呆けたカントに理性はあるか

「呆けたカントに理性はあるか」を読みました。著者は東大名誉教授の現役医師です。デカルト、カントの哲学は理性と情動を分けて考えるが、最近の科学が明らかにしたのは、理性と情動は同一に近く、人間と他の動物は同じだそうです。認知症患者が判断力を失い、動物に近くなっても「好き」「嫌い」の情動は長く残ると指摘してます。現在、認知症患者から直接「胃ろう」の了解を得ないで、家族や医師の決定で実施しています。認知症患者をまるで家畜のように扱っています。認知症患者にも「好き」「嫌い」の情動があるから、かなり認知症が進んでいても「胃ろう」の判断は本人ができると主張しています。「呆け」は、私ごとです、他人ごとではありません。そうなったらどうしよう!と考えながら読みました。備忘します。

呆けたカントに「理性」はあるか (新潮新書)

呆けたカントに「理性」はあるか (新潮新書)

彼女の祖父は死を迎えるから食べなくなったのです。食べないから死ぬのではありません。この事実を彼女の母親は理解しており、彼女は理解できなかったのでした。ページ35
つまり自分の体、特に生死に影響するような、生存に直接関わる事柄について「好き」「嫌い」を表明する能力は、その人固有の能力で、最後まで保持されます。ページ54
「好き」「嫌い」の問題は、本書における最重要ポイントですから、もう一度まとめますと、生存に有益な環境刺激(情報)に向かう行動には「快」「好き」という内部感覚が生じ、有害な刺激から逃れようとする行為には「不快」「嫌い」という感覚が生じている。その内部感覚も、行動も、さらにそれを起こしている生理的変化も全て含めて「情動」というのです。ページ60
集団対集団、特に敵対関係にある集団同士では、自己の属する集団の立場を正当化し、相手手段は憎むべき当然罰せられるべき対象とみなすような心理教育がなされるのが特徴です。集団間で戦闘行為を行う場合に極端な形であれば現れます…。ページ65
デカルトやカントに代表される哲学の考え方は、人間には動物にない理性という能力が本来的にあり、物事を判断し、普遍的知識の獲得を可能にさせられるというものでした。そういう意味で彼の哲学を「アプリオリ哲学」と呼べましょう。これに対して、生物進化という何十億年に渡る生物進化の軸に沿って考えました。…いろいろな生物が示す環境からの刺激・情報に対する反応の意味も明らかになってきます。 大雑把に分けると、生物にとって「快」と感じる刺激情報は生存に役立つものであり、「不快」と感じるものは役立たないのでした。ページ82
現在、日本では数十万人の認知症高齢者に胃ろうが設置されていると思います。私たちの調査では認知症であっても、言語的意思疎通が可能な時期に胃ろうについて意向を聞いておけば、圧倒的な割合で胃ろうを拒否していた可能性が高いことを強く示唆します。人生の終末にある方達に、その意向を尊重した、苦痛のない、平穏な看取りを私たちは用意できるのです。ページ174

逆境の中にこそ夢がある

「逆境の中にこそ夢がある」を読みました。5月に熊本で、明治製菓の大先輩、化血研の木下理事長から紹介された本です。痛快な成功譚です。現、熊本県知事、蒲島郁夫氏(1947年生まれ)の自伝です。ワクワク、ドキドキして読みました。1954年生まれの私には、この「青雲の志」がよくわかります。貧しいが、将来は明るいと単純に信じていた時代でした。読んでいる最中、私自身、蒲島さんのように大成功はしませんでしたが、自分なりに良くやったと勇気づけられました。これまでの人生に後悔は感じませんでした(笑)。
熊本の農家、貧乏人の子沢山で極貧の生活の描写から始まります。満州で警察官をしていた父が日本に戻ってから仕事をしないこともあり、食べるものにも事欠く生活です。新聞配達をしながら何とか高校を卒業して、会社勤めするものの1週間で退職。その後、農協職員になるも、米国の農業研修のために退職。二年ほど農奴のようにこき使われて、帰国しました。やはり米国で勉強したいと、お金も無いのに留学、豚の精子の保存法の研究で博士号を取得しました。そこから驚いたことに、政治学を学ぶためにハーバード大学に入学、奨学金とバイトで卒業します。帰国後、政治学筑波大学教授、東京大学教授になりました。絵に描いたような出世物語です。たまたまの連続で成功したように書いてありますが、そんなことはなくて多分蒲島さんの人柄が良かったのでしょう。彼自身の言葉では「夢を叶えるには、夢に対して一歩だけ前に踏み出すことが大事。この一歩を踏み出せるかどうかで人生は大きく変わる。人生には誰でも5回の大きなチャンスが来るが、そのチャンスに一歩踏み出せるかどうかだ」と述べておられます。
本書はここまでですが、その後、2008年4月16日、熊本県知事になりました。本書は2008年2月の出版なので、選挙対策用の自伝だったのかもしれません。備忘します。

