歌謡曲から昭和を読む

「歌謡曲から昭和を読む」を読みました。半年ほど前にBSで、著者、なかにし礼氏と寺島実郎氏との対談を視聴しました。歌謡曲史と満州での体験や戦後の混乱期の話でした。本書、老リベラリストの面目躍如です。特に、巨匠、古賀政男服部良一の評価は圧巻です。それでも軍歌を創作した作家に責任はあると言い切っています。軍歌を作った古賀政男が戦後、暗い曲が多くなったのは反省からかと推量しています。一方、作らなかった服部良一は「東京ブギウギ」などはじけたと述べています。「歌謡曲は、元々、西洋音楽の延長にあった、昭和とともに終焉した」卓見です。備忘します。

歌謡曲から「昭和」を読む (NHK出版新書)

歌謡曲から「昭和」を読む (NHK出版新書)

平成の時代の20年ほど超えた。ということは、歌謡曲の終焉からも、すでに20年以上が経ったわけだ。ページ8
全く不思議な符号としか言いようがないのだが、歌謡曲は初めから終わりまで、昭和という時代とぴったりと重なっている。ページ11
ここで、大正期から昭和にかけての日本人と音楽の関わりを見るうえで、外すことのできないテーマに触れておきたい。ずばり、3拍子である。今でこそ3拍子の曲などいくらでもあるが、実は日本には元来3拍子というリズムはなかった。これはヨーロッパ期限のリズムで西洋音楽には古くからサラバンドレントラーマズルカメヌエットなど3拍子の曲がいくらでもある。ページ48
マヒナスターズが歌ってヒットした「お座敷小唄」。例えば「妻という字にゃ 勝てやせぬ」とか、「どうかしたかと、肩に手を どうもしないと、うつむいて 目にはいっぱい涙ため あなたしばらく来ないから」といった小粋な文句である。これらの文句には江戸時代以来の男女の色恋のエッセンスが詰まっている。女がいかに男に惚れ、泣き、諦めるか。その「粋な悲哀」を歌に乗せるとき、聞くものはうまいことを言うなと感興覚えるわけだ。ページ69
例えば加藤隼戦闘隊という名曲がある。(エンジンの音轟々と)…まさに名文。歌謡史に残る傑作である。しかし、私は思う。いい歌であるからこそ、多くの人が愛し、戦闘力を掻き立てられた。いい歌であるかからこそ、人は勇躍、戦地へと赴いたのである。軍歌は人を煽り、洗脳し、教育するときには大変な効果を発揮するものなのだ。だから軍歌は、いい歌であればあるほど、名曲であればあるほど罪深い。このことを決して忘れてはならないのである。ページ89
…詩の言葉がそれ自体で完結していては、曲をつける意味がないし、逆もまた真だ。つまり言葉と音楽は互いに、どこか欠けたものでなければならないし、欠けたところを補う合うものでなければならない。だから歌を書きたいと思ったら、音がつけられる余地をあらかじめ残して詩を書くこと。そういう詩をかける人間が作詞家であって、そうでない人は詩人であればよい。それがヒット曲を書くための資質的・技術的な前提だ。ページ141
これまで再三述べているように、歌謡曲とは「詩・曲・歌い手」の三つをワンセットとし、ヒットを狙って売り出される商業的楽曲のことである。昭和初期に確立されたこの形態は、戦前戦後を通じてほとんど変わることなく歌謡曲の終焉まで続くことになる。ページ152
そもそも日本の歌謡曲西洋音楽の分母の上に生まれた、モダンで「あちゃらか」な音楽であった。要するに、生まれた時から和製ポップスそのものだったのである。ページ157