日本の歴史を読みなおす

「日本の歴史を読みなおす」を読みました。著者、網野氏によれば14世紀頃に日本の大変化でがあったとのことです。現代は、それに次ぐ大変化の時代であり、歴史の学ぶこと必要があると述べています。
普通の歴史書では、公家から武士へ、室町から江戸など、政権が変わったことが中心です。この本は文字の普及、金融、女性の立場や天皇など、別の視点から日本の歴史を読み解いています。この本を読んで歴史に対する自らの常識を疑うきっかけになりました。家父長制や女性の抑圧が最近(江戸時代)頃に確立したものであって、それ以前は違う世界であったことに驚きました。例えば、ルイスフロイスは「日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない」と書き残しています。「女捕り」(レイプ?)を社会が公認する社会だったとは驚きです。備忘します。

ひらがな交じりの文章がこのように増えてくると言うことを考えますと、14世紀15世紀が日本の社会における普及の上で、極めて重要な画期であった事はまず間違いないと思うのです。ページ35
村の成立と文字の普及は不可分の関係にあると思います。町にしても全く同様で、村以上に多くの人々が数字、文字を駆使し、それなりの日を保っていたのです。ページ39
文書の世界での均一性は、明らかに上からかぶさってくる国家の力があり、それに対応としようとする下の姿勢が一方にある。そうした姿勢が、古代以来極めて根深く日本の社会にあるということを考えておく必要があります。ページ45
銭そのものに対する社会の捉え方の変化がよく表れていると思うのです。これを拝金主義と言いましたが、確かにそういう状況が13世紀後半から14世紀に現れてきます。そして15世紀になると、銭は支払、交換手段として、広く流通し機能するようになってくるのです。ページ55
金融についてみると、先程のような神仏の物の貸付け、上分米の出挙に対して、ただ利息をとるための貸付が13世紀後半位から次第に広く行われ始めます。これは世俗的な銭の貸付といって良いと思うので、金融の行為がこのように世俗化してくる。ページ68
こうして14世紀を境にして、商業、交易、金融のあり方、あるいはそれに携わる人、商人、手工業者、金融業者のあり方そのものが大きく変化をしてくる。ページ74
14世紀以前の「穢れ」…ある種の畏怖、畏れを伴っていたと思いますが、14世紀頃、人間と自然との関わり方に大きな変化があり、社会がいわばより文明化してくる、それとともに「穢れ」に対する畏怖感は後退して、むしろ「汚穢」、きたなく、よごれたもの、忌避すべきものとする、現在の常識的な汚れに違いない感覚に変わってくると思います。ページ138
ポルトガル宣教師ルイス・フロイスの書いた「日欧文化比較」という小さな書物があります。…「日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても名誉も失わなければ結婚もできる」「ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。ところが、日本では各人が自分の分を所有している…」ページ144
…ですから女捕りをすぐレイプと言うことはできないと思いますが、それにしてもある女性をオンな女捕ることに成功する。こういう習俗が実際にあるという事は、道を旅している場合の男女のあり方は、日常の世界とだいぶ違うことを示しています。しかもそれを社会が公認しているわけで、「旅の恥はかき捨て」などという諺が現在でも残っているのはその名残ではないかと私は考えております。ページ154
こうした近親婚のルーズさは古くからの日本の社会の1つの特徴で、古代の文献を見ますと、母を同じくする男女の間の婚姻はタブーですが、この場合も恋愛感情が生まれて苦しむ例はありますし、実際にいくつも婚姻の例があります。叔父と姪、叔母と甥の婚姻もたくさん見られます。ページ171
…私はこれを天皇律令風・中国風の皇帝の顔と未開の社会に生まれる神聖王的な顔と、この2つの顔を最初から持っていたと表現しておきたいと思いますページ195
それにしても、なぜ義時の時の義持、信長の後の秀吉のような路線が、結局は選ばれてそれが最後に定着していくのかが、天皇家の現在までの存続の理由を考える上での大きな問題だと思います。…自然信仰とも言える神を今でも持ち続けている日本人の心性まで含めて検討することがどうしても我々にとって必要でないかと思います。ページ215
江戸時代に入って、天皇の存在はどのように社会に受け止められていたかという問題ですが、この時期の頃の権威の構造に関連した1つ大きな問題は、…「公」の意識が庶民の中に極めて根強く存在しているということが1つあると思います。ページ217