「合理的選択」を読みました。3月31日のFBに、感染の確率について、この本の事例を引用しました。
「…あなたはある病気にかかっているかもしれないと心配しています。そこで、あなたは検査を受けます。この検査は、もしあなたが罹患しているなら90%の確率で陽性になりますが、罹患していなくても5%の確率で陽性(偽陽性)になることが知られています。検査の結果が陽性であったとき、あなたが罹患している確率はどのくらいでしょうか。多くの人は90%とか95%とか、その間とかといった値を答えます。でも正しい答えは、これだけではわからないです。…したがって、陽性反応が出た人の罹患している人の条件付き頻度は、たったの15.38%になるのです。」
一見、正しく見える選択が、数学的には必ずしも、そうではないことを説明した部分です。備忘の最後の部分に全文を載せておきます。それにしても読んでいるときには理解できたつもりでも、読み直してみると解らなくなってしまうことが多いのにはがっかりです。例えば「ナッシュ均衡」につぃての概念は、すぐ頭の中から消えてしまいます。ゲーム異論がわからなければ、現代経済学は多分理解できないのに…備忘します。
- 作者:イツァーク・ギルボア
- 発売日: 2013/03/09
- メディア: 単行本
人々はしばしば彼ら自身のものではない選択肢をコントロールすることができると誤って仮定したり、逆に自分の選択肢をコントロールすることができないと誤って仮定することによって誤った結論にたどり着いてしまうからです。ページ23
結論を言うと定理の第一の解釈は規範的なものです。効用最大化定理は、ある特定の意思決定モデルに従って行動した方が良いことを、私たちを含む意識決定者に納得させる一助とすることができるのです。ページ39
ここでは問題を定式化するために際して3つの段階を区別します。①意思決定変数を決める、②制約を決める、③目的を決める。ページ46
保険の例を再び考えてみましょう。もし期待値を最大化するならば、保険は買うべきではありません。この事は保険料が期待損失額よりも高い場合には常に成り立つことです。通常の保険契約はそのようになっています。ページ66
…人々が行動する際に小さい確率を過大評価する傾向があることを示しました。すなわち人々は小さい確率に対し、あたかもそれが知られているよりも大きい確率で起こるかのように反応すると言うのです。ページ69
異なる個人の先行集計する作業には様々な効用の定義の問題、集計の整合性の問題、真実の先行表明するインセンティブに関する問題です。私たちが現実の民主制のつくりを考えて、政治的妥協の過程を見て嘆く時、理論的にすら魔法の解決法は無いのだが、と言うことを頭の片隅に入れていく事は無駄ではないでしょう。ページ127
人類史上の大いなる過ちのいくつかのものは人々が実際よりも親切で優しくてより利他的になれると言う過程と関連付けることができます。共産主義が好きか嫌いかはともかく、共産主義が現実よりも望ましいいもののような印象をもたらしたのは明らかです。ページ146
法制度は囚人のジレンマ的状況に対する解決策になります。民主主義国では、多くの法律は次の2つの特徴を持っています。①誰もその法律を守らない状態よりも、みんながそれぞれ守る状態の方がみんなにとって望ましい、②みんなが法律を守るか否かにかかわらず、ある人が法律に従うことから免除されるならばその人が得をする。そのような状況が特定された場合には、リベラルな人でさえ個人の権利を制限する法律に賛成するでしょう。ページ149
前述したように、プレイヤーたちの戦略の組が「ナッシュ均衡」であるとは、各プレイヤーの戦略が他のプレイヤーの戦略に対する最適反応になっていることです。ページ155
すぐわかることですが、他のプレイヤーがどう考えているかについて他のプレイヤーがどう考えているかについて、他のプレイヤーがどう考えているか、といったことを知ることが大切だということに気づきます。ページ169
かなりの程度、合理性は感情と整合的なものであると結論付けられるでしょう。さらに合理性は感情理解する助けにもなるし、その逆も真です。進化論で感情的反応は合理的飯選択を定義する際に必要なものなのです。ページ209