逆境の中にこそ夢がある

逆境の中にこそ夢がある

…考古学クラブでは原口先生から色々なことを教わったそんな原口先生の口癖は、「人生は短い」である。そして、その言葉のあとに、きまって次のようなセリフを付け加えた。「何でもいいから自分の歴史を残しなさい」この言葉は、その後私の頭の中で何度も繰り返される言葉となった。ページ89
夢に向かって歩み続けるには、夢を追うだけで、実際には何もしなかったこれまでの自分を、どこかを境に変える必要があることを私はこの時実感した。すでに記したように、私は当初「様子見入学」の資格であったからこそ、大学に残るため120パーセントし力で、人一倍努力したのだ。一度でも構わない。120パーセントの力を出してみるといいだろう。必ず結果が残って、今度はその結果を落とさないために、その力で頑張るのがベーシックになるのである。ページ164
そしてハーバードで、私のような貧乏学生にも、差別を一切しないで暖かく接してくれた人たちは、皆それぞれ競争勝ち抜いて成功している。これは決して偶然ではないのだ。そのように優しい気持ちを持っているということは、成功の条件の1つなのである。ページ202
このように一つ一つのピースが繋がりあっているから、1つ欠けても今の私が成立しないのだ。そして、このように人との出会いを大切にできたのは、私自身が、回り道が多い人生だったからではないかと思っている。回り道には、その回り道を必死になって走っていれば、必ず助けてくれたり一緒に走ってくれたりする人物がいるのだ。私の人生はまさにそうである。ページ211
本書で私が最も伝えたかったのは、逆境こそが人生の成功の鍵になるということである。私は子供の頃から貧乏という絶対的な逆境だった。人生のスタートラインがもともと他の人たちよりも、ずっと下にあったのだ。しかし、これこそがチャンスである。今いるポジションが悪ければ悪いほど、下であれば下であるほど、そこから飛び出せる距離は大きいのだ。逆境こそ、そういった大きな飛躍ができる幸せの源泉なのである。ページ229

ホモサピエンス全史

ホモサピエンス全史」を読みました。著者は、別著「ホモ・デウス」で、人間(ホモ・サピエンスが超人(ホモ・デウス)になることを予言していました。現人類は家畜同然になると。映画「マトリックス」の世界です。そんなバカな!が初めの印象でした。本書を読み、新しい視点で現生人類の歴史を眺めているうちに、突然、納得しました。「現人類は家畜になるかもしれない」生きているうちに見たくないのが本音です。
現生人類は、5万年前に突然変異で知恵がつき、言葉と虚構を信じる力で生物の頂点に立ったこと、一万年前に文字を考えつき、貨幣、帝国、宗教という虚構を使って、他の生物を滅ぼし続けていること、逆に、人口を増やすために、麦や稲の家畜になってしまったことを理解しました。資本主義も、個人主義も、自由主義も虚構と思い込みに過ぎず、幸福とは、生化学的な現象に過ぎない、言い切られると悲しいです。信じていた価値観をなぎ倒される感じです。著者には誘導したい価値観はほとんどなく、歴史学者として淡々と述べていることがむしろ怖いと感じました。若い人に一読を進めます。備忘します。

