知の教科書フランクル

名著「夜と霧」の著者にして、心理療法の大家「フランクル」の解説を読みました。衝撃です。トラウマ認知や目的志向では精神は癒せないことを理解しました。幸福を求めれば幸福でなくなり、自分探しをすれば自分を見失うパラドックスが起きます。その通りだと思います。まさに中年期以降の人間が、人生の折り返し地点において、自分のこれまでの人生を見つめ、新たに生き直そうとするときに、大きな気づきの手がかりを与えてくれるものです。「人生に問い」を発するのではなくて、この「人生からの問い」に答えなくてはならなりません。深く了解しました。備忘します。

知の教科書 フランクル (講談社選書メチエ)

知の教科書 フランクル (講談社選書メチエ)

自分が何をしたいかではなく人生で自分は何を求められているかを考えるフランクル心理学。それは、まさに中年期以降の人間が、人生の折り返し地点において、自分のこれまでの人生を見つめ新たに生き直そうとするときに、大きな気づきの手がかりを与えてくれるものである。ページ27
フロイトは、人間は「過去」に支配され、コントロールされる生き物だと考えた。それに対してアドラーは、人間は、過去にではなく、自分が選んだ「目的」によって支配されコントロールされる生き物だと考えた。人間は自分の目的を自覚的、意識的に選択するのであるが、一旦選択したならばそこに因果の法則が作用し始めて、自分の選んだ目的に支配されコントロールされ始める、というのである。これに対してフランクルは、人間を動かしているのは、「意味」であると考えた。ページ51
フランクルの思想、そしてその臨床的方法であるロゴセラピーは、「何かが、あなたを待っている」「誰かが、あなたを待っている」と伝えて、その人を「待っているもの」に意識を振り向けさせ、生きる意欲を喚起しようとするものである。ページ87
ホモサピエンスという人間の定義が理性や知性に人間の本質があると考えるのに対して、フランクルのホモ・パティエンスという定義は、「苦悩」という点に人間の本質を見出している。ページ118
仕事中毒の人にとって最も恐ろしいものは、何も仕事がない日である。日曜日にウィークデーの慌ただしさがやんで、実存的空虚が彼らの中で口を開けると、自分の生活の内容のむなしいことを意識せざるを得なくなる人がいる。フランクルは「日曜神経症」と呼んでいる。ページ134
…自分探しという言葉があるように、「本当の自分」「真の自分」がここではない、ここではないどこかに存在しているはずだと信じて、人はその「真の自分」を追い求める。しかしここではないどこかに、「真の自分」などありはしない。その結果本当の自分を求めれば求めるほど、人は自分自身を見失っていく、という本末転倒が生じる。ページ138
…人間は「人生に問い」を発するのではなくて、この「人生からの問い」に答えなくてはならない。人生からの問いが主であり、先であって、それに応答するのは人間本来の役割である。「人生からの問い」引き受け、それに応えていくこと。ここに人間と人生との本来的関係はあるとランクは言うのである。ページ142
フランクルは、人間という存在の本質は、人生からの問い、呼びかけに応答する、と考えていた。応答性こそ人間の本質がある、というのがフランクルの人間論の肝である。ページ155
毎日の仕事を、ただ「生活の糧」を得るために行っているルーティンワークだと思ってやっていると、「やりがい」もなくなっていくであろう。フランクルは、あなたの仕事は「あなたの人生があなたに与えたもの」であり、「あなただけが果たすべきもの」である。そこには固有の意味がある。そういう視点から日常の仕事見直してみよ、というのである。ページ193
人間の幸福にとって真に重要で不可欠なもの。それは「魂の充足」ないし「意味の充足」であって、それに変わるものはない。そして魂を満たして生きていく上で、自分の人生に与えられた「使命」を全うしながら日々を生きているという実感を抱けていることほど、大きなことはない。その時、その人のそれまでの人生がどれほど苦難にしたのであろうと、すべての出来事は必然的な意味を持って輝き始めるのである。ページ199
自分を忘れ、空虚忘れ、症状忘れて、ただ、己の人生に与えられた使命・天命をまっとうせよ。そうすれば空虚も、自分への過剰な関心も、症状も、いずれ、いつの間にか自然になくなる。つまり己の人生の使命・天命に我を忘れて取り組む、という人間本来性。それを取り戻せ。そうすれば心の問題はいずれ消え去る。そんな実にシンプルな答えなのである。そして極めてシンプルで、簡明・素朴であるがゆえの説得力が、フランクルの思想にはある。ページ226