「火の鳥 懸命に生きる」を読みました。漫画版の「火の鳥」は何度も読みました。映像作品化された「火の鳥」も全て観ています。手塚治虫の死生観は多分、自分の中に深く刻み込まれています。人の崇高さと、汚さの同居も教えてもらいました。「ロビタ」の部分の言及が足りないのが気になりましたが、「火の鳥」ファンが、それぞれのシーンを思い出すのにとても良い本です。備忘します。
- 作者:手塚 治虫
- メディア: 単行本
手塚治虫の中には、命あるものの素晴らしさと、その愚かさ、そしてそれらの生き物がしがみついている地球と言うちっぽけな星への想いが絶えず熱く息づいていたとに違いない。ページ10
自ら生み出した科学と言うもののために、自らが生きる地球と言う星を汚し、痛めつけている。今の地球を救えるかいなかは、おそらくここ100年位の間に、人間がどういう行動を取るかにかかっているだろう。人類は自分で自分の首をしめていると言う事実をしっかりと見つめ、瀕死の地球を救うために何らかの行動に出なければならない時が来ているのだ。火の鳥が、今度の人類こそ、間違いに気づいてくれるに違いないと思い続けてくれているうちにページ83
…古代から山川草木に人格を認め、それらを人間と同格に愛してきた、ある種、アニミズムの民族とも言える日本人は、命を持たない機械にも深い愛着を持つことができる。未来社会において、コンピューターやロボットと共存しなければならない時が来ても、日本人はその問題をうまく処理することができるであろう。日本人は、そういった資質を十分に持っているような気がすると手塚治虫は述べている。しかし、そこによりかかり過ぎることがあってはならないと火の鳥は警告している。ページ105
戦争、それは人間が権力と言うものに目覚めた遥か昔から、繰り返されている。自らも戦争体験した手塚治虫が、空襲で命を奪われた人々の死体が散乱する地獄絵を目の当たりにし、筆舌に尽くしがたい衝撃を受け、戦争の悲惨さを見に染みて感じたと語っている。ページ118
しかし、問題なのは年齢を重ねたことによって、精神がいかに熟成したかと言うことである。シワは確かにシワであるのだが、そこに刻まれたその人のそれまでの人生と言うものによって、それは美しくもあり、また醜く見えるものだ。ページ164
手塚治虫の火の鳥の中でメッセージし続けている。その魂は肉体を離れた後果てしない宇宙空間を彷徨また新しい生を受ける。それは決して人間であるとは限らない。動物として、また鳥や昆虫として生まれ変わることもあるだろう。人間の命、その重さは皆同じ。たとえどんな体を与えられようと、再び限られた生を全うするため、懸命に生き、そしてまた死んでいく、それが手塚治虫自身の死生観であると言えよう。ページ172
永遠の命それは限りある命を生きる人間にとっては魅力的な響きを持っているが、実際は地獄よりも辛い。ページ181
生き物はこの世に生を受けたからには、いずれは死ぬ運命にある。それは自然の摂理である。しかし、人類は他の生き物たちとは異なり、自分の命に限りがあることを知ってしまった。…今日と言う日が終われば明日がやってくると言うことを当たり前のように受け止めながら過ごしてきた人生も、やがてピリオドが打たれるときが来る。ページ185
人々の心を救うという大きなことでなくても、人は皆、いや人間に限らずこの世に生を受けたものは皆、他者ではできない何らかの役割を持っているのだ。そして、それを知ることにより、いっそう充実した生の喜びを感じることができるののだ。ページ203
かげろうのように、成虫になってからほんの数日しか寿命のない生き物でも、交尾と繁殖という重要な仕事を全うし、それが永遠の生きがいにつながる。どんなちっぽけな虫でも自然が決めた一生を懸命に生き、死んでいくのだ。人間にも同じことが言える。限りある命の中で、生きがいを見つけ、”生”の喜びを感じながら精一杯生きる、それが人間の幸福なのだ。生命はかけがえのないもので、人間も他の生き物も、命の重さは皆同じ。火の鳥はそう繰り返し訴え続けているのだ。ページ226