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

ホモサピエンスが新しい土地に到着するたびに、先住の人たちはたちまち滅び去った。ホモ・ソロシエンスの存在を示す遺物は、およそ5万年前に境に途絶えた。ホモ・デニソは、その後まもなく姿を消した。ネアンデルタール人が絶滅したの3万年前ほど前だ。最後の小人のような人類が、フローレンス島から消えたのが、約1万3千年前だった。彼らは数々のものを残していった。骨、や石器、私たちのDNAの中のいくつかの遺伝子、そして答えのない多くの疑問。彼ら私たちホモサピエンスという、最後の人類史もあとに遺した。…なぜ、強靭で、大きな脳を持ち、寒さに強いネアンデルタール人たちでさえ、私たちの猛攻撃を生き延びられなかったのか? すなわち、ホモサピエンスが世界を征服できたのは、何よりもその比類なき言語のおかげではなかろうか。上巻ページ33
このように7何万生何万年前から3万年前にかけて見られた、新しい思考と、意思疎通の方法の登場のことを、「認知革命」という。その原因は何だったのか? それは定かではない。最も広く信じられている説によれば、たまたま遺伝子の突然変異が起こり、サピエンスの脳内の配線が変わり、それまでにない形で考えたり、全く新しい種類の言語を使って意思疎通したりすることが可能になったのだという。その変異のことを「知恵の樹の突然変異」と呼んでもいいかもしれない。上巻ページ36
伝説や神話、神々、宗教は、認知革命に伴って初めて現れた。それまでも、「気をつけろライオンだ!」と言える動物や人類種は多くいた。だがホモサピエンスは認知革命のおかげで、「ライオンは我が部族の守護霊だ」という能力を獲得した。虚構、すなわち架空の物事について語ることの能力こそが、サピエンスの言語の特徴として異彩を放っている。上巻ページ39
認知革命の結果、ホモサピエンスは噂話の助けを得て、より多くて安定した集団を形成した。だが噂話にも限界がある。社会学の研究からは、噂話によってまとまっている集団の自然な大きさの上限がおよそ150であることがわかっている。ほとんどの人が、150人を超える人を親密に知ることも、それらの人について効果的に噂話をすることもできないのだ。上巻ページ42
効力を持つような物語を語るのは楽ではない。難しいのは、物語を語ること自体ではなく、あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらうことだ。歴史の大半は、どうやって膨大な数の人を納得させ、神、あるいは国民、あるいは有限責任会社にまつわる特定の物語を彼らに信じてもらうかという問題を軸に展開してきた。とはいえ、この試みが成功すると、サピエンスは途方もない力を得る。なぜならそのおかげで無数の見知らぬ人同士が力合わせ、共通の目的のために精を出すことが可能になるからだ。上巻ページ48
私たちの祖先は自然と調和して暮らしていたとする主張する環境保護運動家を信じてはならない。産業革命の遥か以前に、ホモサピエンスはあらゆる生物のうちで、最も多くの動植物種を絶滅に追い込んだ記録を保持していた。私たちは、生物史上最も危険な種であるという芳しからぬ評判を持っているのだ。上巻ページ100
人類は農業革命によって、手に入る食糧の総量確かに増やすことはできたが、食料の増加は、より良い食生活や、よりよい余暇には結びつかなかった。むしろ人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は平均的な狩猟民族よりも苦労して働いたのに、見返りに得られた食べ物は劣っていた。農業革命は史上最大の詐欺だったのだ。 では、それは誰の責任だったのか? 王のせいでもなければ、聖職者や商人のせいでもない。犯人は小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの植物種だった。ホモサピエンスがそれを栽培化したのではなく、逆にホモサピエンスがそれらに家畜化されたのだ。上巻ページ107
…羊飼いではなく羊たちの視点に立てば、家畜化された動物の大多数にとって、農業革命を恐ろしい大惨事だという印象は免れない。彼らの進化上の「成功」は無意味だ。絶滅の瀬戸際にある珍しい野生のサイの方が、肉汁たっぷりのステーキを人間が得るために小さな箱に押し込められ、太らされて短い生涯を終えるしよりも、おそらく満足してるだろう。満足しているサイは、自分が絶滅を待つ数少ない生き残りだからといって、その満足感に水を差されるわけではない。そして、牛という種の数の上での成功は、個々の牛が味わう苦しみにとっては何の慰めにもならない。ページ127
農業革命以降の何千年もの人類史を理解しようと思えば、最終的に1つの疑問に行き着く。人類は大規模な協力ネットワークを維持するのに必要な生物学的本能を欠いているのに、自らを同組織してそのようなネットワークを形成したか、だ。手短に答えれば、人類は想像上の秩序を生み出し、書記体系を考案することによって、となる。これら2つの発明が、私たちが生物学的に受け継いだものに空いていた穴を埋めたのだ。上巻ページ170
紀元前1000年紀に普遍的な秩序となる可能性を持ったものが3つ登場し、その信奉者たちは初めて1組の法則に支配された単一の手段として全世界と全人類を想像することができた。誰にも「私たち」になった。いや、すくなくともそうなる可能性があった。「彼ら」はもはや存在しなかった。真っ先に登場した普遍的秩序は経済的なもので、貨幣という秩序だった。第二の普遍的秩序は政治的なもので、帝国という秩序だった。第三の普遍的秩序は、宗教で、仏教、キリスト教イスラム教といった普遍的宗教の秩序だった。上巻ページ213
私たちの目の前で生み出されつつあるグローバル帝国は、特定の国家あるいは民族集団によって統治されてはしない。この帝国は後期のローマとよく似て、他民族のエリート層に支配され、共通の文化と共通の利益によってまとまっている。世界中で、次第に多くの起業家、エンジニア、専門家、学者、法律家、管理者が、この帝国に参画するようにという呼びかけを受けている。これはこの帝国の呼びかけに応じるか、それとも自分の国家と民族に忠誠を尽くし続けるか、じっくり考えなければならない。だが帝国を選ぶ人は、増加の一途をたどっている。上巻ページ216
近代には、自由主義共産主義、資本主義、国民主義、ナチズムといった、自然法則の新宗教が多数台頭してきた。これらの主義は宗教と呼ばれることを好まず、自らをイデオロギーと称する。だがこれはただの言葉の綾に過ぎない。もし宗教が、超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範や価値観の体系であるとすれば、ソビエト連邦共産主義は、イスラム教徒に比べてなんら遜色のない宗教だった。下巻ページ32
