大衆の反逆

「大衆の反逆」を読みました。オルテガの名著です。大学生のときの英語テキストでしたので、部分的には読んでいました。昔から一度は通読したいと思っていました。ついにその機会が訪れました。「ヨーロッパ人の現在の社会生活の中には…何よりも重要な事実が1つある。その事実とは、大衆が社会的勢力の中枢に躍り出たことである」この一文にこの著作の価値が凝縮しています。
現代(1930年)ヨーロッパでは、選ばれた人間が権力を掌握するのではなく自由民主主義の旗の下、民衆が権力を掌握する兆しがあることを論じています。19世紀、キルケゴール「現代の批判」にその萌芽はありましたが、20世紀前半にオルテガも気づきました。そして現代の私には「当然」だと思えます。今では支配という概念が薄れ、民衆の総意で決定されるという原理が主流です。独裁者にとっても同じ事です。人類は一度、徹底したポピュリズムを通過しないと覚醒しないのかもしれません。備忘します。

大衆の反逆 (中公クラシックス)

大衆の反逆 (中公クラシックス)

  • 作者:オルテガ
  • 発売日: 2002/02/01
  • メディア: 新書

ヨーロッパ人の現在の社会生活の中には、善かれ悪しかれ、何よりも重要な事実が1つある。その事実とは、大衆が社会的勢力の中枢に躍り出たことである。ページ3
人間についての、最も根本的な分類は、次のように2種類の人間に分けることである。1つは、自分に多くを要求し、自分の上に困難と義務を背負いこむ人であり、他は、自分に何ら特別な要求をしない人である。後者にとって、生きるとは、いかなる瞬間も、あるがままの存在を続けることであって、自身を完成しようと言う努力をしない。いわば波に漂う浮き草である。ページ9
…ごく近年の政治的な革新とは、大衆が政治的支配権を持つようになったことにほかならないと思う。…現在の特徴は、凡庸な精神が、自己の凡庸であることを承知の上で、大胆にも凡庸なる者の権利を確認し、これをあらゆる場所に押し付けようとする点にある。ページ13
文明は、進歩すればするほど複雑になり難しくなる。今日、文明が提出している問題は、ものすごく込み入っている。それらの人間問題を理解しうるほど知能が発達してる人の数は、1日1日と少なくなる。ページ108
歴史の知識は、老いた文明を維持し、継承するための第一級の技術である。それが生の葛藤の新しい側面、-生は常に以前の生とは異なっているから、いつも新しいわけだ-に積極的な解決を与えるからではなく、以前の時代の素朴な過ちを繰り返すことを避けるからである。ページ110
19世紀の文明は、自由民主主義と技術と言う2つの面で要約できると私は言った。ここでは後者だけを取り上げることにしよう。今日の技術は、資本主義と実験科学の融合から生まれたものである。しかしすべての技術が科学的なわけではない。…火打石の石斧を作った男は、科学を持っていなかったが、それでも、1つの技術を創造した。中国は、物理学の存在など少しも知らずに、高度な技術に達した。ページ133
…専門家は、自分の専門領域にないことを知らない建前だから、知者ではない。しかし、彼は科学者であって、自分の専門の微小な部分をよく知っているから、無知ではない。彼は無知な知者であるとでもいうべきであろうが、事は重大である。というのは、この人は、自分の知らないあらゆる問題に対して、1人の無知な男としてではなく、自分の特殊な問題では知者である人間として、気取った行動するであろうということを、この事実が意味しているからである。ページ139
ヨーロッパ文明は…自動的に大衆の反逆を生み出した。この反逆と言う事実を表面から見ると、良好な現象のようである。…大衆の反逆とは、われらの時代に人間の生が経験した生の驚くべき増大と同一の事柄だからである。しかし、この現象の裏面は恐ろしい。つまり、裏面から見れば、大衆の反逆は、人類の徹底的な退廃と同一の事柄だからである。ページ157
…支配とは、ある意見の、したがってある精神の優勢なことを意味するのであり、支配とは結局、精神的力以外の何物でもない、と言うことにわれわれは気づくようになる。ページ162
今日の世界は、深刻な退廃に陥っている。これはいくつかの兆候となって現れているが、中でも大衆の無法な反逆が目立つ。退廃の原因は、ヨーロッパの退廃にある。ヨーロッパの退廃にはたくさんの原因があるが、その主要なものの1つは、前にはヨーロッパ世界の他の地方や我々自身の大陸で振っていた権力が、どこか行ってしまったことである。ヨーロッパ支配していると言うことに自信がなくなり、世界の他の地方も支配されていることに得心が行かない。歴史的な主権は分散しているのである。ページ241
問題は、ヨーロッパには道徳がなくなってしまったという、そのことである。大衆的人間が、新たに出現した道徳を尊重して古ぼけた道徳を軽視していると言うのではなくて、彼らの生の体制の中枢において、いかなる道徳にも服さず生きたいと望んでいるのだ。若者たちが新しい道徳について語るのを聞いても、一言も信じてはいけない。ページ249
反動主義を装おうと、革命主義者ぶろうと、そんな事は無関係である。つまり、どんな側面から見ても、少しついてみれば、その精神状態は結局のところ、すべての義務を無視し、なんのためか自分では全然考えてもみずに、自分は無限の権利を所有していると感じていることが、明らかである。ページ250