文系のための数学教室

「文系のための数学教室」を読みました。「文系のため」としていますが、難しい内容です。数学の素養のない人間は読みこなすことはできません。途中の事例を解読、理解するのに疲れて、結論まで飛ばし読みで読了しました。「論理的」に二つの意味「セマンティックス」「シンタックス」があることを知りました。だから主義の違う人間と議論がかみ合わないことがよくわかりました。備忘します。

私たちが着目すべきなのは推論というものです。つまり、論理という推論をつなげていくための手続きなのだと1う見方をすることが大切です。ページ60
人の話が論理的であるかどうかは、その人の取り上げる個々の文の真偽とは関係させるべきではありません。そもそも文の真偽というのは、聞く人の主義主張、宗教思考、感性によってまちまちになります。一方、論理的な議論展開であるかどうかとは、そういった主義主張とは独立に決まってくるものであるべきでしょう。ページ61
以上のように、論理を扱う立場が2つあります。1つは、論理分を構成する個々の文の真偽に立ち入って考える立場で、「セマンティックス」と呼ばれます。それに反して、文の内容や真偽と無関係に、形式的な推論の仕方だけに注目する立場を「シンタックス」といいます。ページ62
古い倫理観を持った教員が、古いセマンティックな論理教育をする限り、同じような論理間の人々が再生産されるのは当然のことです。しかし、論理的な話し方というものを「正しいことを話すことだ」と誤解している限り、主義の異なる人間と論理的な会話を交わすことはできないでしょう。ページ64
このことから実に面白いことがわかります。XYZと言う3人の個人について、おのおの内面的な好みを表す選好が推移律という合理性を持っていても、3人の投票によって決まる「集団の選好」が推移律を満たさない場合がある、ということです。つまり個人の「合理性」が投票を通じて「社会の合理性」へと反映されるとは限らないわけです。ページ134
これまでの解説で、二者択一投票による集団の選択が推移律という合理性を満たさないこと、点数投票による集団の選択が独立性と言う合理性を満たさないこと、が明らかになりました。ページ138
アローは「民主主義的な選択というのはどうやったって不可能だ」というとんでもない定理を数学的に証明してしまったことになるわけです。ページ142
「世界はどのようにあるか、ということが神秘的なのではない。世界がある、ということが神秘的なのである。」ページ190