西暦1,500年頃、歴史は、それまでで最も重大な選択を行い、人類の運命だけではなく、おそらく日常のあらゆる生命の運命をも変えることになった。私たちはそれを科学革命と呼ぶ。それはヨーロッパ西部の、アフロ・ユーラシア大陸西端の、それまで歴史上重要な役割を果たしたことがなかった大きな半島で始まった。下巻ページ51
産業が推進され、何百もの種が絶滅においやられた。その件については、すでに多数の書物が書かれている。だが経済の近代史を知るためには本当はたった一語を理解すれば済む。その一言すなわち、「成長」だ。良きにつけ悪しきにつけ、病める時も健やかなる時も、近代経済はホルモンの分泌が真っ盛りの時期を迎えているティーンエイジャーのごとく「成長」を遂げてきた。目についたものを手当たり次第に食い尽し、みるみるうちに肥え太ってきたのだ。下巻ページ127
近代資本主義経済で、決定的に重要な役割をになったのは新しく登場した倫理観で、それに従うならば、利益は、生産に再投資されるべきなのだ。再投資が更になる利益をもたらし、その利益がまた生産に再投資されて新たな利益を生む、というようにこの循環は際限なく続いていく。下巻ページ136
バイオテクノロジーナノテクノロジーといった分野で新しい発見がなされれば、全く新しい産業がいくつも生まれるだろう。そしてそこからもたらせる利益が、政府や中央銀行が2008年以来発行してきた何兆ドルもの見せかけのお金を支えてくれるだろう。だが、もしバブルがはじける前に様々な研究室がこうした期待に応えることができなければ、私たちは非常に厳しい時代へと向かうことになる。下巻ページ140
植物自体は、太陽からエネルギーを獲得していた。植物は光合成の過程で太陽エネルギーをとらえ、有機化合物に詰め込んだ。歴史を通して人々がやったことのほぼ全てが、植物が捕らえた後、筋肉の力に変換された太陽エネルギーを燃料としていた。下巻ページ165
実は産業革命は、エネルギー変換における革命だった。この革命は、私たちが使えるエネルギーに限界がないことを、再三立証してきた。あるいは、もっと正確に言うならば、唯一の限界は私たちの無知によって定められることを立証してきた。私たちは数十年ごとに新しいエネルギー源を発見するので、私たちが使えるエネルギーの総量は増える一方なのだ。下巻ページ169
資本主義と消費主義の価値体系は、表裏一体であり、2つの戒律が合わさったものだ。富めるものの至高の戒律は、「投資せよ!」であり、それ以外の人々の至高の戒律は「買え!」だ。下巻ページ181
このような想像上のコミュニティーの台頭を示す最も重要な例が2つある。国民と、消費者という部族だ。国民は、各国特有の想像上のコミュニティーであり、消費者部族は市場の想像上のコミュニティのことを言う。繰り返すがこれはどちらも想像上のコミュニティだ。というのも、市場のあらゆる顧客、あるいは国民の全成員が、かつて村人たちが互いに相手を知っていたように、実際に相手を知ることは不可能だからだ。下巻ページ197
確信を持って語れる近代社会の唯一の特徴は、その絶え間ない変化だ。人々はこうした変化に慣れてしまい、私達のほとんどは、社会秩序とは柔軟で、意のままに設計したり、改良したりできるものであると考えている。下巻ページ201
以上の4つの要因の間には、正のフィードバック・ループが形成されている。核兵器による大量虐殺の脅威は、平和主義を促進する。平和主義が広まると、戦争は影を潜め、交易が盛んになる。そして交易によって、平和の利益と戦争の代償ともに増大する。時の経過とともに、このフィードバック・ループは、戦争の歯止めをさらに生み出す。最終的にその歯止めは、あらゆる要因の中で最大の重要性を持つことになるかもしれない。国際関係が緊密になると、多くの国の独立性が弱まり、どこかの国の単独で戦争仕掛ける公算が低下するのだ。 大半の国が全面戦争を起こさないのは、ひとえに、もはや単独で国として成り立ち得ないという単純な理由による。下巻ページ212
興味深い結論の1つは、富が実際に幸福をもたらすことだ。だがそれは、一定の水準までで、そこを超えると富は、ほとんど意味を持たない。経済階層の底辺から抜け出せない人々にとって、富の増大は幸福度の上昇を意味する。下巻ページ 220
興味深い発見は、まだある。病気は短期的には幸福度を下落させるが、長期的な苦悩の種となるのは、それが悪化の一途をたどっており、継続的で心身ともに消耗させるような痛みをともなったりする場合に限られるという。下巻ページ221
だが、何にも増して重要な発見は、幸福は客観的な条件、すなわち、富や健康、さらにはコミュニティにさえも、それほど左右されないということだ。幸福はむしろ、客観的条件と主観的な期待との相関関係によって決まる。下巻ページ222
私たちの精神的・感情的世界は何百万年もの進化の過程で形成された生化学的な仕組みによって支配されているという。ほかのあらゆる精神状態と同じく、主観的厚生も給与や社会的関係、あるいは政治的権利のような外部要因によって決まるのではない。そうではなく、神経やニューロンシナプス、さらにはセロトニンドーパミンオキシトシンのようなさまざまな生化学物質からなる複雑なシステムによって決定される。下巻ページ226
ただし、極めて大きな重要性を持つ歴史的な展開が1つだけ存在する。その展開とは、幸せの鍵は生化学システムの手中にあることがついに判明し、私たちは政治や社会改革、反乱やイデオロギーに無駄な時間を費やすのをやめ、人間を真の意味で幸せにできる唯一の方法、すなわち生化学的状態の操作に集中できるようになったことだ。下巻ページ231
万物の霊長受称して自らをホモサピエンスと名付け、地球を支配するに至ったのか。それは多数の見知らぬ者同士が協力し、柔軟に物事に対処する能力をサピエンスだけが見つけたからだ。と著者は言う。下巻ページ268
サピエンスの歴史は、約1万年前に始まった農業革命で新たな局面を迎える。農耕によって単位面積当たりに暮らせる人の数が爆発的に増加し、かつて採集狩猟をしながら小集団で暮らしていたサピエンスは定住し、統合への道を歩み始める。 やがてその動きを早める原動力になったのが、貨幣と帝国と宗教(イデオロギー)という3つの普遍的秩序だった。特にこれまで考案されたもののうちで、貨幣を最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだと著者は言う。下巻ページ269
その結果、サピエンスはいずれ特異点(シンギュラリティ)に至る。それは私たちの世界に意義を与えているものの一切が、意味を持たなくなる時点、テクノロジーや組織の変化だけではなく、人間の意識とアイデンティティーの根本的な変化も起こる段階だ。そしてそれはサピエンスが再び唯一の人類種ではなくなる時代の幕開けかもしれない。下巻ページ272

