こんにゃく屋漂流記

「こんにゃく屋漂流記」を読みました。千葉九十九里海岸沿いの著者家族のルーツ探しです。祖父がなぜ、千葉の漁師だったのか? なぜ屋号が「こんにゃく屋」なのか? その疑問を解いていくうちに、江戸時代、伊勢の漁師が鰯をもとめて出稼ぎに訪れ土着したことを発見します。先祖の、そして祖父・親戚の格闘の歴史を辿る熱いストーリーです。著者は戸越銀座の生まれです。品川生まれの私には、著者の語る風景は手にとるように分かりました。五反田、大井、大崎、上目黒、実に懐かしい風景を思い出しました。備忘します。

コンニャク屋漂流記

コンニャク屋漂流記

「この先に梅屋庄吉の別荘があったのよ。孫文を支援してた大金持ち。この先の日活の保養所があるあたり。あそこらにいろんな人が来てたのよ」私はその少し前、たまたま日比谷公園の中にある老舗レストラン、松本楼で食事をした時、初めて梅屋の存在を知った。 松本楼は梅屋の子孫が経営する店で、ロビーに孫文や妻・宋慶齢宋美齢の次姉)ゆかりの品々が展示してあった。その梅屋の別荘が母の生家の近くにあったというのだ。( 186ページ)
人はどんな時家族の歴史を知りたくなったり、人に伝えたくなったりするのか。それは終わりが近づいているとき。その思いが栄三さんと私を引き寄せてくれたのだろう。私は栄三さんに会えた奇跡に感謝したくなった。消え行く家族の記憶をなんとか留めていたいという思いを共有した私たちが、こうして出会うことができた。あてもなく大海をさまよっていた2つの船が、強烈な光を発する方の光に引き寄せられ、ようやく出会えたようなものだ。その灯台が北川五郎右衛門だった。( 317ページ)
だからこそ決して手放したくない。何よりも大切なもの。歴史の終わりとは家が途絶えることでも墓がなくなることでも財産がなくなることでもない。忘れる事。思っている限り、人は生き続ける。忘れること、忘れられることを恐れながら、それでも生きていこう。今そんなふうに感じている。(397ページ)