「騎馬民族説」とは、東北アジア系の騎馬民族が朝鮮南部の唐から北部九州にわたり、そして5世紀の頃、畿内へ侵攻し王朝を樹立したという説です。江上波夫先生の説です。その先生の特別講義「私の学問 古代との対話を求めて 」(1991年)を視聴しました。この説は、皇国史観や唯物史観とも違い大陸史観ともいうべきであり、その後の日本に大きな影響を及ぼしています。ちなみに山川出版の高校世界史の監修が山川先生でした。備忘します。
- 作者: 江上波夫
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1991/11
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北方騎馬民族説を考えたきっかけは、昭和のはじめに中国での体験である。黄河流域の漢民族に接してみると閉鎖的で伝統的で、権威主義的である。城壁を作るのも特徴である。また女性は外に出てこない。また宗教は道教的である。一方、蒙古民族は、開放的で女性が外で働く、現実的で新しいものを好む、どうも日本民族は蒙古民族に似ている。蒙古民族は他の民族を自分のイデオロギーで指導する伝統もある。日本は、農耕民族がそのまま発展したのではなく、別の要素、北方民族の影響があったのではないかと考えた。具体的には、東北アジア系の騎馬民族が朝鮮南部の唐から北部九州にわたり、そして5世紀の頃、畿内へ侵攻し王朝を樹立したのではないか。その仮説を遺跡発掘で証明しようと思った。
「人間とは何ぞや」という問に対しては、専門化、細分化してはいけない、人類学、歴史学、民俗学、言語学を総合して研究するべきである。専門化すると行き詰まって教育家になってしまう。また、西洋中心の世界歴史観を覆し、日本こそが、新しい世界史、未来史を書けるのではないか。