死ぬこと以外かすり傷

「死ぬこと以外かすり傷」を読みました。洒落た題名です。時折、テレビで見かける幻冬社の箕輪氏の本です。若いのに、しっかりしたコメントをされる方です。彼、時代と寝てます。開き直りが、妙に心地よい。不思議な本です。読んでいて元気になりました。私が忘れてかけていた若いころのパワーが蘇ってきました。不覚にも、本気で仕事したいと決心してしまいました。アジるなあ!備忘します。

死ぬこと以外かすり傷

死ぬこと以外かすり傷

彼らはオンラインサロンで、お金を得るために働いていない。楽しいとか面白いとかいうやりがいのために働いている。 お金や物質を得るよりも、高次な欲望を満たすために働いていているのだ。若い世代はどれほど給料が高くてもやりたくない仕事をやらないが、楽しい仕事はお金を払ってでもやりたいという価値観を持っている。もはや遊びと仕事の区別はない。 ページ12
しかし僕の実力が20倍になったわけではない。僕がしたことは、無謀にも市場に出て行き、自分の腕1つで稼がなければならない状況に自分を追い込んだだけだ。しかし、その瞬間、それまでの檻の中で安寧に暮らしていた僕の意識が変わったのだ。自分で餌を探すことを覚え、狩りの仕方を取得したのだ。どんな小さなことでもいい、自分の手で、頭で、足で、名前で稼いでみろ。自分の値札を意識しなければ、一生飼われた豚のままだ。飢えた狼になれ。ページ55
スマホゲームで人生を消費するな。知っているということが、いずれ必ず武器になる。分断された世の中だからこそ、情報を浴び、知を獲得しろ。意識くらい、高く持て。ページ59
ぼくは幻冬舎ではブランドを稼いでいる。1時間50万円のコンサルでは金を稼いでいる。地方公演はノーギャラだが、未来を稼いでいる。地方に仲間を作ることは僕がこの先やることで重要な役割を果たすからだ。ページ75
お前はどれだけ覚悟を持っているのか。それだけを人は見ている。会社の看板など関係なく個人として生きているかを問われるのだ。ページ79
実力がある人間など世の中には掃いて捨てるほどいる。しかし、上位1パーセントの本物の天才以外は替えのきく存在だ。実力よりも評判、売り上げよりも伝説。極端に言えばそんなパンクな生き方をする人に大衆は見せられる。ページ83
そして気づいた。これって僕自身がインフルエンサーになれば最強なんじゃないだろうか。ものがあふれる時代。もはやものを選ぶこと自体に疲れる。自分が信頼する人のお勧めを選ぶようになるのは時代の必然だ。インフルエンサーの力はどんどん強くなるに決まってる。ページ88
しかし誤解を恐れずに言えば、これからのビジネスはほとんどが宗教化していると思っている。信者を集めることができなくてモノを売ることなんか出来ない。ページ95
時間があればいいというものではない。制約がイノベーションを生む。追い込む。だらだらと居心地の良いスピードで仕事していては、このようにあらざるものは作れない。スピードスピードスピード!だれも見えない速さで駆け抜けろ。ページ107
量量量!圧倒的な量を制圧して初めて見える世界がある。「ピカソは何で天才か分かるか?多作だからだ」と秋元康が言った。ページ109
企画の提案が来たり、それこそ飲み会や旅行の誘いでもいい。何か声がかかったときに、「やりたい」「行きたい」という言葉を禁句にする。そして「やります」「行きます」というようにするのだ。これだけで行動の量とスピードが飛躍的に上がる。ページ113
しかし、結局ひとつの道で頭角を現さないとどうしようもない。1つのこと突き詰めもせずつまみ食いしても、単なる器用貧乏になってしまう。結局軸足がどこにあるとかが問われる。ページ117
まずは何かに入れ込め。周りが引くくらい没入して、夢中になって、1点突破で突き抜けろ。ページ119
好きなことをやる、というのは重要だ。そこから逃げるな。しかし、そのために数字から逃げるな。金を稼げ。金を稼いでロマンを語れ。ページ147
努力は夢中には勝てないという方程式は、編集者に限らずすべての仕事に共通する。目の前のことにどれだけ夢中になれるか。熱狂できるか。夢中の前ではどんな戦略もノウハウも無力だ。ページ162
今ほど挑戦する人が楽しい時代はない。死ぬこと以外は、かすり傷と叫びながら、ただ狂え。ページ163
リスクなんてない。すべての成功も失敗も、人生を彩るイベントだ。未来は明るい。バカになって翔べ!ページ173

パシャッ!

