がんから始まる

「がんから始まる」を読みました。「幸せはガンがくれた」ではガンの原因が自らにあるとの主張が強かったので、反省とともに落ち込みました。「悔い改めよ」と言われたような気がしたからです。しかし本書を読んで救われました。「知性」は乗り越えていくことを理解しました。どんな状況でも自分の未来は自分で拓く問いう強い意志が戻ってきました。無駄だとわかっていても追求することが大事だと納得しました。検査や入院、手術、予後のこと、たくさんのことを教えてもらいました。まだ検査結果は出ませんが心が平静になりました。備忘します。

がんから始まる (文春文庫)

がんから始まる (文春文庫)

がんになったことについて、因果応報的な考え方をする人もいるが、私に言わせれば論外なので、ここでは検討を加えない。ページ54
生死にかかわる一大事のただ中なのに、それにふさわしくないくらい具体的なことで、時が過ぎていく。それもまた人生の1つがありようなのだろう。生きるとは、思いもよらの局面を、次々と人に提示し、大きな問い投げかけてくる一方で、それと対極にある些事の連続でもある。ページ93
がんが「慢性疾患」たりうるのは、患者が「死なない」からである。すぐに死んでは、「慢性」という持続性は出てこない。ガンイコール死病ではない。ガン細胞を消滅させることはできなくても、増殖を抑えたり、症状緩和したりしながら、内に抱えたまま生きられるのだ。ページ139
星や月と、太陽とが交代し、それを満たす光に目を覚ます。希望、という子が、ごく自然に、胸の中に降りてきた。その言葉を、忘れずにいたい。受容を心の片隅に、真ん中には希望を置いて、退院後生きていく。ページ145
今の告知より、再発を告げられた時のほうが、はるかにショックだというのも何かで読んだ。私もこれから再発するかもしれず、その時は、過酷な治療になるだろう。あと何ヶ月と、余命を作られることもあり得る。それらの局面を迎えたとき、私は今の私でいられるだろうか。ページ196
生きるとは蓋然性の連続だ。限りなく確からしさとわかっていてもなお予測のつかない領域がある。知ることに対する本能に近い欲求を持って生まれた以上、私たちは全く知らずにいることはできないが、完全に知ることもまたできないのだ。まさしく生きてみないとわからない領域が常に常に残されている。ページ203
がんを、気づかずにいたものをもたらし、天からの授かり物のように言う人がいる。私はそう思わない。そこまでがんを受け入れない。私はまだ、そうしたロジックでがんを肯定したくはない。…でもあの時、取り出された腫瘍と入れ代わりに、私の中に宿った何かは、少しずつ育っている。何に成長していくか分からない。私の内なる未知のもの。生きる意志? そう、今はその姿をとっている。私の生は不確実だが生への意志は、確かに脈打つのを感じる。ページ224
病は気からか。治らない人、進行して死んでしまう人は、本人の気の持ちようが悪いのか。自業自得なのか。そんなことはないと言い切れる。この間なくなっていった周囲の患者でいわゆる明るく前向きな人は、大勢いた。…その人たちの辿った経過まで、気の持ちように帰してしまうのか。彼のむしろ死ぬまでの生き方に、目をつぶっていいのか。ページ234
「無駄と知りつつ何かに熱心に取り組むことができるかどうかが、我々の人生の質を決めることになる。いや、むしろ何をしても無駄と覚悟していることが、それでもなおこれをするという決断に重みを加える前提でさえある。」頼藤和寛の「人皆骨になる」の中のこのくだりは、私がうまく整理できないでいた心を言い当てていて、胸のすく思いがした。ページ238
がんという疾患の本質が解明され、その基本的な原因は「老化」であり、寿命が延びた期間に、蓄積された遺伝子の変異で発症することが明らかにされてきた。したがって、がん患者は60歳前後から増え始め、60代から70代と増加し続ける。その状況を具体的に言うと80歳は40歳の倍の年齢だが癌になる確率は16倍だとの統計もある。ページ261