「あの日本史有名人の老い方死に方」を読みました。有名人も人間です、いつ頃からを晩年というか深く考えさせられました。水戸光圀、柳生宗矩、勝海舟、池大雅などは羨ましく、渡辺崋山、桂太郎、滝廉太郎、金子みすゞ、竹久夢二、宮城道雄は気の毒な晩年、死に方でした。64歳の私も、そろそろ人生の結着について考えなければなりません。備忘します。
- 作者: 新人物往来社
- 出版社/メーカー: 新人物往来社
- 発売日: 2011/05/06
- メディア: 文庫
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「朝顔に つるべとられて もらい水」加賀千代がこの名句を詠んだのは、59歳の時である。当時は人生50年といわれた時代だから、この句は晩年に咲いた大輪といえよう。「楽は苦の種、苦は楽の種」という格言があるが、千代の人生がまさにそうだった。ページ67
ある日、見舞いに来てくれた望東に、晋作は「面白きこともなき世に面白く」と上の句を示した。すると望東は「すみなすものは心なりけり」と下の句を続けてやった。文学を愛し、世界を飛び巡りたいという夢をもっていた晋作にとり、動乱の中での青春は、さして面白いものではなかったのかもしれない。その不満を知った61歳の望東は、心がけ次第だと、優しく諭したのである。ページ95
キャラメル箱の献上標本 「一枝もこころして吹け沖つ風 わが天皇のめっでましし森ぞ」1925年は南方熊楠の人生において最も輝かしい年であった。…熊楠は「小生のごとき薄運の者すら長生きすれば天日を仰ぐ日もあるなり」と感激し、6月1日、田辺湾内の神島で昭和天皇を迎えた。ページ135
金子みすゞは1903年、山陰海岸屈指の漁港仙崎(山口県長門市)に生まれた。「朝焼け小焼けだ大漁だ 大羽鰯の大漁だ…」ページ226