形成のでとても大事な1年間でした。1回で合格していたら、もっといやらしい医者になっていたでしょう。優しさの根源にある人に対する思いやりが、挫折によって新しく芽生えたり、挫折を味わって困ったりすることがあります。ですから医者は挫折感を知ってる方が絶対にいいと思うのです。ページ31
人の一生には、険しい道もあれば、平らな道もある。また、穏やかな流れもあれば、さかまく大波もある。こういうことをすべての巡り合わせも自然であって、これを免れるわけにはいかないというのです。辛いことも楽しいことも、避けようとするのではなく、そういうものだと思って楽しむのがいい、と佐藤一齋は書いています。ページ34
健康な人でも、一人一人個性を持っています。得意なところもあるし、弱点もある。だから、弱点を補うようなサプリメントを、日ごろから取っていくことがいいと思うのですね。後は、安心安全なもので、ねごろや手ごろで、科学的根拠はある程度あって、できればしっかりした考えを持ってる会社で作ってるものがいいですね。サプリメントの原料の良し悪しを判断する3つの条件として、「まず農薬を使っていないこと。2番目はきれいな水が供給されてる土地で作られていること。3番目は、心の綺麗な人が作ってること」そんな話をしてくれた人がいました。ページ81
私自身は、以前は「朝の気功に夜の酒」やっていれば大丈夫だと思っていました。でも知り合いの人が脳梗塞で倒れ、半身不随になってしまったことをきっかけに、血液をサラサラにするサプリメント飲み始めました。納豆キナーゼという、納豆菌にくっついている酵素サプリメントです。ページ82
私が今あるのは、このおばさんの影響が非常に大きいと思っています。おばさんは、私が結婚してまもなく亡くなりました。お骨は、おばさんの郷里の北海道函館の東本願寺函館別院支院の廟に納められています。毎年夏になるとお参りに出かけます。以前は札幌に住んでいたおばさんの親戚の方と日にち合わせてお参りし、一緒にお酒を飲むのを楽しみにしていました。今その方も亡くなり、墓参りに行っても日帰りですが帰って来てきます。数年前、夏の時期に忙しく過ごしていたことから、今年はお墓参り行くのをやめようかなと思ったことがありました その時、たまたま一緒に仕事していた出版社の人にそんな話をしたら、「それはいけません続けるべきです」としかられました。ページ116