修身教授録

森信三「修身教授録」を読みました。衝撃的な内容です。戦前の本ですが、全く時代を感じさせない内容です。 40年前に読んでおきたい本でした。「人生は二度ない」をあらゆる角度から論じています。私の「生き方」や「哲学」は間違っていたのかもしれません。 5年ほど前から本棚に飾ってありましたが、一念発起してとても良かったと思います。1日に2、3講、約一月かかって、ゆっくり読みました。二宮尊徳を読みたくなりました。備忘します。

修身教授録 (致知選書)

修身教授録 (致知選書)

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そこで諸君は、さし当たってまず「一日読まざれば、一日衰える」と覚悟されるのが良いでしょう。ページ65
そもそもわれわれは、真の確信なくしては、現実の処断を明確に断行することはできないのです。ところが真に明確な断案というものは、どうしても通りに通達することによって、はじめて伝えられるものであります。そこで偉大な実践家というものは、一般に大いなる読書家であり、さらには著述をもなし得る程の人が多いと言えるわけです。ページ66
福島政雄先生の愛読書 万葉集論語真宗聖典、マーカス・アウレリウスの随想録、芭蕉絵詞伝附句集及文集、モンテーニュ随想録抄、益軒十訓上下、玉勝間、ベスターロッチーの隠者の夕暮れ、プラトン饗宴、ルソーのエミール ページ68
…身内のものについて人に話す場合には、敬称付けないのです。例えば諸君が自分のお父さんのことは、私の父と言ってお父さんはとは言わないのです。つまりさん付けにしないのです。それから君とか僕とか言う言葉は、同輩又は目下の者に対する言葉で、自分より目上の人に対しては、使わないのが普通です。ページ75
読書の順序は、まず第一には、当代における第一流の本を読むこと、その次は古典です。当代の一人者級の人の世界を知らないで、古典を読むというのは、私は考えものだと思います。ページ138
人間というものは、自分のかつての日の同級生なんかが、どんな立派な地位に着こうが少し慌てず、悠々として、60以後になってから、後悔しないような道をあゆむ心構えが大切です。知事だの大学教授だのと言ってみたところで、60過ぎる頃になれば、多くはこれ恩給取りのご隠居さんに過ぎません。ページ140
読書は、いわば鉄砲で的を狙うようなものです。しかしいかにねらいは定めても、引き金を引かない限り、一向恐ろしくもないでしょう。引き金を引くとは、実行ということです。そこでどんな本を読んでも、実行の心がけのないような人間は恐れるに足りないのです。ページ141
仕事の処理場の心がけと思う言うべきものを、少しくお話ししてみたいと思います。それについて大切なことは、先にも申したように、仕事の処理を持って、自分の修養の第一義だと深く自覚することでしょう。…さて次に大切なことは、このような自覚に立って、仕事の本末軽重をよく考えて、それによってことをする順序次第を立てるということです。すなわち一般的には大切なことを先にして、比較的軽いものを後回しにするということです。…次に大切なことは同じく大事な事柄の中でも、大体何から片付けるかという前後の順序を明らかにするということです。この前後の順序を誤ると、仕事の処理はその円滑が妨げられることになります。…さて次にはこのように名弁された順序に従って、まず真っ先にかたずけるべき仕事に思い切って着手するということが大切です。このとにかく手をつけるということは仕事を処理する上での最大の秘訣と言って良いでしょう。 …それ故ここには、「まず着手する」ということが仕事の処理場なぜ重大な意味を持つのか、詳しい説明はその方へ任せるとして、次に大切なことはいちど着手した仕事は一気呵成にやってのけるということです。同時にまたそのためには最初から最上の出来栄えを、という欲を出さないということです。すなわち、仕上げはまず80点級というつもりで、とにかく一気に仕上げることが大切です。ページ 178
かように考えてきますと、ものに形を与える、ものを取りまとめておくということが、いかに大いなる意味を持つものかということを、今さらのように感じるのであります。ページ187
そこで、このような上位者に対する心やの根本を一言で申しますと、全て上位者に対しては、その人物の価値いかんにかかわらず、ただその人が自分より上だという故で、相手の地位相応の敬意をはらなければならないということでしょう。すなわちこの場合大事な点は、相手の人物がその真価とか実力の点で、自分より上に立つだけの値打ちがあろうがあるまいが、そういうことのいかんにかかわらず、とにかく相手の地位にふさわしいだけの敬意を払うようにということです。ページ211
用務員などに対しても、心のうちでは深く思いやりながら、しかもそのために私情に溺れて隙間を見せ、その結果、相手を甘えさせるというようなことに陥らない注意が大切でしょう。この辺も我々の修養上、一つの呼吸があるとも言えましょう。ページ224
