「習近平と中華王朝 滅びの歴史」を読みました。著者、石平さんの本は、中国共産党への批判と習近平を愚か者と見なす点で一貫していますが、今回の本はそれに加えて中華王朝の滅亡の歴史と絡めた興味深い論考が展開されています。本書を通じて、歴史に学ぶことの重要性が再認識されます。政治家が過去の失敗から学び、同じ過ちを繰り返さないことが肝要であると感じました。歴史と現在を結びつける石平さんの洞察には深い示唆があり、読者に多くの考察を促します。
本書では、4つの王朝の滅亡の過程が詳細に描かれ、それが現代の習近平政権とどのように類似しているかが論じられています。以下は、取り上げられている4つの王朝とその滅亡に関する話の概要です。
1. 秦の始皇帝の後継者
始皇帝の死後、後継者である二代皇帝、胡亥が、宦官の権力闘争に翻弄され、わずか数年で滅びた歴史が紹介されています。平家物語の冒頭に、超高と王莽の名前があることを思い出しました。
2. 新の王莽
王莽は、漢王朝を倒して新しい国を建てたものの、その支配は短命に終わりました。彼の改革とその失敗の詳細は、平家物語に匹敵する劇的な逆襲の話であり、非常に興味深い内容となっています。
3. 唐の二代目
唐王朝の二代目の皇帝、煬帝もまた、その治世は短命であり、華やかな治世の陰で滅亡への道を辿りました。なぜそのような運命を辿ったのか、初めて知ることができました。
4. 明の崇禎帝
崇禎帝は非常に有能でありながら、人を疑う性格が災いし、王朝を滅亡させてしまったという話が紹介されています。
これら4人の皇帝の失敗と、習近平の政策や行動がどのように似通っているかを論じることで、石平さんは現在の中国が同じ運命を辿るのではないかと警鐘を鳴らしています。
特に興味深いのは、王莽の改革とその失敗が、平家物語の中での描写とリンクしている点です。平家物語における超高と王莽のエピソードは、歴史上の劇的な逆襲と滅亡の象徴であり、これが現代の中国の状況と重ね合わされているのです。
これは、政治や歴史に興味のある方にとって必読の一冊です。備忘します。
胡亥の教師を長く務めていた老獪な超高は、胡亥がとてつもない馬鹿であることをとっくに見抜いており、胡亥を操る術もちゃんと心得ていた。つまり趙高からすれば胡亥が次の皇帝となれば自分の操り人形となり、彼の自分こそ天下一の権力者として振る舞うことができると踏んだ。だからこそ趙高は胡亥の皇位継承誰よりも熱望したのだ。そして千載一遇のチャンスが巡ってきた。始皇帝は死ぬ寸前、彼は命令を握りつぶし、そして始皇帝が息を引き取ると、趙高はさらなる陰謀を立てて動き出す。ページ34
そうなると、王莽という人物に対して偽善疑惑が浮上する。つまり本当はただの悪党であり王莽は、立身出世の目的ため、儒教の理想的人間像をわざと演じて見せていたのではないか、というものだ。ページ47
このようにして王莽は若い頃は儒教の理想的人間像を演じて見せることで出世のチャンスをつかみ、残酷な権力闘争を勝ち抜いて王朝の政治を掌握し、そして儒教の聖人の周公を利用してからは、さらに聖天使の尭舜までも利用し、とうとう漢王朝を乗っ取るという壮大なる計画を実現させたのだ。ページ57
こうして王莽政権はいよいよ最後の時を迎えることになったが、当時の王莽は亡国の危機にどう対処したのだろうか。彼はなんと、国家の大事の時に哭礼(泣いて、に助けを求める儀式)を行えば良いという周礼や春秋左氏伝などのじさ経典の教えに従い、群衆を率いて南港の祭壇でそれを実行した。王莽という人間は今までの人生の中で儒教的人間を長く演じたため、自家中毒に陥り、儒教の教えに従って行動すれば助かると本気で信じていたのかもしれない。ページ69
