オペラの誕生

「オペラの誕生」(週間朝日百科 世界の文学60)を読みました。ギリシャ悲劇の継承にはじまったオペラ(歌劇)というジャンルの変遷を知りました。ギリシャ文化の素養のない庶民と俗物の王侯貴族の楽しみとして17世紀に成立しました。一流の詩人(脚本)と作曲家で名作が次々と生まれました。「ばらの騎士」「椿姫」「カルメン」など。そして日本人になじみのある「蝶々夫人」も生まれました。その後、映画にその座を奪われるまで娯楽の一端を担っていました。宝塚もミュージカルに影響されながらもオペラの流れの結果だと知りました。
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古事記の物語

古事記の物語」を読みました。古事記の現代語訳です。これまでいくつかの訳を読みましたが、本書は、実によく練れた日本語訳です。久しぶりに通読できました。著者が若い頃に訳して出版した作品を30年後に再出版したとのことです。読みやすいので一気に読んだお陰で、神話から天皇記への流れがよくわかりました。それぞれの話はよく知っているのですが、触れている分量などが確認できました。最も感激した部分を備忘します。

さて、天皇は、その父王を殺しになったオオハツセノスメラノミコト(雄略天皇)深くお恨みなさいまして、その御霊に報いようと思いになりました。そこで、そのオオハツセノスメラノミコトの御陵を壊そうと思いになって、人をおつかわしになりましたときに、兄のオケノミコトが申し上げなさいますには、
「この御陵を破り壊すには、他人をつかわしてはなりません。私自身が行って、まったく天皇の御心どおりに壊してまいりましょう。」
と、このように申されました。
そこで、天皇がおおせられまするには、
「では、兄君のおおせのとおりに、おいでくださいますように」
とこのようにおおせになられました。
そこで、オケノミコトは自ら下っておいでになり、その御陵のそばを少しばかり掘って、かえってお上りになりました。そしてご報告申し上げますには、
「すっかり取り壊して参りました。」
とこのようにもうされました。
すると、天皇は、そのあまりに早く帰り上っておいでになったことを怪しまれて、仰せられますには、
「どのようにしてお壊しになられましたか」
とおおせられましたから、オケノミコトはお応えして、
「陵のそばの土を少し掘りました」
と申しました。
そこで、天皇のおおせられますには、
「父上の仇に報いようとお思いならば、必ず陵をすっかり壊すべきであるのに、なぜ、すこししかお堀にならないのですか」
と、このようにおおせられました。すると、オケノミコトが答えてもうされるには、
「このようにいたしましたわけは、父王の恨みをその陵に報いようとお思いになられるのは、誠に道理です。しかし、オオハツセノスメラノミコトは、父王の仇ではありますが、一方ではわが叔父君でもあり、また天の下をおおさめになった天皇でもあらせられます。今、父王の仇という恨みの心をのみとって、天の下をお治めになられました天皇の陵をことごとく壊しておしまいになられましたならば、後世の人から必ずそしりを受けましょう。しかし、ただ、父王の仇は報いないわけにはまいりません。それゆえ、その陵の辺をすこしばかり掘ったのでございます。すでに、このように辱め申し上げたことですから、後の世に示すにもなりましょう」
とこのように申し上げましたところ、天皇はお答えになっておっしゃいますには、
「これもまた大いに道理です。兄君のなさされた通りでよろしいでしょう」
とこのようにおおせられました。ページ211

ラ・フォンテーヌ寓話

「ラ・フォンテーヌ寓話」(週間朝日百科 世界の文学59)を読みました。18世紀前半は風刺文学黄金時代だそうです。現代の「ごちゃまぜ文化」はこの「風刺」の後継者ではないかと論じています。その代表的な作家がフォンテーヌで代表作が「寓話」です。「セミとアリ」「狐とブドウ」など知っている童話内容は、表面的には教訓物語だが、実は風刺の効いた話とも読めます。
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日本神話の考古学

「日本神話の考古学」を読みました。戦後、日本神話は、架空の物語として扱われていますが、発掘や発見により真実が徐々に明らかになっています。知的興奮を覚えました。古事記日本書紀に記された、国生みの神話からイワレ彦の東征までの考察です。三種の神器の解釈など、考古学的知見からの考察です。以前「古事記を旅する」に触発されて、猪目洞窟や鵜戸、大和古墳群、河内を巡りましたので、内容はよく理解できました。大王は日向からの集団移住の長であり、先行の日向族を取り込んで大和を征服したことを納得できました。「…ナガス彦と戦ったとしているけれども、相手はむしろニギハヤヒだったのではないか」卓見だと思います。備忘します。