「パシャッ!」を読みました。報道カメラマン、松本敏之氏の著書です。松本氏は私の高校の同級生です、先月のクラス会で本人から、いただきました。彼は、高校を出たあとフランスに留学、フリーカメラマンになりました。1983年、アキノ大統領暗殺の写真を撮って有名になったそうです。後に朝日新聞に入社、報道カメラマンとして定年まで在籍。現在は共同通信で現役を続けています。
本書の出版は1999年ですので、松本氏の約20年間の活動記録になっています。タイ民主化要求デモや湾岸戦争で死にかけたこと、韓国でも大けがをしています。阪神大震災の惨状、奥尻島津波オウム事件、ペルー日本大使館占拠事件など、記憶のどこかに残っている大騒動を思い出しました。松本氏曰く「クラスで唯一の高卒だ!」と威張っていました(笑)。備忘します。

パシャッ!―報道カメラマン日記

パシャッ!―報道カメラマン日記

…軍の指揮官に「なぜ不当に外国人を拘束するんだ」と現場から離脱したい一心で抗議した。とにかくフィルムを持って帰らなければ、苦労も水の泡だ。…指揮官に、パイナップルと残飯でドロドロになったシャツを見せ、「拘束されていたから一枚の写真も撮れなかったぞ。今から逮捕者を撮影させろ」と言うと、指揮官は疑わしい目から、一転して、兵士に「こいつをここからつまみ出せ!」と命令した。僕の作戦がちだ。撮影済のフィルムはパンツとソックス中だった。勝新太郎パンツの中にコカインを入れる。カメラマンはフィルムを入れる。笑いたくなるのをこらえて支局に急いだ。隠し撮りの写真は、夕刊一面に大きく載った。ページ52
…90年、杉並道場とかいう建物での麻原の記者会見の写真だった。麻原の右には当時無名だった上祐の姿もある。井上も写っている。ばかでかい玉座のような座布団の上に麻原の姿。オウム服の色は青。…井上の人を睨みつけるような凶悪なの顔が気になって、井上も一応撮影しといたことも思い出した。井上の写真も役に立った。 調べてみると…アップの顔写真で朝日新聞写真部にあるのは、僕の写真だけだった。僕はただデスクに命じられて、記者会見にいただけだったのだが。ページ90
アラファト議長の部屋に入ると議長が手を差し出した。大きな柔らかい、温かい手だった。早速インタビューを記者がする間に撮影。…会見と写真撮影が終わると、僕と記者を手招きする。いっしょに記念写真を撮ろうと言う。仕事の上でいろんな有名人を写す機会が多いが、記念写真を写そうと言われたのは初めてだ。僕の肩にまわされたアラファト議長の手を感じながら、カメラに収まった。ページ161
運、根、勘の3つの要素がカメラマンに必要だけれども、現代の報道カメラマンには危機管理能力も必要になってきた。1985年のことだった。当時の韓国は独裁色の強い全斗煥政権で毎日のように全国全土にデモが吹き荒れていた。…その夜、機動隊の眩しいばかりのサーチライトに照らされた学生デモ隊にに機動隊が催涙弾をぶち込み、私服警官隊はこん棒片手にデモ隊を襲った。私服警官数人がかりで殴られ、血まみれになった女子学生の姿をデモ隊の中に見た僕は、女子学生に近づき目測、ノーファインダーでストロボ一発。その数秒後には、僕自身が私服警官1ダースあまりに袋叩きにあっていた。カメラ、ストロボは壊され、体中を殴られたり蹴られたボロ雑巾のようになって車ですソウルに運ばれた。ページ227

センベイブラザーズのキセキ

「センベイブラザーズのキセキ」を読みました。面白い読み物です。潰れそうな零細企業(煎餅製造)がどのように再生したかの物語です。職人気質の弟とデザイナー上がりの兄が、亡き父の遺志をついで黒字化する努力に感服しました。ブランドを発信し、お客様の声を聞き、周りの様々な人の協力を得て、発展していく姿に事業家精神を感じました。勇気をもらいました。備忘します。