自身の享楽のためには、多大な人力の浪費や国費の蕩尽も一切辞さない。しかも人民からすると大災難のような大行幸を、1度だけでなく、2度も3度も繰り返したのだ。こうした中で散々苦しんだ民衆の不平不満が高まるのは必然である。そして…政権を支える多くの下級軍人や軍夫も皇帝に対する不満文子と化していった。こうした行いが随王朝の統治基盤を日々侵食し、大反乱発生の火種を巻いていったのだった。ページ86
崇禎帝は本来、国を滅ぼすような暗君ではなかった。勤勉にして学問好き、享楽を遠ざけて政務に励んだ皇帝は、明王朝だけでなく中国の歴代皇帝の中でも模範的好皇帝の1人に数えられる。ましてやその先代皇帝の天啓帝や、本書にも登場した秦の2世皇帝の胡亥などと比べれば、崇禎帝はむしろ明君の部類に入れるべき皇帝の1人だろう。ページ146
結局、性格上の驚くべきほどの短期さ、指導者としての狭量と卑怯、そしてリーダーたるものの持つべき度量の欠如など、崇禎帝の個人的な特質が、彼の治世下における明王朝内の君臣関係を徹底的に歪め、臣下たちの心を完全に離れさせてしまったことが王朝滅亡の要因である事は明らかだろう。ページ147
そういう意味で習近平は本社で取り上げた、出世の過程において儒教的聖人君子を演じ切った前漢の王莽、そして父王に取り入れて次期皇帝となるため、質素好きな好青年を演じた隋の煬帝とよく似ている。…しかしその一方、かつての王莽や楊広がそうだったように、権力取得のために自らの本性を覆い隠し仮面をかぶった人間は、一度権力の頂点に立ち自分自身を擬装する必要がなくなると、たちに仮面をかなぐり捨てて、以前よりも何倍以上にその本性をむき出しにする。ページ154
そして習近平政権の政治はどうやら徐々に蔡奇と言 いう未去勢の現代宦官の手に落ちてるようだ。習近平王朝は歴代王朝が崩壊する前の末期症状を示し始めているのである。ページ179
実は習近平政権の内政を牛耳っている宦官と並び、政権の外交を壟断しているもう1人の宦官も現れている。中央外事工作委員会弁公室主任兼外務大臣の王毅だ。…王毅は習近平の外交路線の忠実な執行者である。習近平外交路線の基本は、1つは戦狼外交と呼ばれるきょうこか外交、もう一つはそれと表裏一体の連露抗米外交である。…王毅は習近平政権の外相となってから、習近平の意向を受け戦狼外交と連露抗米の両方を積極的に進めた。ページ180
このように習近平は自ら首相に抜擢したはずの側近の李強にまで疑心暗鬼になる一方、本来なら首相が管轄する範囲内の国政から李強をしばしば排除するような露骨な挙動にも出ている。ページ192 李強は紛れもなく習近平に長年、追随した側近中の側近で、習近平から首相に任命された人物だ。このような側近の首相までも信用せずに警戒しているのであれば、習近平という独裁者はどれほど異常な心理状態であるのかがよくわかる。ページ195
実はもう一つの点で、習近平と同じ亡国の君、隋の煬帝とよく似た面がある。それはとてつもなく大きなプロジェクトや、世の中をあっと言わせるような手柄を立てることが3度の飯よりも好きと言う、いわば、好大喜巧である。ページ206 結局、習近平は2章で見た新王朝の王莽と同様、自らの信奉する社会主義理想のためにめちゃくちゃな政策を乱発して、それを強引に進めたのだ。王莽の社会主義政策がもたらしたのは王朝の崩壊であったが、習近平の場合は中国経済の崩壊を加速化させる大きな要因となっている。ページ218