パラサイト社会のゆくえ

「パラサイト社会のゆくえ」を読みました。ベストセラー5年後の続編です。両親が老齢化しはじめ「かじれるスネ」も無くなって、どうしようと途方に暮れるパラサイトたちの様子を豊富なデータから明らかにしています。将来が描けない不安が若者を蝕んでいる、あるいは夢を描けないことが若者の行動を阻害している、と書いてあります。備忘します。

パラサイト社会のゆくえ (ちくま新書)

パラサイト社会のゆくえ (ちくま新書)

つまり1998年問題とは、将来の生活の不確実化に直面し、その不確実化に耐えられない人々が起こす問題だと考えられないだろうか。近年増加している青少年や若年男性が起こす凶悪犯罪、特に、無差別に起こすものに、動機が理解できないものが多い。私はそれを「やけ型犯罪」「自暴自棄的犯罪」「不幸の道連れ型犯罪」などと呼んでいる。不幸を感じて、将来の見通しもなく、このまま生きていても仕方がないから、自暴自棄になり、幸福な人を道連れにして自分の人生を終わらせたいと言うケースが増えているような気がする。自分の子供を虐待したり、強制わいせつでうさをはらすのもこれにあたるだろう。ひきこもりや不登校は人生の将来見通しが立たないから、社会で関わることを避けようとした結果の現象だと解釈できる。(33ページ)
妊娠したというのは結婚するきっかけとしては、最も「正当」なものとなっている。妊娠しても結婚しないというのは、世間から見ればよろしくないこととみなされる。よくないことを避ける事は、無条件で認められる。 まわりや、親、そして、自分自身に対しても、この決定は、「仕方がなかった」と言い聞かせることができるからだ。それは結婚に対して、自分が決断したというスタイルをとりたくないと言う責任回避の姿勢が見え隠れする。 (53ページ)
「好きな男性に告白できる日」というバレンタインデーの日本的な意味は、完全に形骸化してしまったし、欧米のカップルのようにプレゼントを交換する日にはなってはいない。だからと言って、バレンタインデーは衰えない。(70ページ)
結局は、今の現代という時代に対応していないのではないか。学校出れば、そこそこの職につける時代は終わった。それなら、公教育で自分の能力を開花させるような多様なプログラムを用意するきではないのか。ゆとりを与えれば子供は自分から進んで勉強するようになるなどと言う楽観論に陥らず、今の経済状況に対応した公教育システムを作り出すことが望まれる。(101ページ)
それでも自殺するのは、経済的動機と言われるものの裏に、経済的でない動きが隠されているからだと考えられるある。それは経済的に妻子を養うと言う「男性のプライド」である。借金にしろ、生活苦にしろ、失業にしろ、自殺するのは、男性である。同じように困るはずの妻子が自殺するというケースは稀である。妻子を養う、いや養うだけでなく、豊かな暮らしを保証することが自分の存在意義と考える男性が、失業、倒産などによってその役割を果たせなくなった自分に生きる意味を見出せず自殺に至るのだとすれば、その気持ちは理解できる。(146ページ)
「ペットが日本家族を救っている」というのは言い過ぎだろうか。とすると、今後、家族が不安定になればなるほど、ペットにお金をかける人が増え、ペット関連産業が市場の成長産業になっていくのは、間違いない。商売始めるなら、人間にあってまだペットになされていないものを作ったり、サービス業を立ち上げるのが1番である。ただ犬(に対する)家庭教師はいるし、 ペットマッサージもあるし、ペット用ジュエリーもあれば、ペット仕様の乗用車まである。素人の私が考えつくような商売は、もう、誰かが始めているに違いない。(154ページ)
本気で青少年健全育成をしようと思うなら、青少年に「努力すれば必ず報われますよ」と言う道を示すしかない。それには、大人たちは仲間内から評価される仕事を創りだすことである。しかし将来に不安を持ち、努力が報われないと思っている大人が多い限り、青少年が健全に育つはずはない。今の大人が作り出している日本社会が、これから仲間入りする青少年にどのように見えているかを一度考えてみた方が良い。(183ページ)