倒産寸前からの復活! センベイブラザーズのキセキ ~赤字を1年で黒字化 金、時間、経験なし 町工場の奮闘記~

倒産寸前からの復活! センベイブラザーズのキセキ ~赤字を1年で黒字化 金、時間、経験なし 町工場の奮闘記~

このロゴは、僕が20年やってきたデザインワークの中で、一番の作品だと思っている。…正直、ミススタンプすることも多々あった。ミスしないように、一つ一つ丁寧に押していく。そんなアナログならではの地道な作業として、よりロゴマークへの愛情が芽生え、そのことがブランド急成長の追い風になってくれた気がする。 ブランドも人も、ともに育っていく。そんな経験ができたのはデザイナー冥利に尽きる。ページ57
実際に自分たちでせんべいを販売してみると、いろんな用途要望があることを学んでいった。「お遣いもの文化」若いママさんたちは、まずは、自家用に2、3個、購入し、次の来店では、10数個まとめて買っていってくれる。そんなパターンが多く、商品を選ぶ際には「この前のお礼に」とか「誰それに持っていく」などと口にしながら選んでいく光景をよく目にした。ページ75
僕らにとって身震いするような言葉の数々に、11月の寒さなんか一気に吹き飛んだ。結果、お試しいただいた人の8割ぐらいかせんべいを買っていってくれた。目指せ、「脱・煎餅離れ」。ピンチをチャンスに変えた瞬間だ。そんな感じで始まった僕らの路上販売だったが、売り場で色んなことに気づくことができ、たくさんの学びを得た。商品開発から接客、お店づくりに至るまで、可能な限りの改善を行い、僕らは知的にもいろんな筋肉をつけていた。ページ92
そんな僕らのゲリラ的なコンセプトの発信効果は、その後の結果にも充分すぎるほどに表れていた。他の場所で催事をやっても、ルミネで覚えてくれた人が店頭で足を止め、商品に興味を持ってくれる。その後のメディアからの取材依頼のきっかけにも大きく影響した。僕らと同じような仕事をしている人たちにも、自分たちのやりたいことを明文化し、発信し続けることを強くお勧めしたい。ページ124
人も会社も、決して強くない。足りない部分を補ってくれる家族や仲間がいて、人も会社も初めて生きていける。僕ら兄弟もそうだ。お互いの弱いところは補い、強いところ最大限に後押しする。兄弟の放ち合う最大限のパワーが新しい活路を開いていく。ページ186
世の中には色んな職人さんがいると思うが、機会があればぜひ、現場にこもりきりでなく、外に出てほしいと思う。現場も大事だけど、外に出ることで、いろんなきっかけをもらえるし、あなたにしかできない技術力を発信できるかもしれないから。ページ202

3Mで学んだニューロマネジメント

「3Mで学んだニューロマネジメント」を読みました。尊敬する先輩からの推薦です。「…コンサルタントに役にたつかもしれません。…今度お会いするときに議論したくてメールしました」とのことでした。私がコンサルタントの仕事を始めたことを知り、アドバイスならびに生き方の指針を示してくれたのだと思います。
 脳科学イノベーションと経営コンサルティングに関連があるのか、疑問を抱きながら読み続けました。イノベーションの本質は技術革新ではなく「利用しうる色々な物や力の結合を変更して新しい結合を作ること」(ページ23)と定義すれば、経営改革そのものだと気づきました。会社の存在理由を明らかにすること、見える化(文書化)すること、規律を保つこと、自主性を重んじること、是正措置と予防措置の違いと両立を知ること、それぞれ腑に落ちる内容でした。
 生き方についても重要な示唆をいただきました。①「迷い」を解く鍵を知りました。 ・自分のDNAは生存競争勝ち抜いたDNAであるから生き残れるという「根拠なき自信」を与えてくれます。 ・人は必ず死ぬから、精一杯生きるために「勇気ある決断」を促します。 ・「役を演じる」ことにより、やりたいことではなく、やるべきことをやり、「自分を褒める」ことにつながります。 ②人間は起きている半分の時間、「過去」や「未来」のことを考えているとのこと(「マインドワンダリング」状態)。ストレスを減らすには「今」に集中することが大事で「マインドフルネス(瞑想)」が有効だそうです。現実をあるがままに知覚するトレーニングです。実行してみます。良書です、備忘します。