日本神話の考古学 (朝日文庫)

日本神話の考古学 (朝日文庫)

  • 作者:森 浩一
  • 発売日: 1999/02/01
  • メディア: 文庫

出雲風土記には「黄泉の穴」があるという有名な文書があって、猪目洞窟がその候補とされている。ページ44
発見されてはいないが、出雲の青銅器生産の技術の粋を凝らしたような長大な銅剣が、今のところ私の脳裏に草薙の剣のイメージとして浮かび上がっている。ページ63
伊勢は水銀の産出地であり、言い換えれば、実際に鏡を磨くこともできる良質の水銀を産する土地であった。ページ71
八咫鏡が日像つまり太陽を造形したものであることと、材料が銅であることがわかる。ページ77
ヌナカワヒメと言うのは、越の地で長い歴史を持つ硬玉翡翠の信仰と富を象徴する女神であり、実在の豪族とは考えにくい、だが、硬玉翡翠の玉類の研究を通して、八坂の勾玉として古典にあらわれるゆな名玉は、越の土地に産したものであることは、まず、間違いないと思う、ページ113
二二ギ尊は、吾田の土地においてコノハナサクヤヒメに出会った。…名前は美しいが、気性の激しい女神である。そのため、いつしか富士山を祀る浅間神社の祭神にもなった。つまり火のことから火山の神になったのである。ページ139
鵜戸の洞窟を神武霊跋、つまり聖跡とする神話と結びついた信仰があったことを知ることができる。ページ152
私には「隼人の地」というのが、古代において決して文化や生活水準の劣る土地には思えない。ページ161
松本清張氏の考古学者の森本六爾を主人公にした「風雪断碑」(のちの「断碑」)という、それほど長くない小説が載っていた。主人公が自分の専門分野での先輩だから、早速読み、感動したのを覚えている。ページ187
このように高地性遺跡は、弥生時代が平和な時代ではなかったことを物語っている。ページ195
そういう立場で、大阪湾に入ってからのイワレ彦の行動を見るとき、最大の疑問は河内の日下の戦いである。…ナガス彦と戦ったとしているけれども、相手はむしろニギハヤヒだったのではないか、ということである。ページ239
瀬戸内海を東進し、大阪湾に入り、河内の湖を経て、生駒山脈の麓に攻め込んだイワレ彦の軍勢を迎えうったのはニギハヤヒの勢力であり、それに協力して大和の勢力も加わった。太陽に向かって戦う事はできないとして熊野から迂回した本当の理由は、まず大和の勢力を味方につけてから強大なニギハヤヒの勢力を屈服させることになったのであろう。ページ231

パンセ・エセー

「パンセ・エセー」(週間朝日百科 世界の文学58)を読みました。科学の天才にして、哲学者のパスカルの事蹟をしりました。本棚で眠っている「パンセ」を紐解く必要を感じました。モンテーニュのエセーが「私」を晒すことの先駆けだったとは知りませんでした。そして、パスカルが深い影響を受けたことも…。デカルトマキャベリの概説は簡潔で的を得たものだと思います。それぞれに格闘した人生模様に思いを馳せました。
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神曲・新生・ヴィヨン詩集

神曲・新生・ヴィヨン詩集」(週間朝日百科 世界の文学57)を読みました。ルネサンスの前駆、ダンテ「神曲」の内容をはじめて知りました。「ベアトリーチェ」は憧れの人であるとともに哲学の到達点です。ペトラルカの「ウララ」もまた永遠の恋人でした。ここには、まだルネサンスの生き生きとした愛の表現は抑圧されています。英国のジョン・ダン、フランスのロンサールに至って、肉体を含めた恋愛詩に昇華しました。ファン・ルイスの「よき愛の書」に「女と風車と果樹園には絶えずてをかけることが必要なのだ」という句があるそうです。笑ってしまいました。
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アーサー王伝説・トリスタン物語

アーサー王伝説・トリスタン物語」(週間朝日百科 世界の文学56)を読みました。アーサー王伝説が千年も前から欧州の定番だったとは知りませんでした。英雄譚と姦通が入り交じった複雑な大作です。特定の作家の手になる作品ではなく、基本モチーフを自在に改変した物語です。また、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」も「スターウォーズ」もこの物語の派生だとは驚きました。
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