1つの可能的な結論は…社会政策は幸せの最大化ではなく、不幸の最小化に焦点を当てるべきということになります。ページ217もう一つ人々がよく犯す過ちは、Aという事象を所与としたときのBという事象の条件付き確率と、その逆、つまりBという事象を所与としたときのAという事象の条件付き碓率とを混同するというものです。次の例を考えてみましょう。
あなたはある病気に罹っているかもしれないと心配しています。そこで、あなたは検査を受けます。この検査は、もしあなたが罹患しているなら90%の確率で陽性になりますが、罹患していなくても5%の確率で陽性(偽陽性)になることが知られています。検査結果が陽性であったとき、あなたが罹患している確率はどのくらいでしょうか。
多くの人は90%とか95%とかその間といった値を答えます。でも正しい答えは、これだけではわからない、です。理由は、あなたが罹患しているときと罹患していないときの陽性になる条件付き確率しか与えられていないからです。私たちは条件付きでない罹患の確率に関する情報を与えられていません。そして、この情報が、陽性であるときの罹患の条件付き碓率を計算するのに必要なのです。
この点を見るために、確率ではなく人々の人数の割合で考えてみましょう。今1万人の人がいてそのうち100人が罹患しているとします。すなわち、先験的な(条件付きでない)罹息の頻度は1%です。これら100人の罹患者のうち検査によって陽性反応が出たのは90人だったとしましょう。すると、罹患しているという条件の下での陽性反応の条件付き頻度は90%になります。一方、残りの9,900人は健康体です。でも、彼らのうち5%の人は検査結果が陽性、つまり計算すると、495人が偽陽性になります。全体では495+90=585人に陽性反応が出ることになります。しかし、彼らのうち罹患しているのはたったの90人です。したがって、陽性反応が出た人のうち罹患している人の条件付き頻度は、たったの90/585=15.38%になるのです。
これを確率用語で置ぎ換えると、罹患を条件としたときの陽性反応の条件付き確率は90%であるにもかかわらず、陽性反応を条件としたときの罹患の条件付き確率はたったの15.38%ということになります。もちろん、陽性反応というのはいい知らせではありません。検在結果を知る前は1%しかなかった罹患確率が15.38%に跳ね上がったわけてすから。でも、この数字は90%と比べるとかなり低いですし、50%と比べてもそうです。したがって、罹患している人の過半は陽性となるのに対し、陽性となった人の過半は罹患していないということになります。
上で計算した2つの相対頻度は、分子は同じてすが、分母が異なっています。罹患者の中て陽性となる人の割合を考えたときには、両方の条件を満たす人 — 罹患していて、かつ陽性となった90人 — を罹 患者の数100人で割りました。この比90/ 100が罹患者の中における陽性者の高頻度を表しています。それに対し、陽性者の中で罹患している人の割合を考えたときには、両方の条件を満たす90人を陽性者の人数585人で割りました。つまり分子は90で分母は585てす。結果は 大幅に異なることになります。それにもかかわらず、人々は分母が異なることを忘れがちなのです。
カーネマンとトウェルスキーは慎重な実験を通してこの現象を報告 しています。彼らはこの現象を「元の割合を無視する行動」と呼んでいます。なぜならある事象を所与としたときの別の事象の条件付き碓率とその逆の条件付ぎ確率の比は2つの事象の条件付きでない確率(私たちの例ては100/ 585)になっているからです。元の確率を無視したり、条件付ぎ確率を混同することは、「AはBを意味する」と「BはAを意味する」という2つを混同することの確率版とも言えるでしょう。明らかに両者とも、注意していなければ私たちのほとんどが 犯しがちな過ちと言えます。
条件付き確率の混同は様々な集団に対する僧見とも関連がありま す。例えば、スカッシュのトッププレイヤーのほとんどはパキスタン人です。だからと言って、ほとんどのパキスタン人がスカッシュのトッププレイヤーというわけではありません。私たちがいま考えている 現象は人々がこの手の過ちを犯しがちだということを示唆していま す。もしこの例をもう少し紛らわしいものて置き換えたとしたら、社会に蔓延しているある集団に対する偏見が統計的には正当化できないものであることがわかるでしょう。
「合理的選択」ページ87~