何よりもまず己の務めに打ち込むことから始まるといってよいでしょう。すなわち誠にいたる出発点は、何よりもまず自分の仕事に打ち込むということでしょう。ページ253
したがっていまこの二度とない人生を、できるだけ有意義に送ろうとすれば、我々としては何よりもまずこの人生が二度と繰り返しえないものであり、しかも自分が既に人生のほぼ3分の1とも言うべき20年近い歳月をほとんど無自覚のうちに過ごしてきたということが、深刻に後悔せられなくてはなるまいと思うのです。ページ305
真実の教育というものは、自分の失敗とつまずきを、あとに来る人々に、再び繰り返さずに忍びないという一念から起こると言っても良いでしょう。したがって真の教育者の生まれ出るためには、教育者は何よりもまず自分の過去の過ちに対して、痛切な反省とざんげを問わなければならないでしょう。ページ312
そもそも人間の偉さというものは、だいたい2つの要素から成り立つと思うのです。すなわち1つは、豊富にして偉大な情熱であり、次には、かかる豊富にして偉大な情熱を、徹頭徹尾浄化せずんばやまずという根本的な意志力であります。ページ336
初めにも申したように、知識技能の方面では、一般的には短所を補うというよりも、むしろ長所を伸ばす方法を考えるのがよろしかろうと思いますが、これに反して、精神上の問題なりますと、長所を伸ばそうと考えるよりも、むしろ短所のぞくように努力する方が、よくはないかと考えるわけです。それというのもそれがそのまま長所を伸ばす故にほかならぬからでありますページ352
実際にこの2人の偉人には、いろいろと共通点が見出されます。ことに論語と二宮尊はその趣において、よほど似通うところがあると言えましょう。ページ356
全て実行的な事柄というものは、もちろん多少の例外はあるとしても原則としては「一気呵成」ということが事を成す根本と言って良いでしょう。ページ372
試みにそのひとつ2つを申してみますと、第一は、自分のやりたいことをすぐにやる。つまり自分が本当にしたいと思ったことは、何者をなげうってでも直ちにそれをやる。例えば本を読みたくなれば、たとえそれが真夜中でも、すぐに飛び起きて読むといった調子です。どうもこの辺に、偉大なる人に共通した特徴があるようです。そしてもう一つは、夢中になるということです。夢中になることの出来ない人間はどうもダメなようですね。ページ385
人間は、この暑い寒いと言わなくなったら、そしてそれを貫いていったとしたら、やがては順逆を超える境地に至るといってもよいでしょう。ページ454
昔は剣術とか柔術とか言いながら、武の道を体していましたが、現在では、剣道とか柔道とか言いながら、帰って技の末節に関わって、道を忘れる傾向があるようです。ページ457
そこで人間は、この世の中を床に過ごそうと思ったら、なるべく人に喜ばれるように、さらには人を喜ばすような努力をすることです。つまり自分の欲を多少切り詰めつめて少しでも人のためになるように努力するということです。ページ462
自分の位置を人と比較せぬがよし。一切の悩みは比較より生ず。比較を絶したる世界へ躍入するとき、人は初めて卓立して、いわゆる、天上天下唯我独尊の極致となる。ページ488
そこで私はそこで私は、この「ねばり」というものこそ、仕事を完成させるための最後の秘訣であり、同時にまたある意味では、人間としての価値も最後の土壇場において、この「ねばり」が出るか否かによって決まるといっても良いと思うほどです。ページ493
ですから諸君らにも、もしその日の予定がその日のうちに果たせなかったら、自分の一生もまたかくの如しと考えられるのが良いでしょう。そこでまたわれわれは、死というものを、一生にただいちどだけのものと考えてはいけないと思うのです。それというのも実は死は小刻みに、日々刻々と、我々に迫りつつあるからです。ページ504
50を過ぎてから、自分の余生の作り方について迷ってるようでは、悲惨と言ってもまだ足りません。そこで一生を真に充実して生きる道は、結局今日と一日を、真に充実して生きる外ないでしょう。実際一日が一生の縮図です。…論語にある「行って余力あらば以て文を学ぶべし」というのは1つの良い工夫かと思うのです。ページ505
すなわち何よりも自分の仕事を果たす。そしてその上でなおゆとりがあったら、そこで初めて本を読む。これ実に人生の至楽というものでしょう。ここに「行って余力あらば」と言ってあるのは、自分のなすべき仕事ほったらかしておいて、ただ本を読んでいればそれで勉強や学問かのように誤解してる人が世間には少なくないようですから、そこで実行ということを力説するために「行って余力あらば」と申されたわけで、実際には仕事をなるべく早く仕上げそして1十分の余力を生み出して大いに読書に努めるべきでしょう。ページ506
今これを一言に約するとしたら、諸君はすべからくこの人生の二度ないことを知って、我が身がいかに微々たるものといえども、真の国民教育者たらんとの「志」を打ち立てることのほかないでしょう。そして着手点としては、限りなき読書と日々の実行とが大切だということに帰するわけです。ページ524