いきの構造

「いきの構造」を読みました。若い頃に読んだ記憶がありますが、読み終えたかどうかは定かではありません。この著作は論文に近く、難しい用語に阻害されて読みすすめるのは難行苦行です。まずは、江戸時代の西鶴浄瑠璃生活様式など著者の知識の豊富さに圧倒されました。
理解できた部分だけを記しておきます。「いき」の第一表徴は異性に対する「媚態」だとしています。「いき」な話といえば、確かに異性との交渉に関する話のことです。第二表徴は「意気」だとしています。「意気地」のことです。第二表徴は「諦め」だとしています。執着を解脱した無関心のことです。「媚態」「意気」「諦め」が「いき」の本質で、さらに、その関係性について述べています。並立できるのか、独立的なのか、私には判然と区別はできませんでした。
「いき」とは、日本民族の特有な心象風景、評価基準で、「垢抜して、張りのある、色っぼさ」と定義しています。江戸文化の影響が大きく「うすものを身にまとう」「姿がほっそりしている」「薄化粧」「素足」が「いき」だそうです。芸術との関係に至っては、私の教養不足で、ほぼ理解不能でした。
それにしても「いき」という言葉ひとつとっても奥が深いと感じました。