答えのない世界を生きる

「答えのない世界を生きる」を読みました。ライフネット生命、創業者、出口さんの推薦本です。前半は、「社会心理学講義」の内容と重なるところが多く、理解が容易でした。「虚構」「思い込み」が社会を作っているとの論は、「サピエンス全史」ユヴァル・ノア・ハラリ氏の論に近いと感じました。総じて諦観溢れる内容です。後半は、若い頃の旅行記やら苦労譚で楽しめました。フランス語がろくにできないのにアルジェリアで技術通訳をするくだりは、とても面白かったです。備忘します。

答えのない世界を生きる

答えのない世界を生きる

  • 作者:小坂井敏晶
  • 発売日: 2019/08/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

既存の知識体系から、どう距離を取るか。誰も疑問しなかった前提のいぶかしさに、どうしたら気づくのか。ノイズとみなされ、忘れていった様子に新たな光をどのように当てるか。そこに鍵がある。ページ25
だが矛盾に陥った時にごまかしてはいけないと私が言うのは倫理的観点からではない。矛盾のおかげで、新しい視点に気づくからだ。矛盾は正しく、従来の理論に問題があると示唆している。折角のチャンスをふいにしては、もったいない。ページ32
だが、留学に期待する最大の恩恵は、進んだ情報を本場で得る輸入業にはない。異文化からもたらされる知識は、加算的に作用して既存の世界観を豊かにするのではない。新しい知識を加えるのではなく、今ある価値体系を崩す。これこそが留学の目的だ。ページ40
矛盾に対して安易な妥協を求めてはならない。逆に矛盾を極限まで突き詰める意思が世界観の再構成を胎動させる。矛盾や対立がなければ、常識を見直す躍動は起きない。ページ43
人間や社会を対象にする学問において大切なのは創造性ではない。自分自身と向き合うことだと私は思う。そしてその困難さを自覚することだ。ページ46
自分の頭で考えるためには、どうしたら良いか。専門用語を避けて平易な言葉で語る。これが第一歩だ。科学でも哲学でも基礎的な事柄ほど難しい。述語に頼らず日常語で表現する時、わかっていたつもりの部分に論理飛躍があると気づいたり、問題解決の新たな可能性が発見される。ページ49
形のある人間が形を破ると形破り、形のない人間が形を破ったら形なしですよページ60
忘却、そしてさらに言えば歴史上の誤謬が国民形成のための本質的要因をなす。したがって歴史研究の発展は国民にとって危険な試みなのである。ページ69
…同一性を保証するのは、船の材料でもなければ、形でもない。同一性の根拠は当該対象の外部に隠れている。異なる状況を人間が同一化する。これが同一性の正体だ。時間の経過を超越して継続する本質が同一性を支えているのではない。対象の不変を信じる人間が同一性を錯覚するのである。ページ70
意識が変わっても行動は変わらない。だが逆に、行動が変化すれば、それに伴って意識も変化する。強い感情が行動を変え、その結果、意識も変わる。人間は合理的な動物ではない。行動を後から合理化する動物である。ページ90
…共同体が成立すれば、規範が生まれる。社会の全員が同じ価値観を持つのでない以上、必ず逸脱が感知される。逸脱のの一部は独創性として肯定的評価を受け、他の一部は悪と映る。犯罪と創造はどちらも多様性の同義語である。食物を摂取する側にとって腐敗と発酵が異なる2つの現象であっても、科学的には同じプロセスである事情と似ている。社会で付与される価値は正反対でも、既存規範からの逸脱であり、文化的多様性の結果であることは変わらない。ページ138
繰り返す。なぜ異端者が必要なのか。それは答えが原理的に存在しないからである。世の中に役立つ人材を大学で養成すると言う発想は、答えの存在を前提する。ページ142
だが、文化系学問が扱う問いには原理的に解が存在しない。そこに人文学の果たす役割がある。社会をより良くするためではない。何が良いかは誰にもわからないからだ。いつになっても絶対にわからないからだ。社会が全体主義に陥る社会の暴走を防ぐ。そのために異端者がいる。創造性なんて、どうでも良い。解が存在しなければ、創造性など無意味だ。技術と同じ意味で文化系学問の意義を量ってはいけない。解のない世界に人間は生きる。そこに異端者の存在がある。ページ143
処罰の正当性は国家だけに認められる。法治国家である以上、原則は日本も同じはずだ。「すでに社会的制裁を受けている事情を考慮して、寛大な処罰にする」こんな判決が下るのは原理的におかしい。懲罰権の私的行使を裁判官自らが認めるのは、法曹界の自殺行為である。公式な刑罰とリンチの乖離が性犯罪では特に大きい。ページ310