3Mで学んだニューロマネジメント

3Mで学んだニューロマネジメント

実は、イノベーションが生むお金には大きな特徴がある。それは「ありがとう」が添えられていることだ。イノベーションが大きな顧客価値を生み、顧客の事業発展させたり、商品やサービスの購入者がワクワクした気持ちなったりする。それに対する感謝の気持ちが「ありがとう」であり、その対価として知られるのがお金である。ページ29
NUDとは、「ニュー(新規であるか」、「ユニーク(唯一であるか)」「different(明確な差異があるか)」の頭文字をとった造語で、アイデアの価値独創性を評価する上で大きな手掛かりとなる。ページ 37
イノベーションのマネジメントにおいては現場の自主性を尊重するのが基本である。しかし、より高い視点に立つと、社員にイノベーションを促す強制力が必要となる。ページ40
ゆえに、このやる気を引き出すために最も重要なのは、「マネジメントを信じる心を育てる」ことなのである。逆から見れば「信じるに足るマネジメントを常に行う」ことだ。ページ57
やる気と自主性のある人材を育成するにはまず、そうした人材を重視するという経営層の意思を、誰にでも分かるように見える化(文書化)することが必要だ。ページ57
15パーセントカルチャーは、「上司に承認されなくとも、業務時間の15パーセントは会社の成長に貢献すると信じる活動に費やして良いという不文律」と簡潔に説明されている。ページ62
このやる気を引き出すために忘れてならないのは、当然ながら成果に対する評価である。最も分かりやすいのは、仕事で成果を上げれば出世できるという事実を示すことだ。それを信じることができれば、やる気が自然と出てくる。ページ66
顧客に密着するとはつまり、顧客の現場に赴き、共に暮らし、顧客に見えるものを見るということである。ページ78
名前を挙げるということは、確実にこのやる気を引き出すことにつながる。しかも費用はかからない。ページ94
どうすれば部員が腹落ちした状態を作り出せるのか。そのポイントは、部員の心を「〇〇しなければならない(マスト)」という状態から「〇〇したい(ウォント)」という状態に変えることだ。ページ107
とても実現できそうもない最終目標(背伸びした目標)であっても、そこに至るいくつかの中間目標設定し、それらをクリアしていくことで、段階的にentitlementの達成を目指す。ページ117
実際の取り組みは、今起きている問題の原因を特定した上で、それを取り除く「是正措置」と、それを一般化して問題発生のリスクを減らす「予防処置」に分けられる。前者が事後的な対応、つまり「守りの対応」であるのに対し、後者は事前的な「攻めの対応」といえる。いずれの対応でも大事なのは、根本原因を特定することだ。根本原因を特定できなければ有効な対策を立てられない。 そして根本原因の追求には、Whyの繰り返しが有効となる。さらに念頭におくべきことは、是正処置と予防処置も二者択一ではなく、両立させる計画を立てることだ。ページ198
もう一つ、心の支えとしてる言葉がある。それは筆者が研究室に所属していた当時、助教授だった梶山千里先生が話してくれたことだ。「破れ常識、超えよ限界」と「守れ常識、知れよ限界」である。ページ251
1番目の鍵は、我々ホモサピエンスは、誕生以来、約20万年間に及ぶ環境変化等の生存競争を乗り越えて生き残ったという事実である。荒波を生き抜いてきた先祖のDNAを、われわれは持っている。遠い先祖からつながる命のリレーにおいて、たった1人が欠けただけでも現在の自分は存在しない。つまり自分が持っているDNAは先人たちの努力によって生存競争勝ち抜いたDNAである。このDNAを受け継いでいるという自己認識は、やればできるという強固な「根拠なき自信」を支えてくれる。 2番目の鍵は、生きている時間は永遠には続かないという心理である。100年後には自分は存在していないという真理と何もせずに寿命を迎えるのは嫌だという自然な感情は、「勇気ある決断」をする際、背中を押す効果がある。 3番目の鍵は「役を演じる」という、プロフェッショナルとしての職業倫理である。たとえやりたくないことであっても、それが自分に求められた役割であるならば、やりたいことと同じ情熱を持って全力を尽くすのがプロである。顧客もしくは会社からもらったお金は、お客もしくは会社の満足に確実に返還しなければならない。この職業倫理は、やりたいことではなく、やるべきことをやるのが基本となる。 筆者この3つの迷いを解く鍵にそれぞれDNA、Life、Playとタイトルつけている。DNAは「根拠なき自信」に、Lifeは「勇気ある決断」に、Playは「自分を褒める」に展開できる。ページ259
具体的な行動規範としては、「善良である事」、「正直である事」、「偏見なく公平であること」、「忠実であること」、「正確であること」、「敬意を持つこと」の6つの柱がある。ページ341
…この「マインドワンダリング」状態は、生活時間の実に47パーセントにものぼった。これは人間に備わってる「記憶力」と「想像力」が原因となっている。つまり、日中起きている時間の半分近くは、目の前の現実について考えていない。 ページ428
「マインドワンダリング」から逃れて、今の行動に集中するには、「マインドフルネス(瞑想)」が有効なことがわかっている。「マインドフルネス」が目指すのは、今の瞬間に気づきが向かう状態である。つまり、現実をあるがままに知覚することである。簡単に言うと、意識を今この瞬間に釘付けするトレーニングだ。ページ429
しかしなぜ「今」に注意を集中すると、ストレスを減らすことができるのだろうか。それはストレスの原因となった過去の出来事にとらわれるとストレスが再生産されたり、未来に不安を感じてストレスが増幅したりするから。「今」に集中すると、そうしたことがなくなり、ストレスホルモンの過剰な分泌が抑えられる可能性があるという。ページ431
もし、自分の能力に限界を感じたら、それは深刻な悩みとなる。…意識して注意力を持って取り組み、あきらめずに繰り返す情熱があれば、何でも成し遂げられのだ。限界は打ち破れ。脳が健康であれば、年齢を重ねることはの活動のマイナス要因ではない。ページ438
脳の可塑性を広げる4項目を不変の真実として認識しよう。ただし、4つの可塑性は、いずれも絶え間ない自己研鑚が不可欠となる。すなわち、自身の能力に対する悩みを解く鍵は、絶え間ない自己研鑽なのである。ページ439