日本史の終わり

「日本史の終わり」を読みました。池田信夫氏の対談本です。与那嶺先生と話がかみ合っていないような気がします。また対立点を際立たせることもなく、そうだ、そうだ、で終わっているような気がします。備忘します。

「日本史」の終わり  変わる世界、変われない日本人

「日本史」の終わり 変わる世界、変われない日本人

そもそも法や基準の作り方自体が間違っているのだから、完璧にコンプライアンスできるはずはないのに、「完璧でなくてはいけない」という建前だけが成立してしまうと、裁量行政ならぬ裁量司法がまかり通る、一番だめな国家になってしまう危険性がある。(p.102)
日本の裁判官は独立していなくて、みんな空気を読んでしまう。ホリエモンがいじめられたら最高裁実刑を出してしまう。粉飾決算なんて普通はみんな執行猶予で、カネボウなんて2000億円も粉飾したのに執行猶予ですよ。なんで50億円ぐらいの粉飾決算実刑なのか、全然わからない。行政権の裁量に関わるところは、全面的に行政の裁量を認めますね。(p.201)
小泉さんなんて自民党の中では傍流派閥の変人とかいわれていた人なのに、飯島勲さんと竹中さんという参謀がいれば、あそこまでできた。ほとんど個人営業みたいなものですが、それで霞ヶ関があそこまで動いたでしょ。竹中さんによれば、組織いじりをしなくても、指導力のある政治家がやれば動くというのです。(p.243)
ばら撒かれた拒否権が大きすぎるから損切りができずに、行くべきところまで行って、完全に破綻して(ハイパーインフレ)、焼け野原になってから、「はい、リセット」で一からやり直しになると。…今度は人が死ぬわけじゃないんだから、「焼け跡」から立ち直るのも一つの選択肢でしょう。(p.298)