「風土」を読みました。昭和10年刊行、和辻哲郎氏の名著です。和辻によると人間は、歴史だけではなく、風土に大きく影響されていると述べています。人類を「モンスーン地域=湿潤」「砂漠=乾燥」「牧場=湿潤と乾燥の総合」に分類して、風土が人間に与えた影響を論じています。学術論文としては個人的な印象を全体に拡げすぎているようにみえます。しかしヨーロッパやシナの情景描写と分析は見事です。解説にも「初めて海外に留学したときのみずみずしい体験と、彼の持つ天才的な詩人的直感によるものであることを何人も否定し得ない」とありました。久々に名文に触れました。備忘します。
- 作者:和辻 哲郎
- 発売日: 1979/05/16
- メディア: 文庫
…世界における1つの特殊な風土を作り出しているのである。広義に解すれば、東アジアの沿岸一帯は、シナも日本も、風土的にモンスーン域に属すると言ってよい。ページ34
かくて我々は一般にモンスーン域の人間の構造を受容的・忍従的に捉えることができる。この構造を示すものが「湿潤」である。ページ37
受容的・忍従的なる人間の構造は、インドの人間において、歴史的感覚の欠如、感情の横溢、意志の弛緩として規定させられた。われわれはこれが歴史的社会的にインドの文化系として現れているのを見るのである。ページ44
「沙」はしばしば「流沙」の意義に用いられ、「漠」もまた北方の流沙を指す。それは巨大なる砂海であり、その砂が狂飄によって巻き上がり流れるのである。支那人はかかる風土の外に住む人間として、この風土はただ外から眺めた特性において、すなわち漠漠たる砂海として把握した。ページ63
以上によってわれわれは砂漠的人間の構造を明らかにした。それは「乾燥」である。「乾燥」とは人と世界との対抗的、戦闘的関係、したがって人間の全体性への個人の絶対的服従の関係である。このことを我々は古代エジプトの人間との対称によって明白にすることができるであろう。ページ87
自分はこのようなgrune Wieseを仮に牧場と呼んで、それによってヨーロッパの風土の特徴を言い表そうとする。ページ92
我々の国土から出発して太陽と同じに東から西下地球を回っていくと、まず初めにモンスーン地帯の激しい「湿潤」を体験し、次いで砂漠地帯の徹底的な湿潤の否定すなわち「乾燥を」体験する。しかるにヨーロッパにはいるや否や、湿潤であるとともに乾燥なのである。ページ94
…しかるに地中海は死の海と言ってよいほど生物が少ない。ページ99
夏の乾燥-ここで我々は牧場的なるものに出会うのである。ヨーロッパには雑草がない。それは夏が乾燥期だだということに他ならない。ページ103
このように夏の乾燥と冬の湿潤とは、雑草を駆逐して全土を牧場たらしめる。この事は農業労働の性格を規定せずにはいない。日本の農業労働の核心をなすものは「草取り」である。雑草の駆除である。…しかるにヨーロッパにおいてはちょうどこの雑草との戦いが不必要なのである。ページ107
西欧の風土が牧場的であることは、それが湿潤と乾燥との総合、夏の乾燥というごとき点において地中海沿岸と共通であることによって既に示されている。しかしここでは地中海沿岸におけるように太陽の光が豊かでなく、したがって温度ははるかに低い。特に冬の寒さは南欧に見られない厳しいものである。ページ151
かく考えて過去を振り返るとき、我々の祖先が極めて敏感に急所を直覚していたことを身出さざるをえぬ。第一にキリストに対する異常な傾倒と異常な恐怖とがそれである。…第二には厳密な鎖国を透かして徐々に侵入してきたヨーロッパの科学に対する熱烈な関心である。ページ177
揚子江とその平野との姿が我々に与える直接の印象は、実は大陸の名にふさわしい偉大さではなくして、ただ単調と空漠である。茫々たる泥海は我々に「海」特有のあの生き生きした生命感を与えない。…シナ的人間は特にその無感動性において特徴づけられるべきであろう。ページ183
かく考えればシナ文化を一貫する性格として無感動性を取り上げる事は一応許されてよいのである。ページ193
…日本人は「家」を「うち」として把握している。家の外の世間が「そと」である。そしてその「うち」においては個人の区別は消滅する。妻にとって夫は「うち」「うちの人」「宅」であり、夫にとっては妻は「家内」である。家族もまた「うちのもの」であって、外の者との区別は顕著であるが内部の区別は無視せられる。ページ214