人間の生き方、ものの考え方

「人間の生き方、ものの考え方」を読みました。泰斗、福田恆存の講演録です。易しい言葉で難しいことを説いています。戦後の左翼的な言説が闊歩、謳歌していた頃、右翼的で本質的なことを語るのは勇気のいることだったでしょう。戦争に負けようが、原爆が落ちようが、人間の本質は変わらないと主張しています。すなわち、「極限状況に追い込まれた時、人間はどんなことをしでかすかわからない」そういいながら「絶望とは、これで終わりということではなく、これから何かやりがいのある仕事を始めるという出発点だ」と述べています。言ってはいけないことを語り、ペシミストでありながら励ましの言葉を語る不思議な内容でした。備忘します。

それでまず第一に言葉と言うものは客観的なものではない。と言うよりも自分の生命そのものであると言うことをはっきり腹に入れてもらいたいと思います。ページ18
そうでないためには今言ったように常に絶対的な悪、人間は悪なしでは生きられないという問題をいつも見つめている必要があると思うのです。ページ49
私は自分より大きなもの、人間を超えたものの存在を信じようとする事は人間の本能ではないかと思います。それに対してただ理性でもって、「それは何ら根拠がない」と断定する人がいるわけです。しかし人間と言うものは苦労のない時、うまくいっている時はにはさほど思わないけれども、失意に陥ったとき、または死を前にした時などには、やはり人間を超えたものを考えざるをえなくなる、それは何といっても事実なのです。ページ59
人間がそんなに貴重だと思うのは何かの錯覚であって、なくなってしまっても構わないのです。しかしただ、まず存在した、そして存在し続けようと言う欲求がある、その前提のもとにみんなものを考えたり生きたりしているわけです。ページ62
私は近代化と言う言葉には価値が含まれないと申しましたが、それは軽蔑しているのではありません。価値とは関係のない単なる事実であるというのです。ページ84
文化と言うのは、それぞれの民族なり時代なりが持った生き方の様式であります。それには優劣は全くないのであります。もっと美学的な問題であり、あるいは哲学的・宗教的な問題であって、広い意味での技術に関わる近代化の問題とはおのずから別個のものであります。ページ85
極限状況に追い込まれた時、人間はどんなことをしでかすかわからないんだというところから出発して、初めて自己と戦うという工夫が出てくるわけです。本当の意味で、人を愛そうという気持ちも出てくる。言葉による伝達は不可能だと痛感する時、初めて言葉に心を込めるような真剣な努力が出てくるのだと思います。私が絶望と言うときにはこれで終わりだというのではなく、これから何かやりがいのある仕事を始めるという出発点を意味しているのです。ページ107
…それに伴う風俗も変わると思います。しかし道徳のい基本は絶対に変わらない。なぜなら、最高善というものは洋の東西を問わず、自己犠牲、自己放棄と言うところにあるからです。ページ113
50人の命を助けるために、1億人の人間を危険に陥れる可能性を考え与える。そんな場合には、1億人に比べれば50人なんかたかが知れているのだから殺してしまえばいいって、というのが私の考え方です。これは非常に冷酷に聞こえるかもしれませんが、決してそうでないと私は思うのです。ページ128
「自由」という言葉はいつでも「平等」と言う言葉と一緒に使われていますが、実はこの2つは相反する概念です。ですから自分の自由を主張し、押し通すためには、「自由」と書いてあるプラカードを掲げて、相手が自由を主張してきたら、それを抑えるためにプラカードを裏返す。そこには、あらかじめ「平等」と書いておいてある。これが今のやり方なのです。ページ152
真の自由と言うのは成否にかかわらず、やりたいことをやる充実した生きがいのことだと私は思います。ページ156
個人も、過去というものを失ったら人格喪失者になると申しました。それと同じように、国家も過去の歴史と言うものを否定するようになれば、その国家がなくなったということになる。だから、革命が起こって全過去が否定されると、その国家は消滅して、別の国家がそこに生じたということになる。ページ175
歴史が私たちに教えてくれるのです。歴史から学ぶのであって、歴史を学ぶのではありません。こうして歴史から学ぶ、言葉からも学ぶという態度が大切だと思います。ページ176